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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第十三章 「相思」
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(13-3)

 厚い毛織の布で包んだ、フィオフィニアの束を抱えるフレイアシュテュアと共に、ランディはシルヴィナの森を抜けた。少し離れた丘に見える双子の木立との位置関係を目印に、森の外で乗り捨ててきたガルーシアの姿を捜す。

「――ヴェン!?」

 ガルーシアの傍で、見慣れた栗毛の馬がのんびりと草を食んでいた。乗り手の身体に合わせて、ガルーシアよりも少し小柄なヴェンシナの愛馬には、主人に相通じるような人好きのする愛嬌がある。

「お戻りですか」

 背の低い木にもたれかかり、空を仰ぐようにして座り込んでいたヴェンシナは、驚いた様子で自分の名を呼ぶランディの声に立ち上がって、厳しい顔つきで二人を迎えた。


「ヴェン、よく、ここが――」

「ガルーシアだけを先に見つけてっ、僕がどれだけ心配したと思うんですかっ!!」

 ランディが言い終わるのを待たずに、ヴェンシナは激しく彼を叱りつけた。

「ヴェン」

「冗談じゃありませんよっ!! あなたはフレイアのように、シルヴィナの森に詳しいわけじゃない! フレイアの気に入りの泉が、めったに誰も行かないような森の深いところにあることくらい、僕だって知っているんです!!」

「ヴェン、すまない」

 ほとばしるような感情のままに、怒りを露わにするヴェンシナの肩に手を置いて、ランディは素直に謝った。


「ヴェン、ちゃんと見つけていただいたわ」

 ランディと反対の側からヴェンシナの腕に触れて、フレイアシュテュアは『兄』に訴えた。

「勝手に抜け出した私が悪いの。ヴェン、だから……」

「フレイア、そうじゃないよ」

 ヴェンシナは得手勝手なランディから、フレイアシュテュアに視線を移した。『妹』を案じる『兄』の眼差しは、いつも優しく、少し切ない。

「君の悪い癖だよ、フレイア。君は昔から、何でもすぐに自分のせいにしてしまう。フレイアはもっとわがままを言ったっていいんだよ」


「お前……、それは、扱いがまるで違うぞ?」

 横から口を挟むランディをキッと睨みつけて、ヴェンシナはけんけんと噛み付いた。

「あなたは今でも充分、ご自分に正直でいらっしゃるじゃありませんか!」

「これでもそれなりに、我慢はしているつもりなのだがなあ」

「本当ですか? 実に怪しいものですよね」

 しばらく会わなかったせいもあるのかもしれないが、フレイアシュテュアはいつになく美しく見える。親しげでありながらどこかよそよそしさを漂わせる二人の距離感に、ヴェンシナは自分の知らない空白の時間のうちに、何事かがあったに違いないと敏感に察していた。


「ランディが馬で出かけられる姿を見かけて、村長はフレイアが抜け出したことに気付かれました。サリィが上手く宥めてくれましたので、前のように騒ぎ立てていらっしゃるようなことはありませんけれど」

 そこで言葉を途切らせて、ヴェンシナは悲痛な表情で眉を寄せ、改めてフレイアシュテュアに向き直った。

「フレイア、エルアンリ様が、今夜遅くに村へお見えになるらしいよ。サリィの話では、エルアンリ様はもう、君が成人するのをお待ちになるつもりはないみたいだ」

 フレイアシュテュアはびくりと身を震わせた。抱えたフィオフィニアの大きな束を知らず胸に抱き締める。僅かな温もりの記憶すらない、母親にすがりでもするように。


「明日、姉さんたちの結婚式に参列して、綺麗に着飾らせた君を僕らに見せびらかしてから、そのままトゥリアンに連れて行ってしまうんじゃないかって。だから、フレイア」

 ヴェンシナは力づけるように、薔薇を抱くフレイアシュテュアの両手を握り締めた。彼女を守りたい気持ちはヴェンシナも同じだ。実際彼は守り続けてきたのだから。幼いフレイアシュテュアが、母親を亡くした時から、ずっと――。

「君が逃げたいなら、今から僕が逃がしてあげる。レルギット領から離れてしまえば、多分エルアンリ様は追ってこない。エルミルトまで行ってしまえばなんとかなるよ」


「そんな――駄目よ、ヴェン」

 フレイアシュテュアは頑なに(かぶり)を振った。

「今私が逃げたら、シャレルとカリヴァーの結婚式をだいなしにしてしまうわ!」

「姉さんもカリヴァーも、君だけを不幸にして、幸せにはなれないんだよ、フレイア」

 ヴェンシナは諭すように言った。シャレルはもう嘆くことも懺悔もやめていたが、美しい花嫁衣裳を前にしても、心浮かない様子で沈んでいた。式の準備の混乱に紛れて、フレイアシュテュアが逃げ出したと知ったら、いっそ晴れ晴れとした表情を見せてくれるかもしれない。

「二人はそう言ってくれるかもしれないわ。だけど、その思いは私も同じだわ。自分一人の幸せと、みんなの不幸せを引き換えにはできないもの……」

 エルアンリが村に対して行う仕打ちを想像すると、フレイアシュテュアはどうしても、ヴェンシナの提案を受け入れることができなかった。ランディは互いに譲りそうもない二人を見かねて、間に入ることにした。


「ヴェン、とにかく村に帰ろう。フレイアの気持ちは固そうだ」

「ですが、ランディ!」

「フレイアがどのような娘かは、私よりもお前の方がよく知っているのではないか? それに、エルアンリが村に来るというならば、丁度いい」

「ランディ……?」

 ランディの黒い瞳の輝きに、背筋に冷やりとしたものを感じながらヴェンシナは問うた。

「以前にも伺いましたが、本当に何をお考えです?」

「エルアンリと少し話したいだけだ。たいしたことではない」

 ランディは事も無げに答えた。その落ち着きぶりがヴェンシナに、何とも形容しがたい不安を煽る。


「そんな――、道理の通る方じゃありませんよ。ご存知でしょう?」

「ならば通させればいい。それに私は、村とは本来何の関係もないからな。私が何をしようが、シュレイサ村の民人に迷惑がかかるということもなかろう」

「……僕にとっては大迷惑な気がするんですが……」

 ことランディに係わる限り、後ろ向きな予感は大概において的中することを、ヴェンシナは過去の経験から嫌というほど学んでいる。ランディは否定してくれることなくあっさりと言った。

「今回ばかりは大目に見ろ。お前もフレイアを、エルアンリに渡したくはないのだろう?」

「それはそうですけどっ……!」

 近衛二番隊の騎士としての想い、フレイアシュテュアの『兄』としての想い。選ぶことのできない二つの大切な存在の狭間で、ヴェンシナは苦悩するばかりだ。


「ランディ……? 一体何をするつもりですか? 私の為なら止めて下さい」

 フレイアシュテュアが気遣わしげにランディを見上げる。自分の身が危機に晒されていても、他人のことばかりを考えて優先させる娘だ。その心根が、ランディには、愛おしくももどかしい。

「違う、フレイア、私自身の為にすることだ。だから君は何一つ気に病むことはない」

 そう答えて、ランディは――笑った。

「私は君と違って、自分に正直らしいからな。ヴェンや君が何を言っても、好きにさせて貰おう」

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