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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第二十六章 「岐路」
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(26-1)

 アレフキースがランドリューシュを伴って寝室をおとなうと、ヴェンシナは慌てて上半身を起こそうとした。付き添っていたエルフォンゾが手助けをしてやろうとするよりも早くに、アレフキースは言葉で押し止めた。

「ああ、そのままで構わない。傷に障るといけないからな、大人しく横になっていろ」

「……はい」

 ヴェンシナは素直に答え、栗色の頭をおもむろに枕に戻した。その胸元までエルフォンゾが、乱れたキルトをかけ直してやる。

「すみません、牧師様」

「いちいち詫びは不要じゃよ、ヴェンシナ」

 労るようにエルフォンゾは目を細める。休暇中の『ランディ』が寝起きをしていた寝台を椅子代わりに、アレフキースとランドリューシュは並んで腰を下ろした。


「随分顔色が良くなったようだな、ヴェン、安心したぞ」

「ありがとうございます、殿下」

 大らかに頬をほころばせるアレフキースを、ヴェンシナは少し眩しげに見上げる。

「まだ傷は痛むのか?」

「痛み止めが効いていますから、今は平気です」

「そうか、気分はどうだ?」

「気分は……そうですね、なんだかおかしな感じがします。僕はあなたに最期のお別れをしたつもりだったのに、今またこうしてお話しをさせて頂いている。ちょっと間が抜けていますよね」

 ヴェンシナは幾分くすぐったそうにそう言った。照れくさい気がするのはアレフキースも同様だ。

「それはお互い様だろう。だが、私はまたお前と話せて嬉しい」

「……僕もです、アレフキース様」

 アレフキースの真摯な言葉を受け止めて、ヴェンシナは感慨深く答えた。主君が自分の為に泣いてくれたという話を、ヴェンシナはキーファーから聞き及んでいた。そうしてフレイアシュテュアを喪いかけたその時に、アレフキースがどれほど取り乱していたのかということも。


「……フレイアも、命を取り留めたそうですね」

「ああ」

「……驚かれたでしょう、フレイアの秘密をお知りになられて」

 ほんの少し悩んだが、ヴェンシナは自分からその話題を切り出すことにした。目が覚めて、まだ生きているのだと悟ったときに、ヴェンシナは瞬時に何が起こったのかを理解した。自らの生存を喜ぶよりも先に、フレイアシュテュアの容態を案じて嘆くヴェンシナを、教え諭すようにして落ち着かせてくれたのはエルフォンゾである。

「驚いたが、正直、それどころじゃなかったな」

 アレフキースは昨日晒した醜態を思い起こして自嘲した。その隣でランドリューシュも、指先で口元を隠して声を出さずに笑っている。


 ランドリューシュを軽く睨んでから、アレフキースはヴェンシナに質した。

「ヴェン、お前は知っていたのだな。フレイアが、緑の指の女神であるということを」

「はい……。ラギィが拾われた子なんだって、殿下は既にご存知でしたよね。雪の中で死にかけていたのを、僕とフレイアとサリィの三人で見つけたんだって」

「ああ」

 ラグジュリエ自身から語られた身の上話と共に、教会所有の果樹園で過ごした金色に輝く時間を、アレフキースは思い出していた。あの平和で長閑な午後のひとときが、なんと遠く懐かしく感じられることであろうか。

「副隊長は、ラギィとサリィがわかりますか?」

「大丈夫だよ、私のことは気にしなくていい。殿下と話を続けたまえ」

「はい」

 ランドリューシュに答えて、ヴェンシナはアレフキースの黒い双眸を見つめ直した。榛色の生真面目な瞳で。


「サリィが驚いて逃げ出してしまった後に、フレイアはラギィを癒しました。絵本で見た【生命の女神】(フレイア)のように、凍えきった小さなラギィを膝に抱き上げて口付けて……。それでラギィの血色は戻って、元気になって泣き出したんですが、フレイアは雪の上に昏倒してしまったきり、何度呼びかけても身体を揺すっても、目覚めてはくれませんでした。

 止んでいた雪が降り出して……、フレイアの身体にどんどんと積もり始めて……、そのまま彼女が死んでしまうんじゃないかって、僕はとても、怖くて……」

 遠く寒い冬の日の情景を、つい先頃の出来事のようにまざまざと思い返しながら、ヴェンシナは身を震わせた。その時のヴェンシナの心情を、アレフキースは我がことのように感じることができる。それはおそらく、昨日彼が抱いた絶望感と寸分違うものではないだろう。


「だから僕は、フレイアに約束をさせました。ラギィにしたようなことを、もう二度とやっちゃ駄目だって。そんな力があることを、絶対に、誰にも知られちゃいけないって」

 それは、ヴェンシナがフレイアシュテュアに押しつけた、利己的な願いであったかもしれない。

 けれどもフレイアシュテュアには、正しく伝わっていたのだろう。自分自身を大切にして欲しい一心で、ヴェンシナが『妹』に結ばせた約束であることを。そうしてフレイアシュテュアは女神であることを隠し通して、シュレイサ村で魔女と呼ばれ続けてきた。


「教会の花壇に【秋女神の薔薇】(フィオフィニア)が根付くのも、教会の果樹園に毎年見事な林檎が実るのも、フレイアが緑の指で触れ、大切に育んでいるからなんだと僕は思います。フレイアが本当は、魔女じゃなくて女神なんだっていうことを、僕は、僕だけは、知っていたんです。なのに……」

 込み上げる思いが溢れ、ヴェンシナの視界を揺るがせる。涙を見られるのが恥ずかしくて、ヴェンシナは両手の指を組んで瞼を覆った。

「みんなの目の前で、僕の為に命を割いてしまうなんて……。馬鹿なことを……フレイア……」


「過ぎたことだ、ヴェン」

 アレフキースはヴェンシナを励ますように言葉を続けた。

「フレイアは生きているし、お前を救えたことで、彼女はとても満足そうに見えた。だが、あのままフレイアの意識が戻ってこなかったらと想像すると、私は今でも身が竦むような心地がする。案じずとも、フレイアが奇跡の娘であることを、私は誰にも明かすつもりはない。みなもまた同じ気持ちで、彼女の秘密を守ってくれるだろう」

「そうですね……」


 ヴェンシナの心に、じわりと温かなものが満ちてゆく。

 失ってしまったものは、自分だけの宝物。けれどもヴェンシナの身体の内には今、代わりに授けられたもっと貴重なものが息づいている。フレイアシュテュアに与えられた新たな生を、一日一日大切に生きていこうと、ヴェンシナは改めて胸に誓っていた。

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