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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
後日談
91/98

「菫咲く頃」 3

 ふわふわと雲を踏むような足取りで、フレイアシュテュアはエトワ州城の回廊を行く。腕と共に心を預けている長身の青年は、フレイアシュテュアの歩調に合わせてゆったりと足を運んでいた。

 最初に仕種で示された、口止めはいつまで有効なのだろう? 見覚えのある護衛騎士と並んで二人の後に従いながら、ヴェンシナはずっと物言いたげに青年を見つめている。けれどもフレイアシュテュアは、会話が無くともまるで苦には感じなかった。まさか今日、この場所で、彼に逢えるとは思ってもみなかった。今はもうそれだけで嬉しくて、胸がいっぱいになっている。



*****



 連れて行かれた先は、『フレイアシュテュアの客間』。導かれるまま長椅子に腰掛けて、自分専用の応接室だというその見事な部屋を見渡して、フレイアシュテュアは呆然とする。手際よくお茶の支度を調えて小間使いが立ち去ると、青年は長椅子に寛ぎながら、壁際にひっそりと控えている護衛騎士を振り返った。

「エリオール」

「はい」

「行ったか?」

「はい、問題ないでしょう」

 人払いを確かめてエリオールが頷くと、青年はフレイアシュテュアに向き直り、長椅子の脇に佇むヴェンシナの顔も流し見ながら、精悍な頬を崩して晴れやかに笑った。


「二人とも久しぶりだな。ずっと逢いたかった、フレイア。やはり童顔のままだな、ヴェン」

「ええ……!」

「一体あなたはこちらでっ、何をしていらっしゃるんですかーっ!?」

 それまでよほど、我慢に我慢を重ねていたのだろう。瞳に熱を溢れさせながらも、相槌を打つのが精一杯のフレイアシュテュアの言に被さるようにして、ヴェンシナの声が部屋中に轟いた。

「鈍いやつだな。ランドリューシュのふりに決まっているだろう」

 青年は長椅子の背にもたれながら悠然と答える。相も変わらぬそのふてぶてしさを、喜ぶべきか嘆くべきなのか、ヴェンシナは複雑な心境だ。


「わかっています! だからこそお伺いしているんですっ! 本物のランディ様は、今どちらにいらっしゃるんですか? 重々懲りていらっしゃるでしょうに、よくもまた入れ替わりをご承知なさいましたねっ!?」

「ランディなら、私に代わってマイナールの離宮にいる。半日だけの約束ならば、王太子のままで仰々しく、州城に押しかけてこられるよりはましだと言われた」

 青年の正体は言わずもがな、ランドリューシュの名を騙ったアレフキースである。彼本人のみならず、本来は近衛騎士であるエリオールを、エトワ州城の護衛官に変装させているご丁寧さだ。


「あなたのわがままに、ランディ様ばかりでなくて、公爵様まで抱き込んでしまわれるなんて……」

「大いに乗り気で引き受けてくれたぞ。サリフォール公も好きだからな、こういうお遊びは」

 アレフキースの返答に、ヴェンシナはどっかりと疲労が増すのを感じた。今はもう辞職してしまったが、ランドリューシュが平民の名で近衛二番隊の副隊長を勤めていた頃、彼の母親であるサリフォール女公爵は、嫡男の不在を巧妙に隠していた。しれっとした顔つきで、王太子の悪戯に荷担するくらいはお手の物というわけだ。


「長らくお会いしていなかったので、すっかり忘れていましたけれど、あの方もそういう御方でしたよね……。ランディ様もサリフォール女公爵様も、つくづく殿下とご一緒のお血筋なんだって思います」

 そんな彼らが、フレイアシュテュアの新しい『家族』となったのだ。心強いような先が思い遣られるような……。自らの手から離れゆく純真な『妹』に、悪影響が及ばぬことを、ヴェンシナは切に祈らずにおれない。


「と、いうことなのでな、フレイア」

「はい?」

「今日だけは私を、殿下ではなくお義兄(にい)様と呼ぶように」

「お義兄様……。ひょっとして楽しんでいらっしゃるんですか?」

 大真面目を装ったアレフキースの戯言(たわごと)に、フレイアシュテュアの緊張もほぐれていた。言葉を紡ぐことを忘れていた唇に、柔らかな微笑みが舞い降りる。

「そう、楽しい。君とこうして戯れられる日を、私は指折り待ち詫びていたのだから」

 その表情に見惚れながらアレフキースは、甘く色づいたフレイアシュテュアの頬に手を伸ばした。ヴェンシナは軽く咳払いをしつつ、長椅子の背後から恋人たちの間に割って入る。


「ええと、一言よろしいですか?」

「何だ?」

「殿下は今、ランディ様としてこちらにいらっしゃるわけですよね。ですから周囲の方々に、誤解を与えるような振る舞いをなさっちゃ駄目ですよ」

 ランドリューシュを名乗っているならば、フレイアシュテュアに気安く触れてくれるなと、ヴェンシナは小舅のように――実際そのようなものだが――目くじらを立てているのだ。アレフキースはいささか不満げに手を引っ込めた。

「わかっている。人目を忍べと言うのだろう?」

「何だか微妙に引っかかるおっしゃりようですが、お気に留めていらっしゃるなら結構です。本当に自粛して下さいね」

 それは確かに気をつけなければならないことかもしれないが、アレフキースがこうもしっかりと念を押されているのを聞いていると、フレイアシュテュアにはどうにも気恥ずかしい。


「それにしても、どんな口実をつけてマイナールの離宮にいらしてたんですか? まさかまた捻挫の療養なんてことはありませんよね?」

 王太子が王都から離れる為には、それなりの理由が必要となるものだ。ヴェンシナにちくりと皮肉られてアレフキースは苦笑した。

「失礼なやつだな。私が今、マイナールにいるのは公用なのだぞ。王太子はメリーナへ赴く旅の途中に、マイナールの離宮に立ち寄って、休養をとっていることになっているのだ」

「メリーナ……? それでは、ヌネイルの王宮を訪問されるんですか?」

「そうだ」

「あちらには、駐在大使がいらっしゃるのに、殿下ご自身がわざわざですか?」

 ヴェンシナは訝しげな顔つきで確認を取った。ヌネイルはデレスの西の隣国であり、メリーナはその王都である。精巧な時計や自鳴琴(オルゴール)を産する、技術の粋と遊び心を集めた『撥条(ぜんまい)仕掛けの都』。


「心配するな。決して国交が悪化しているわけではない。父上の名代として、同盟協議会への出席だ。デレスは来期の盟主の座を、ヌネイルから引き継ぐことになっているからな。王太子の私が出向くのは、いわば同盟諸国に対しての箔付けだ」

 アレフキースの説明に、ヴェンシナはぽかんと目と口を丸くした。

「どうした?」

「いえっ、存外に固いお話だったので驚いただけです。僕はてっきり、ヌネイルの王女殿下とのご縁談を、お断りに向かわれるものだとばかり……」

「まあ、それも、付随した用向きの一つではある」

 アレフキースは歯切れ悪くその話題を流そうとした。勘鋭く図星をさしてしまったことを、ヴェンシナもすぐに後悔する。


「そのようなことをなさって、大丈夫なのですか?」

 少なからず動揺しながら、フレイアシュテュアが遠慮がちに口を挟んだ。由緒ある他国の王女と、己の実父すら知り得ぬフレイアシュテュアとでは比べるべくもない。どちらがよりアレフキースの妃として相応しいかは明白だ。

「ああ。ヌネイル王家との縁談は、デレスの王族に必ず持ち上がる社交辞令のようなものだからな。別段君が気に病むようなことではないぞ」

 フレイアシュテュアの不安を拭うようにして、アレフキースは微笑む。

「それでも、殿下ご本人からお断りになって、角が立つようなことはないのですか?」

 高貴な人々の婚約事情など、フレイアシュテュアに知る由もない。けれど、ささいな感情の(こじ)れであっても、国と国との問題にまでなりはしないかと――。懸念するフレイアシュテュアに、アレフキースは首を横に振った。


「実務的な折衝は大使が行なうことになるだろう。そもそもヌネイルの王女とは、年が離れ過ぎているのでな。決して私の恣意だけで退けるわけではない」

「……はい」

 それ以上の質疑はせずに、フレイアシュテュアはそっと頷いた。フレイアシュテュアにできるのは、アレフキースを信じて疑わぬこと。それだけだ。二人の交際はまだ公にされておらず、気弱に身を引くことも考えてしまうが、それを許してくれる恋人であるならば、フレイアシュテュアは今頃、公爵令嬢ではなく尼僧になっていただろう。


「気分を換えに外へ出ないか? サリフォール公からは、ぜひとも君に庭を見せておいて欲しいと頼まれているのだ」

 気詰まりな雰囲気を軽くするように、アレフキースは提案した。フレイアシュテュアは不思議そうに尋ねる。

「お庭を、ですか? 何かあるのですか?」

「それはここでは言えないな。だが、行ってみたくなっただろう?」

「ええ」

 意味深に誘いをかけて、アレフキースは先に席を立ち、フレイアシュテュアの手を引き上げた。二人の後からついて行こうとしたヴェンシナは、エリオールに阻まれる。


「エリー?」

「我々はこの場で待機を」

「……うん」

 王太子の身柄を預かるとあって、サリフォール女公爵は、州城の警備に万全を期していることだろう。 無粋な邪魔立てなどせずに、しばしの間、片目を瞑っていろということか。

 そう理解しながらも、とっさに動くことのできないヴェンシナを尻目に、エリオールはきびきびと主君に先回りして露台へと続く扉を開いた。

 戸口の前で、フレイアシュテュアがヴェンシナを振り返る。つられて眼差しを廻らせたアレフキースと目が合ったところで、ヴェンシナは慌てて一礼をした。


 エリオールは何も言わないが、フレイアシュテュアを案じるあまりに、自分は傍目に滑稽にも、野暮にも映っているかもしれない。ヴェンシナの心の内に、自嘲と共に寂しさがよぎった。もう今までと、同じ距離でいられる筈もないのに――。

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