「恋文」 1
『親愛なる、アレフへ――。
ああ、私が、一体どれだけの勇気を出してこの一行をしたためたのか、あなたはおわかりになって下さるでしょうか?
ペンを持つ手が今も震えています。もしもお見苦しい文字になっていましたら申し訳ありません。
以前はあんなにも馴れ馴れしく、「ランディ」と呼ばせて頂いていましたのに、今ではあなたのお名前を、なかなか声に出すことができない私を、あなたは可笑しいとお思いでしょうか?
ですが、王太子殿下のお名前はやはり格別なものなのです。それも短く縮めてお呼びするなんて、勿体ないことです。
先日殿下がお帰りになった後、お義母様に相談しましたところ、それは確かに貴重で名誉なことだけれど、ささやかなお望みなのだから、恐縮していないで早く叶えて差し上げなさいと笑われてしまいました。
言われてみればそうですよね。殿下が私にお願い事をして下さるなんて、そうして私にお応えできることなんて、なかなかないことですもの。お母様のおっしゃられた通りだと、後になってたくさん反省をしました。
だから、次にお会いする時には、ちゃんと殿下の目を見て「アレフ」とお呼びできるように、こうやって文字にすることから練習をしておきますね。
練習といえば、ヴェンが殿下に連れられて【北】州城からいなくなってからは、お義兄様が毎日のようにダンスのお相手をして下さいます。お義兄様は殿下と背恰好が同じくらいでいらっしゃるので、ダンスや宮廷作法の練習相手として、「使えるだけ使っておいて損はない」(お義母様のお言葉です)のだそうです。
お義兄様は暇つぶしだと言って、他のお勉強にもよく付き合って下さいます。昨日の夜はお義兄様からのご提案で、踊りながらロジェンター語会話のおさらいをすることになってしまいました。
ほとんどお義兄様のお話の聴き取りをして、「はい」か「いいえ」でお答えしていただけですけれど、私にはそれだけでも精一杯。足も舌も頭の中もこんがらがってしまって、お義兄様のお足を思いっきり踏ん付けてしまいました。大失敗です!
ひどくお痛そうになさっていたので、お詫びにキルトのクッションを縫って差し上げるお約束をしました。どうやら大作を期待されているようですので、頑張らないといけません。
そういえば、殿下とは、まだ一度もダンスをしたことがありませんね。
お義母様に、初めてはきっと、王宮の舞踏会になるだろうと脅されてしまったのですが本当ですか? 王宮だなんて! 舞踏会だなんて! 考えただけで心臓が破裂してしまいそうになります。
今さらですけれど、カリヴァーとシャレルの結婚の宴で、「ランディ」と踊っておければよかったのにと切実に思います。
こっそり白状してしまいますと、あの日あなたにエスコートされていたサリィは、とても得意そうで、楽しげで、羨ましくて……(そういえばサリィ、王太子殿下にエスコートをしてもらったのは、一生の自慢だって後から言っていました)。あなたが誘いにきて下さった時は、本当に嬉しかったんですよ。
シュレイサ村のことは、今もよく夢に見ます。遠い懐かしい私の故郷。教会。果樹園。【精霊の家】の森……。
離れてみれば不思議なもので、辛いことも悲しいことも色々とありましたのに、ヴェンやラギィや牧師様、カリヴァーにシャレル、サリィ、それからもっとたくさんの兄姉たちと過ごしてきた、幸福な記憶ばかりが思い出されてなりません。
だけど心配はしないで下さいね。今ここにいる私は、村にいた頃よりもきっとずっと幸せです。
今の私には、お城のお義母様とお義兄様、お義父様に義弟のサイもついていてくれます。そしてなによりも、胸の中にアレフ、あなたがいつでも寄り添っていて下さるのですから。
マイナールから精一杯の愛を込めまして。
遠く離れておりましても心はお傍に。あなただけの。フレイアシュテュア』
*****
一陣の夜風が、張り出し窓に腰掛けているアレフキースの髪を梳いた。
日々、多くの人に取り巻かれた王太子の生活だが、就寝前の今は一人きりだ。続きの間では当直の騎士が宿直をしているが、アレフキースが公務に力を入れ、夜のお忍び遊びを控えるようになったこの頃では、見張り――この場合は、主君の逃亡を阻止するといった意味合いでの――も以前ほどには厳重でない。だからこそこうして大きく開け放した窓際にいても、見咎められることなく寛いでいられる。
「あなただけの――か」
呟く唇に笑みが上った。
その手の中にあるのは、北の都から届けられた紛うことなき恋文。読み終えた手紙に記された恋人の名に、アレフキースはそっと口付けた。薄水色の便箋からは、ほのかに菫の香りがする。
フレイアシュテュアという署名の前に、愛の言葉が添えられるようになったのは、彼女が慕って呼ぶところの『お義兄様』による恋愛指南の賜物だろう。ランドリューシュにほくそ笑まれているような気がしないでもないが、フレイアシュテュアが素直な想いを綴ってくれたことに違いはないので、アレフキースは単純に嬉しい。
フレイアシュテュアからの手紙を文箱に入れ、立ち上がってアレフキースは近侍を呼んだ。宿直をしていた扉の向こうから、すかさず参上したのは近衛騎士のキーファーである。
「どうなさいました? 殿下」
「今から文をしたためたいのだ。用意を整えてくれないか」
「承知致しました」
ややあってキーファーは、アレフキースの寝室の中へ用具一式を運び込んできた。
「フレイアシュテュア様にお返事ですか?」
「そうだ」
既に文面を考え始めているのかそぞろに答えて、アレフキースは早速に便箋を取り上げた。台紙のついた紙挟みに幾枚かを挟み込み、インク壺とペンも掴んで、また張り出し窓に腰を据えにゆく。
キーファーは主君の傍らに、洋灯を移動させその明かりを大きくした。円く満ちた月明かりの、素晴らしく美しい夜であるが、ただそれだけの光では、手紙を書くには手元不如意だろう。
「気が利くな、キーファー」
「お褒めにあずかり光栄です」
アレフキースはふと思いついて、キーファーに提案をした。
「気が利くついでに、一つ遣いを頼まれてはくれないか?」
「喜んで。私でお役に立てることならば、なんなりとお伺い致します」
キーファーの心強い返答に、アレフキースは満足げに頷く。彼の頭に思い浮かんでいたのは、ヴェンシナの童顔だ。
「フレイアへの手紙は、品物に添えて明朝に発送させるつもりでいる。同封をしたいから、ヴェンにも彼女に宛てた手紙を今晩中に書いておくよう伝えて欲しい。これは主命だ、お前に拒否権はない。四の五の言わず服従せよと」
主命という形をとっているが、それはアレフキースの厚情なのだとキーファーはぴんときた。
これまでのまま『兄』を続けていては、これからのフレイアシュテュアにとって妨げにしかならないと――。悲壮な決意を固めたらしいヴェンシナは、フレイアシュテュアに対する態度を改めたばかりでなく、必要以上の接触を断ち、今後一切手紙の一つも出さない構えでいたのだから。
「絶対服従、ですか?」
「ああ、もしも逆らえば、即独房に放り込んでやるとも言っておけ。書き上げるまで出してはやらないとな」
ヴェンシナは明日早番である。そろそろ床に入って休んでいる時間だ。寝入り端に叩き起こされ、理不尽でいながら太っ腹な命令を聞かされて、一体どんな顔をすることだろう――? キーファーは吹き出しかけながら請け負った。
「わかりました。ヴェンシナが独房入りなどさせられてしまったら、その分の仕事やしごきがこっちにたくさん回ってきます。さっさと書く気になりますよう、たっぷりと脅かしてきますのでお任せ下さい」
「頼んだぞ」
「はい」
キーファーを下がらせて、一人に戻ったアレフキースは便箋に向かった。胸の内で柔らかく微笑むフレイアシュテュアに、熱くたぎる思いのたけを届ける為に。




