(26-3)
「……誰に対する表だ?」
「例えば国王陛下ですとか。それから、口さがない噂好きに下らぬ詮索をされても、私が困りますからね」
アレフキースのお忍び休暇の事実は包み隠され、エルアンリとの決闘は、今後ランドリューシュの醜聞として語られてゆくことになる。今回の騒ぎで一番迷惑を被ったのは、結局のところこの人かもしれないと ヴェンシナはちらりと思った。
「国王か……。黙っておくわけにはゆかぬのであろうが、父や母にフレイアのことを話さねばならんのはどうにも気恥ずかしいな」
とはいえ国王は真実を知っている。王后もまた然りだ。両親への報告がよほど照れ臭い気がするのか、誰からも視線を外しているアレフキースに、思い切ってヴェンシナは尋ねた。
「一つお伺いしてもよろしいですか、殿下?」
「何だ? ヴェン」
「あなたはフレイアに、【東】州のフレイア尼僧院への移籍を提案されておいででしたが、本心からお考えのことなんですか?」
「……そういえば、そんな言付けをキーファーに頼んでいたな」
ヴェンシナに問われるまでもなく、盗賊のシュレイサ村襲撃とそれに続く一連の騒動の間に、アレフキースの決心は揺らいでいた。フレイアシュテュアを日陰の身にしたくないという思いに変わりはないが、ほおっておけばいつどんな形で失われてしまうかわからない彼女を、もう二度と手離したくないという切望もある。
「尼僧院に遣ってしまうのも、王宮に上げて愛妾にするのもどちらも嫌だな」
拗ねるような口調でぼやくアレフキースに、ランドリューシュが諭すように言った。
「既成事実は無くとも、同衾された以上はお手付きにしたも同然なのですから、お悩みになる前に、娘の意思を尊重して誠実な対応をなさいますよう」
「……そうだな」
フレイアシュテュアの答えは、聞かずともわかるような気がしてアレフキースは苦く笑んだ。王太子とは身分不相応な孤児という引け目も、緑の指の魔女であるという卑下も、彼女を酷く萎縮させてしまっているだろう。
それでも、王太子の権をもってすれば、フレイアシュテュアの意思に関係なく、彼女をシュレイサ村から奪い去ることは容易い。しかし、アレフキースの寵愛をどれほど受けたとしても、籠の鳥のような王宮暮らしは、身寄りも野心もない平民の娘に孤独と苦痛を強いるものになる。フレイアシュテュアを傍に上げることで、アレフキース自身は満たされるかもしれないが、愛しい娘に幸福を約束することができぬ以上、アレフキースは彼女にそれを強要しようとは思えなかった。
「フレイア尼僧院は、森の中にある静謐な教会だ。世間の好奇の目からも様々な危険からも、フレイアシュテュア自身と彼女の秘密を隠し守るのに、最適の場所となってくれるだろう。もしもフレイアが望むならの話だが、傷が癒え、旅に充分耐えられるほどに体力が回復してから、ヴェン、お前が尼僧院まで彼女を送り届けてやって欲しい」
黒い瞳にやるせない思いを滲ませながら、アレフキースはヴェンシナにそう依頼した。
「それは……」
主君の眼差しに胸をつかれて、ヴェンシナは口ごもる。
フレイアシュテュアの幸福がどこにあるのか、ヴェンシナはまだ思いあぐねていたが、彼の予想もまた、アレフキースのものと違うものではなかった。
「……確かに、承りました。王宮に復帰できる日が、何だか遠く感じられますね」
アレフキースとフレイアシュテュア。自分にとってかけがえのない存在である二人が、相思相愛の仲であることをヴェンシナは知っている。なのに彼らは、互いの立場を思うが故に別れを選ばざるを得ないのかと考えると、ヴェンシナにはどうにも歯痒くてたまらない。
*****
「王宮に戻らず、このまま故郷に残るか? ヴェン」
アレフキースは冗談めかしながら、ふと話題を変えた。
「……え?」
ヴェンシナは我が耳を疑い、呆然とアレフキースを見上げた。青ざめてゆく側近の顔に、アレフキースは若干困った様子で微笑した。
「ああ、悪いようにとらないでくれるか、ヴェン」
「ですが、殿下っ……! 痛っ……」
ヴェンシナは傷を庇いながら上半身を起こした。フレイアシュテュアの緑の指に癒されてはいるが、傷口はまだ完全に塞がれているわけではない。痛みにしばし言葉を忘れるヴェンシナの背を、エルフォンゾが優しく擦ってやる。
「そのままでいいと言わなかったか、ヴェン」
「ですがっ……、横になったまま伺うようなお話しとは思えません」
アレフキースは椅子代わりの寝台から立ち上がり、ヴェンシナの枕元に寄った。懸命に主君を見上げるヴェンシナの顔に、責めるようにアレフキースを見つめたシャレルの面影が重なる。
「ヴェン、礼がまだ済んでいなかったな。命を懸けて忠実に尽くしてくれたこと、心から感謝している。お前を私に預けてくれた、お前の『家族』にも同様にな」
主君に改まって謝意を示され、ヴェンシナの頬が紅潮する。アレフキースはおもむろに言を継いだ。
「近衛二番隊の編成に、どれほど熟考がなされているかは承知しているつもりだし、ランディに不服があることもわかっているが、私はお前を一度殉職させてしまったようなものだからな。エルアンリのことがあっても、お前がかねてからの希望通りに【南】州の国境警備隊へ移りたいというのなら、この機会に叶えてやりたいと思っている」
「……それは冗談ではなく、本気でおっしゃっているんですか?」
「無論のことだ。私は明後日の朝にシュレイサ村を立つことが決まったからな、急かすようだがそれまでに去就を定めておいて欲しい。もしも二番隊に留まる気があるのなら、そうしてくれた方が嬉しいがな」
「明後日の朝ですか……」
国境警備隊への転属を願い出れば、ヴェンシナはその初仕事として、盗賊に荒らされたシュレイサ村の復興を手伝うことになるだろう。サテラ州府主導の支援活動が終わっても、任地がサテラ州内であるならば、今のように三年毎の一月休暇を待つことなく、年に一、二度は帰省することができるかもしれない。
『家族』の近くで国境を守り、故郷の為に働きたいと望む一方で、唯一人と心に定めた黒髪の主君に、心惹かれてやまない気持ちもヴェンシナは自覚していた。アレフキースは遠く王宮に住まう王太子である。近衛二番隊の騎士であることを辞めてしまえば、おそらくそれが彼の『至宝』との永の別れとなってしまうだろう。
「ヴェンの童顔も見納めかもしれないからな、また折を見て顔を出してやろう」
ヴェンシナの感傷を払拭するように、アレフキースはからかい気味にそう言った。
「童顔は余計ですっ」
さらに頬を燃やすヴェンシナに、アレフキースは声を上げて笑った。
その屈託のない笑顔に、ヴェンシナの思いは揺らぐ。傷を負って運び込まれた聖堂の中で、ランドリューシュに告げられた言葉もまた、鮮やかに記憶に刻まれ彼の決断を鈍らせていた。
「長話をさせてしまったな、疲れてはいないか? しっかり養生するようにな、ヴェン。牧師殿、申し訳ないが、教会にはまだしばらく世話をかける。困ったことや要望があれば、何でも遠慮なく申し出るよう、あなたからも村の者たちに伝えて欲しい」
「ご厚情感謝申し上げます、王太子殿下」
「いや、なに、できることがあればするだけのことだ。みなの前で責を負うと見栄を張ったことだしたな、中途半端にならぬよう、真面目に働いてくることにしよう」
恐縮する老牧師にそう言って、アレフキースはランドリューシュに視線を向けた。心得たように立ち上がり、扉を開く腹心を連れて、アレフキースはヴェンシナの寝室を後にした。
その慕わしく丈高い後姿を、老牧師と共に見送って、ヴェンシナは思いがけず訪れた人生の岐路に向き合った。
主君への忠誠に生涯を捧げるか、『家族』と故郷の為に生きる道を選ぶか、思い悩むヴェンシナを慮り、エルフォンゾは優しく声をかける。
「シャレルにはカリヴァーがおるし、ラギィは強い子じゃからのう、ヴェンシナ、わしらのことは心配せんでいいからの」
「牧師様……」
「王太子殿下が特別にお目をかけて下さっておいでじゃからのう、村もじきに元のようになるじゃろうて」
「はい、そうですね……」
エルフォンゾの言葉に頷きながら、それでもヴェンシナは迷わずにはおれなかった。




