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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第二十四章 「女神」
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(24-2)

「……ああ、姉さん……」

 ヴェンシナは青ざめた指先で、泣き崩れるシャレルの頬を掠るように拭った。

「駄目だよ、そんなに、泣いちゃ……、美人が台無し……」

 弟の手を自分の頬に押し付けるように握って、シャレルはさらに激しく嗚咽した。死期の近いヴェンシナを前にして、シャレルにはもう言葉が湧いてこない。

 十八年前、シャレルの両親は、子供たちを隠し守って盗賊に殺された。幼い彼女が抱いて逃げた、その頃赤ん坊だった弟は、長じて軍人になる道を選び取り、再び村を襲った盗賊から、故郷の人々を守り、主君である王太子を庇って、今、シャレルの目の前で喪われようとしている。


「駄目だ……て、言ってるのに、ねえ、ラギィ……」

 姉の傍らに添うラグジュリエに、ヴェンシナは視線を転じた。ラグジュリエはごしごしと目を擦りながら、怒ったようにヴェンシナに問いかける。

「なっ、何よっ」

「困ったな……君も、泣いてるの……? 僕の為、に……?」

「当たり前じゃないっ! ヴェンの馬鹿っ!!」

 また溢れ出した涙をぼろぼろと零しながらラグジュリエは怒鳴った。その赤い髪を撫でて慰めてやりたいが、ヴェンシナにはもう、その余力すらない。


 手術を終えたヴェンシナの身体は二階の客室に移されていた。トゥリアンより応援の医者たちを迎え、彼らの温情を受けて、夜通しの救護活動と死者の弔いで、憔悴しきっていたエルフォンゾとカリヴェルトも、かけがえのない『家族』を看取る為に付き添っている。

 その部屋の扉がもどかしげにノックされ、誰の返事も待たずに勢いよく開けられた。

「――ヴェンッ!!」

 腹に響くような若い男の声が、朦朧とし始めたヴェンシナの耳に届いた。聞き慣れた力強い声。強引で得手勝手で、大らかで温かい、大切な、唯一人の主君の――。


「……そのお声は……、殿下、ですか……?」

「そうだ、私がわかるか?」

「はい……、わかります……、殿下……。ああ、ご無事で……」

 返り血で赤黒く染められた近衛騎士の制服姿のままで、近付いてくるアレフキースの堂々とした長身を、かすむ瞳に焼き付けながら、ヴェンシナは心のつかえが取れたように微笑した。

 ヴェンシナの気持ちを思い遣って、エルフォンゾはシャレルとラグジュリエを優しく促し、娘たちに彼の枕元をアレフキースに譲らせた。死の影が濃いヴェンシナの姿を目の当たりにして、衝撃を隠せないアレフキースに代わって、ランドリューシュが彼の『家族』たちに感謝を示し目礼をする。


「全く、あなたと、いう方は……。すぐに、無茶をして……、僕に、心配ばかり……かけて、下さる……」

 枕元に膝を下ろしたアレフキースに、ヴェンシナは待ちかねたように小言を言った。

「……すまない」

 アレフキースは素直に謝罪した。思えばヴェンシナには、休暇の間もそれ以前にも、常に何かしらの心配や迷惑をかけて、叱られ続けてきた気がする。

「あなたに、お仕えをして、いたら……、僕はいくつ……命が、あっても……足りそうに、ありません……」

「だからといって、捨ててもいい命はないぞ、ヴェン」

 血塗れた手袋を外し、ヴェンシナの額髪をかきあげてやりながら、アレフキースは力づけるように笑って見せた。


「ええ……そう、です、ね――」

 答えてヴェンシナは、血を吐きながら激しく咳き込んだ。苦しげに身体を折る義弟(おとうと)の背をさすって、カリヴェルトが懸命にその名を呼ぶ。

「ヴェン!」

「この馬鹿が! もう喋るな!」

 カリヴェルトがさらなる処置を施そうとするよりも早くに、アレフキースはヴェンシナの頭を抱き起こし、その気道を確保した。喘ぐような息を繰り返しながらヴェンシナは、それでも話すことをやめなかった。


「……アレフキース、様」

「何だ?」

「ほんとに……、とんだ、休暇に、なっちゃいました、けど……、あなたが一緒に、来て下さって、よか……た。僕、では、……守りきれな、かった……。姉さんも、ラギィ、も、誰……も……」

「お前はよくやった! 驕っていい、誇っていいのだ! だけど――、駄目だ! お前には、これからまだ手伝って欲しいことがたくさんある! こんな早くに、私の為に逝くのは許さない!!」

 ヴェンシナの功を認めながら、アレフキースは彼を責め立てた。身勝手で理不尽な言い分であることは承知の上である。

 国を守り民を救う為とはいえ、アレフキースは神に許されざる罪を犯した。少なくない数の盗賊たちを傷つけ、殺め、さらに多くを殺させたのだ。その痛みも重みも、彼は生涯背負ってゆかねばならない。王となるべく生を受けた者として、その覚悟はできているが、神が今、彼に求める代償が、忠実な側近の命であるというならば、その損失はあまりにも大きすぎる。


 自らの生命を惜しんでくれるアレフキースに、ヴェンシナはどうしても確認しておきたいことがあった。そうして伝えておきたいことも。

「殿下……、フレイア、は……?」

「ちゃんと取り返した! もうすぐここへ来るだろう。自分の目で確かめるといい!」

 予想に違わぬ答えを貰って、ヴェンシナは安堵しながら困ったように笑んだ。待っていたいのはやまやまだが、魂は器を脱ぎ捨てて飛翔を始めようとしていた。残された時間が僅かであることを彼は悟っていた。


「よか……た……。彼……女は」

 ヴェンシナの脳裏に、懐かしい記憶が目まぐるしく蘇る。幼子の頃も思春期の頃も、誰よりも長い時間を共に過ごしてきたのは、姉のシャレルでも、祖父のような老牧師でも、カリヴェルトでもラグジュリエでもサリエットでもない。彼が宝物のように大事に思い続けてきた、春女神のようなフレイアシュテュアだ。

「魔女……なんかじゃ、ない……。フレイア、は……、僕の……、大切な……、生命の、女神……」

「ヴェンッ!!」

 ヴェンシナの意識は混濁した。娘たちが一斉に悲鳴を上げる。

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