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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第二十四章 「女神」
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(24-4)

「!!」

 そこには奇跡が起こっていた。

 ヴェンシナの腹を無残に抉っていた深い刺傷は、痛々しい痕を残しながらも肉が盛り上がり塞りかけていた。ありえない早さでの回復に、誰も彼も一様に息を飲む。

 キーファーは畏れ崇めるように、アレフキースの腕の中に倒れこんでいるフレイアシュテュアを見つめた。

「殿下……その方は……?」

 アレフキースに答えられるべくもない。首を横に振るばかりの彼に代わるようにして、動転しきったサリエットが叫んだ。


「フレイアは魔女よ!」

 一同の注目を集めながら、『腹違いの妹』に向けてきた憐憫と情愛を、ものの見事に裏切られたような思いでサリエットは続けた。

「盗賊の娘でも、まして、お父様の子供である筈がないわっ! 【精霊の家】(シルヴィナ)に棲む魔物の娘! でなければどうしてっ……、こんなことができるの!?」

「魔女だなんて、まさか、聖女じゃありませんか!」

 聞き咎めてキーファーが反論した。さらにはラグジュリエが、両手を硬く握り締めて主張する。

「違うわっ! フレイアはやっぱり【生命の女神】(フレイア)なんだわっ! 命を与えて下さる、緑の指の女神様!!」


「魔女でも聖女でも女神でも何でもいい! フレイア――!!」

 アレフキースは亡骸(なきがら)のようなフレイアシュテュアを抱き締めて叫号(きゅうごう)した。

「フレイアシュテュア! 目を開けてくれ!!」

「アレフキース!!」

 ランドリューシュは動揺するアレフキースの肩を強く揺さぶった。

「しっかりしなさい! あなたらしくもない! 私はこんな情けない主君を持った覚えはありませんよ!」

 アレフキースの胸に、フレイアシュテュアの身体から微かな鼓動が伝わる。しかしそれはあまりにも微弱で、今にも消えてしまいそうに儚かった。

「ランドリューシュ……、フレイアの身体が冷え切っている。死人を抱いているようだ……」

「なんて顔をなさっておいでです、あなたの方が死にそうではありませんか」

 初めて見るアレフキースの心底弱りきったような表情に、ランドリューシュは驚愕した。同時に彼の心をこれほどまでに占めている、フレイアシュテュアに対して賞賛も感じる。


 エルフォンゾがおもむろに進み出て、フレイアシュテュアの脈拍を確かめた。そうしてから老牧師はアレフキースに尋ねた。

「フレイアの部屋は、ご存知でしたかのう」

「……ああ」

「ではご足労をかけますが、この子を部屋まで運んでやって下さいますかのう。ヴェンシナの命を繋いで、この子の魂は安らいでいるようじゃ。このまま天に召されても悔いのない顔に見えますが、それでは残される者があまりにも辛いですからのう」

 穏やかに話すエルフォンゾの声に、アレフキースは幾分落ち着きを取り戻した。神に縋るような気持ちで、その代弁者に神妙に問いかける。


「フレイアを部屋で休ませて、それからどうしてやればいい? ただそれだけで息を吹き返すというものでもなかろう」

 エルフォンゾは老いた指を伸ばして、フレイアシュテュアの背に流れる髪をいとおしげに撫でつけた。

「この子は過去にも一度、死に瀕していた幼子の命を救って、同じように生死の境を彷徨(さまよ)ったことがありましてのう。その時は教会の『姉』や『兄』たちが、雛鳥のように身を寄せ合って共寝をし、みなでこの子を温めて、現世(うつしよ)に魂を呼び戻しました」

「……! その時のこと、よく覚えてるわ、私……」

「そうだね、僕もだ。だけどまさか、こんな理由だったなんて……」

 老牧師が語る出来事の記憶は確かに、シャレルとカリヴェルトの中にもあった。追憶を確かめ合うように互いを見つめた後、二人は揃って眼差しをラグジュリエに向けた。

 遠く寒い冬の日に、まだ子供だったフレイアシュテュアは、意識を無くし凍え切って教会に運び込まれてきた。ヴェンシナが大人を連れて戻って来るまで、彼女が抱いて温めていたという赤毛の幼児は、雪の中で置き去りにされていたとは思えないほど、元気な状態で保護されたというのに。


「……あたし?」

 ラグジュリエはふと思いついて、エルフォンゾに確かめた。

「フレイアが昔、助けてくれたのはあたしなんでしょ? 牧師様」

「そうじゃよ、ラギィ。ヴェンシナだけがその目で見届けて、ずっとわしにも黙っておったがのう」

 それでもエルフォンゾは気付いていた。フレイアシュテュアが生きとし生けるものを癒し育む、緑の指を授けられた、春女神フレイアの寵愛を受けた娘であるということに。そうしてヴェンシナが、その秘密を誰にも漏らさぬようにと、繰り返し彼女に言い聞かせてきたことにも。


 エルフォンゾは慈悲深い目を廻らせて、アレフキースの黒い瞳を覗き込んだ。

「フレイアを愛おしんでおいでなら、御身で温めてやって下さいますかのう。あなたが温もりを分けて下されば、この子も生きようと努力をするでしょうからの」

 アレフキースは頷いて、フレイアシュテュアの淡く微笑むような安らかな顔を見つめながら、壊れ物を扱うようにその身体を抱え上げた。両手の塞がった主君を手伝い、ランドリューシュが無言のままに部屋の扉を開く。

「一緒に行ってもらえるかのう、ラギィ。悪いがのう、サリエットも。王太子殿下の御手を、煩わせるわけにはいかぬこともあるだろうからの」

「わかったわ、牧師様」

 ラグジュリエはしっかりとした返事をして、床の上で呆然としたままのサリエットの手を引いた。年下の喧嘩友達に案じるように促されて、サリエットは緑の瞳に気丈な輝きを取り戻す。



*****



 サリエットがキルトと毛布を剥いだ寝台の上に、アレフキースはフレイアシュテュアを横たえた。その後を追うようにして、ラグジュリエが湯を張った洗面器を抱えてやってくる。

 アレフキースを一旦部屋の外に追い出して、ラグジュリエとサリエットはフレイアシュテュアの服を脱がせ、その肌を擦り温めながら彼女に付着したヴェンシナの血を拭った。

 その間にアレフキースは浴室に行き、戦いで汚れた血生臭い身体を手早く洗い清めた。

 入浴を終えた主君に、乾いた浴布(タオル)を差し出しながらランドリューシュは釘を刺した。

「このような折に、無粋なことを申し上げたくはありませんが、分別の無い行いは控えて下さいますように」

「……言っているではないか」

 ランドリューシュの言葉に、アレフキースは憮然とする。



 フレイアシュテュアの部屋に戻ってノックをすると、サリエットが扉を開いてアレフキースを迎え入れた。

「どうぞ、フレイアを着替えさせておいたわよ。後はお願いするわね、『王太子様』」

 サリエットはいつもの調子を取り戻した様子で、揶揄するように言った。

「行くわよ、ラギィ。あんたもあたしもお邪魔なんだからね」

「うん……」

 ラグジュリエは名残惜しそうに、フレイアシュテュアの寝台からもぞもぞと這い出した。ラグジュリエはアレフキースの前で足を止め、泣き腫らした跡のある大きな青い目で、その均整の取れた長身を懸命に見上げた。


「フレイアを絶対絶対助けてね、約束よ」

「ああ」

 アレフキースは短く答えた。シルヴィナの森で出逢ってからの僅かな期間に、フレイアシュテュアは彼の腕から幾度すり抜けていったことだろう。その度に悔しさを、切なさを、憤りを味わってきたが、彼女の命が永遠に失われてしまうかもしれないという此度の絶望は、これまでのものとは比べ物にならないほど深かった。

「あなたも酷くお疲れでしょう。ご一緒にゆっくりとお休みになって下さい」

 ランドリューシュは優雅にお辞儀をしてから、娘たちを促して扉の向こうに消えた。


 窓に引いた厚い帳で、陽の光を遮った薄暗い部屋の中で、腰の下穿きだけを残し、アレフキースは衣服を脱ぎ捨てた。そして幾分ためらいながら、フレイアシュテュアが寝かされている狭い寝台に滑り込む。

「フレイア……」

 薄い肌着を通して伝わる、その柔肌の冷たさに改めてぞくりとした。

 アレフキースはフレイアシュテュアの青白い頬を愛撫した。僅かに開いた氷のような唇に、自らの熱い唇を重ねる。溢れる生気を注ぎ込むようにして。


「命を、与えられるというのなら、奪うこともまた、できるだろう……? その緑の指で、私の命の炎を受け取るがいい。私の心臓は、ここだ――、フレイア」

 冷え切ったフレイアシュテュアの身体を抱きながら、アレフキースは彼女の手のひらを己が心臓の位置に当てた。拒むような圧迫がふわりと胸を押し戻す気がした。構わずアレフキースはフレイアシュテュアの手を握り締める。

 ……やがて氷が溶け出すように、身の内にある熱のようなものが、鼓動と共にフレイアシュテュアの手に伝わり流れ出すのを感じた。触れ合う箇所から溶け合うような不思議な心地よさを覚えながら、アレフキースの意識もまた、まどろみの中に引き込まれていった。

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