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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
後日談
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「菫咲く頃」 1

 丘陵の狭間を這うようにして、街道は北へ北へと延びている。ぽつりぽつりと地に撒かれた、黄色いものに目を凝らすと、路傍に溶け残った雪を割って、小さな【春女神の菫】(フレイアシュテュア)が大地の芽吹きを知らせていた。

「何か珍しいものでも見えるの? フレイア」

 流れゆく車窓の景色から目を離して、フレイアシュテュアはヴェンシナを振り返った。

「ううん、この辺りにはね、シュレイサ村よりも名残の雪が多いように思っただけ」

「雪かあ……。ずいぶん北まで来たもんねえ」

「ええ」

 ヴェンシナは軽く伸び上がるようにしながら、箱馬車の窓から外を覗き込んだ。フレイアシュテュアの言う通りに、この地方の残雪は故郷よりも遙かに厚い。


 【南】(サテラ)州の辺境にあるシュレイサ村から、【北】(エトワ)州の州都マイナールへ――。

 南の外れから北の端へと、国をほぼ縦断するような長旅である。シュレイサ村からは遠く彼方に霞んで見えた【天を担ぐ巨人】(アズナディオス)山脈が、今は圧するほど近くに感じられるようになっていた。

「こんなにも広いのね、デレスは」

「うん」

 生まれ育った小さな村とは、比べるべくもないとわかっていても、デレスという国の大きさを、フレイアシュテュアは改めて実感する。


 未来の約束を残してアレフキースが去った後、フレイアシュテュアとエトワ州公サリフォール女公爵の養子縁組の計画は、極秘裏のうちに慎重に進められた。付き添いを命じられたヴェンシナの復調や、旅の安全性を考慮に入れて、フレイアシュテュアの旅立ちが菫咲く頃と決まったのは、昨年の暮れのことである。

 フレイアシュテュアはサリフォール家より派遣されてきた、女公爵の腹心の侍女に、貴族令嬢となる為の手ほどきを受けながら、故郷の村で『家族』と過ごす最後の季節を愛おしんだ。

 秋から冬へ。そして、春へ。離れ離れの期間はすっかりと長くなり、アレフキースへの恋しさは募っている。ようやく彼に近づけるのだと考えると、フレイアシュテュアの胸は喜びに満ちて小鳩のように震えた。

 けれども故郷に残してゆく、大切な人々や思い出の場所との決別は、いざ直面してみると予想を超えた痛みを伴った。迎えに寄越された二頭立ての瀟洒な馬車には、十数騎の騎馬隊が付き従っており、村の娘たちに羨望の溜め息をつかせる一方で、フレイアシュテュアを甚だしく萎縮させた。


 王太子であるアレフキースと、フレイアシュテュアを繋いでいるものは、互いを想う、恋心だけ。それは何にも勝る強靱な糸である一方で、あまりにも儚くて、心許ないものだ。

 大それたことをしているのだという重圧、そして、今までとはあまりにも違いすぎる新しい生活への不安が、波のように打ち寄せてフレイアシュテュアの心を苛んでいた。

 心細く感傷的になっているフレイアシュテュアの気持ちを汲んで、ヴェンシナは近衛騎士としての矜恃を押し通さず、旅の間馬車に同乗してゆくことを選んでくれた。『兄』と『妹』でいられる残り僅かな時間を、彼もまた惜しんでいたのかもしれない。


「もうすぐですよ」

 それぞれの感慨を胸にしまって、ただ、窓の外を眺め続けるフレイアシュテュアとヴェンシナに、侍女が穏やかに声をかけた。

「この丘を越えれば、マイナールが見えます」

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