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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
後日談
96/98

「恋文」 3

 十代前半の溌剌とした少年が、二人に声をかけながら四阿の中へと駆け込んできた。ランドリューシュを『兄』と呼び、フレイアシュテュアを『姉』と呼ぶ――。この少年はつまり、サリフォール女公爵の次男というわけである。その名をサイフェンニールという。

「一気に走ってきて喉が渇きましたっ。義姉(あね)上義姉上、僕にもお茶を下さいっ」

 来ていきなりに、フレイアシュテュアにねだって言うのは本当らしく、息せききったサイフェンニールは軽く頬を上気させている。

 元気に風に乱した、癖の強い髪の色は艶のある褐色だ。賢しげな顔立ちは兄とよく似ているが、まだ丸みを残した頬の輪郭と、くるくるとよく動く鳶色の瞳には、ランドリューシュには見受けられない子供らしい愛嬌がある。


「ちょっと待ってね、サイ。構いませんか? お義兄様」

「構わない、というよりも、私からもぜひにお願いしたいね。まずはサイを黙らせないと、勉強にはならないだろうから」

「はい」

 ランドリューシュの諦めたような物言いに、フレイアシュテュアはくすりと笑った。大きく年の離れた弟は、ランドリューシュの目に、とかく騒々しく、小憎らしく、そして底抜けに可愛いものであるらしい。サイフェンニールの側はといえば、長らくアレフキースに『盗られて』いた兄が、今は故郷に戻っているのがたまらなく嬉しいようで、事につけてはじゃれついている。


「せっかくだから、新しく淹れ直すわね。お義兄様と飲んでいたのは少し大人向けだから」

「やったあ! それなら僕、甘めのがいいです」

「ええ」

 フレイアシュテュアは裁縫道具を籠に片付けて、サイフェンニールの希望を叶えられるよう思案した。お湯と茶器の準備は、既に侍女が黙々と進めてくれている。


「今日の課題はきちんと、終わらせてきたのか、サイ?」

「勿論です。あ、そうだ兄上。僕、馬場の障害を全部飛べるようになりましたよ! 約束でしたよね、今度遠駆けに連れて行って下さい」

「ちゃんとこの目で見せてもらってからだよ。まぐれだったらお預けだ」

「ええー。まぐれだっていいじゃないですかー。飛べたものは飛べたんです」

「駄目駄目」

 兄弟の会話を聞くとはなしに聞きながら、フレイアシュテュアは侍女と相談しつつ香草の調合をした。ポットの中に沸かしたての熱湯を注ぎ、覆いを被せて砂時計を返す。


 貴婦人というのは本来、手ずからお茶を淹れたりはしないもの、らしい。

 しかしアレフキースは、お高くとまった姫にはない、そういったかいがいしさも含めてフレイアシュテュアに惚れ込んでいる節がある。そこで――というわけでフレイアシュテュアは、名人の域まで腕を磨くようにと推奨されていた。加えて、もしも人前で披露することになったとしても、高尚な趣味に見えるよう、所作はあくまで優雅に滑らかに、というのが、ランドリューシュからの注文である。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。いただきまーす」

 自分の前にフレイアシュテュアが置いてくれたカップを、サイフェンニールは幸せそうに両手で持ち上げた。春の訪れを告げるように州城へとやってきた、四つ違いの『姉』に淡い憧れを抱いたサイフェンニールは、フレイアシュテュアが戸惑うほどの気安さで、好意を前面に出し懐いてくれている。


「ところでサイ、お前がその手に持って来たものは一体何かな?」

 淹れ直された甘露なお茶に舌鼓を打ってから、ランドリューシュは訝しげに弟に尋ねた。

「あー、これですか?」

 長椅子の脇へと無造作に置いていた小包を取り上げて、サイフェンニールは席に戻ったフレイアシュテュアに向けてずいと差し出した。

「はい、義姉上にお届けものです。アレフキース殿下からだそうですよ」

「ありがとう、サイ」

「えへへー」

 手渡された小包を、フレイアシュテュアは大切そうに胸に抱き締めた。緑と琥珀の色違いの瞳が歓喜に潤み、雪白の頬がほんのりと染まる。艶を増したフレイアシュテュアに、サイフェンニールは相好を崩した。少年は菫の砂糖漬けをぱくりと摘まんで、伸び盛りのしなやかな身体をテーブルの上にひょいと乗り出す。


「だけどほーんと、まめな方ですよね、アレフキース殿下って。この前メリーナから帰国なさった時だって、自動人形だとか懐中時計だとか自鳴琴(オルゴール)だとか、あちらの名産のお土産どっさりだったのにね。やっぱりそれだけ義姉上がお好きなのかな。お手紙何て書いてあるんでしょうねえ? 今回の贈り物は一体何でしょうねえ? わくわくしますねっ、義姉上」

「ええ、そうね」

 前に手紙を出した日から逆算すればわかる。アレフキースは多忙の中、折り返しに返事を書いてくれたのだろう。サイフェンニールに指摘されるまでもなく、フレイアシュテュアの胸はどきどきと高鳴っているが、無邪気な顔をした『弟』に、にこにこと覗き込まれている前で、恋文の封など切れるわけがない。


「サイフェンニール」

 弟の名前を重々しく、ランドリューシュは苦笑混じりに呼んだ。

「お前はまた、わざとやっているのだろう。馬に蹴られて死ぬことになっても知らないよ」

「やだなあ兄上、そんな心配いりませんよ? だって僕、たいていの馬とは仲良くできますもん」

 サイフェンニールはまるでわかっていませんといった顔つきを作り、可愛らしくきょとんとする。しかしランドリューシュは騙されない。

「サイ、じゃじゃ馬馴らしは得意でも、殿下の馬はそうはいかない。人の恋路を邪魔していないで部屋に戻ろうか」


 にっこりと凄みながら、ランドリューシュは立ち上がりざまにサイフェンニールの首根っこを摘み上げた。フレイアシュテュアの恋する表情を、眺めていたいがための悪戯を咎められ、サイフェンニールはぺろりと舌を出す。

「うーん、まだまだ兄上には敵いそうにないや」

「サイが私を越えてくれる、その日が来るのが楽しみだね」

 余裕しゃくしゃくにサイフェンニールをあしらってから、ランドリューシュはふと綻ばせた眼差しをフレイアシュテュアに廻らせた。


「フレイア、今日の課外授業はこれでおしまいだ。父上もああおっしゃっていたことだしね、夕食後のダンスの練習も取り止めにしよう。たまにはのんびりと羽を伸ばすといい」

「はい、ご指導ありがとうございました、お義兄様」

 丁寧に謝辞を述べるフレイアシュテュアに、ランドリューシュは首を振った。

「礼には及ばない。殿下のにやけ(づら)を想像しながら、君を綺麗に咲かせてゆくのは、目下の私の道楽でもあるからね。ただ私は、育て甲斐のある花だと思っているからこそ、君に多くの無理を強いてしまうだろう。ヴェンシナの言葉を借りるようだが、フレイアはもう少しだけわがままになるといいね。特に、この私に対しては」

「……はい、お義兄様。お言葉に甘えられるよう考えてみますね」

「期待している。考えずともごく自然に、甘えられるようになってくれるのが理想だけれど」

 ランドリューシュはフレイアシュテュアを、主君からの大事な預かりものの『妹』としか見ていない。心算は一切ないとわかってはいるのだが、そこだけを切り取って聞いていると、まるで口説き文句の如くである。


「それじゃ、姉上、ごゆっくりー。兄上に駄々をこねる相談にならいつでも乗りますよ」

「サイも、もう……」

 フレイアシュテュアが返事に窮するような、魅惑的な笑みと台詞を二人ながらに残して、頼れる城の『兄弟』たちは立ち去っていった。十も年の離れた彼らの、揚げ足を取り合うような会話は実に楽しげだ。


「あーあ、僕、姉上のお茶がもっと飲みたかったのに……」

「仕様がないね。フレイアの代わりに、私が向こうで粗茶をふるまってあげよう」

「兄上がお淹れになると、本当の本当に粗茶になりそうだから嫌です」

「遠慮などしなくていい。嫌というほど飲ませてあげるから」

「いりませんっ。最初から嫌だってお断りしているじゃありませんか」

「嫌よ嫌よも好きのうち、だろう? サイ」

「違いますよ、兄上。嫌よ嫌よはやっぱり嫌ですー」


 そうやって文句を垂れながらもサイフェンニールは、ランドリューシュが淹れる粗茶とやらを、きちんと全部飲み干すのだろう。利かん気なようでいて、サイフェンニールの心根は存外に素直だ。

 その兄弟仲の良さがフレイアシュテュアには、ほほえましくて、懐かしくて、少しだけ、羨ましい――。



 ……会いたい。


 会いたくて、けれどもおそらくは、二度と会えない人たちがいる。幾つも浮かんだ面影が恋しくて、こんな夕べは少しだけ泣きたくなる。郷愁を侍女には悟られまいとして、さりげなく視線を脇に流すと、傍らにのけたキルトがフレイアシュテュアの目に留った。

 ランドリューシュに贈る予定のそのキルトに、フレイアシュテュアが刺しているのはシルヴィナの森だ。手芸を教えてくれたのも、お茶の淹れ方を教授してくれたのも、思い起こしてみれば教会の『姉』シャレルだった。


 神学を易しく説いてくれたエルフォンゾ。読み書きや計算の先生だったカリヴェルト。共にオルガンや讃美歌の練習をしたラグジュリエ。お洒落の手本であったサリエット……。

 彼らと過ごした時の全てが、今のフレイアシュテュアの礎となっている。人を愛すること、信じること、守ること、許すこと。そして真心を尽すことを覚えさせてくれたのも、今や『兄』ではなくなってしまった、ヴェンシナを加えた彼らだった。


「お嬢様」

「なんでしょう?」

「わたくしも一旦、下がっておりましょうか? ここならば迷子になられることもないでしょう」

 自分の庭から居室に戻るには、露台へと繋がる螺旋階段を上ればいい。侍女に気を配らせてしまったことに恐縮しながら、フレイアシュテュアはその申し出に首肯した。

「お願いできますか? お茶もお菓子も十分に頂きましたから、テーブルを片付けて行ってもらえると嬉しいです」

「畏まりました」

 火鉢の付いたワゴンに、侍女はてきぱきと食器を下げてゆく。悠々と構えていればよいのだろうが、手持無沙汰に任せているのが忍びなく、つい手伝おうとしてしまうフレイアシュテュアである。


「お嬢様!」

「はいっ」

 びくりと縮こまるフレイアシュテュアの手先から、砂糖漬けの壺を取り上げて、侍女はぴしゃりと諫めた。

「差し出口を挟みますが、お嬢様のお手は、給仕をなさるために付いているのではございません。王太子殿下のお心を繋ぎ止め、世の殿方の崇拝を受け取るためにあるのですから、雑事に染めず粛然となさいませ。

 それからわたくしどもには、頼むのではなくお命じ下さい。公爵家の姫君が、使用人の顔色を窺う必要は一切ないのです」

 さらに高みを、王太子妃となることを目指すならばなおさらにと――。作法や教養は着実に身につけてきていても、根本的なところで、一向に主人らしくなってくれないフレイアシュテュアに、侍女は苛立ってしまったのだろう。けれど……。


「……そう、しなければならないのでしょうね。ごめんなさい。まだまだ修行が足りなくて」

 王太子に見初められた、運が良かっただけの田舎娘。そんな自分にかしずいてもらうことを、フレイアシュテュアは申し訳なく思っている。公爵令嬢の称号を戴き、贅沢な美容法で全身を磨かれ、高価な品々に囲まれ飾られていても、アレフキースやサリフォール家の保護を笠に着て、偉ぶる気にはなれないでいた。


「ああ、謝って頂きたいわけではないのです……。本当にもう、どうしようもない方ですね……」

 侍女は溜め息をつき、眉間に皺を刻みながらも、フレイアシュテュアの肩に優しい手つきでショールを掛け直してくれた。侍女頭の娘である彼女は、ランドリューシュの乳姉弟でもあるという。その(よし)みでフレイアシュテュアは、手のかかる妹のようにも見られているのかもしれない。

「お戻りが遅いようならお迎えに上がります。くれぐれもお身体を冷やさないようになさって下さいませ」

「はい」


 一人残された庭でフレイアシュテュアは、逸る気持ちを抑えながら小包の荷を解いた。綺麗な紐で結わえられ、上等な布にくるまれて収められていたものは、二通の封書と宝飾品の箱である。

「殿下と……ヴェン、から……?」

 ヴェンシナからの手紙も入っていたことにフレイアシュテュアは驚いたが、それはたまらなく嬉しい誤算であった。アレフキースはどうやら、フレイアシュテュアの喜ばせ方をよくわかっているらしい。望郷の念を慰められた気がして、他のどんな品を贈られるよりも愛情を感じた。

 フレイアシュテュアは迷うことなく、アレフキースの恋文から開いた。彼らしいのびやかな文字が、それだけで、愛おしかった。

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