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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第十三章 「相思」
37/98

(13-2)

 シルヴィナの森は、しばらく見ぬうちに、さらに紅葉を深くしていた。

 ランディは前回と同様に、愛馬を森の傍で放して、その紅い、燃えるような闇の中へと一人分け入った。

 フレイアシュテュアと出逢ったのは、森の一隅に開けた小さな泉の近くだった。そこへ向かう道のりの、ともすれば方向を見失いそうな鬱蒼とした木々の間に、時折鮮やかな黄金の木漏れ陽が落ちている。

 金色の輝きはフレイアシュテュアの長い髪を連想させる。その煌きに導かれるようにして、ランディはフレイアシュテュアとめぐり逢ったのだ。緑と琥珀の色違いの瞳をした、森の精霊のような娘。女神の名を持ちながら、魔女と呼ばれる清らかな少女――。



*****



「フレイア!」

 少し迷った末に、ようやく辿り着いた泉のほとりで、ランディは捜し求めたフレイアシュテュアの気配を見つけた。フレイアシュテュアはまた木の陰に隠れていた。自分の名を呼ぶ声に、泉を訪れたのがランディであることを知り、フレイアシュテュアは声を震わせながらその姿を覗かせる。

「ランディ……?」

「!!」

 フレイアシュシュアを視界に捉えたランディは、血相を変えて彼女に近づいた。

 再会後初めての会話は甘いものにならなかった。フレイアシュテュアがその胸元に、剪定(せんてい)用の頑丈な鋏をしっかりと握り締めていたからである。


「君はこんなところで! そんなものを持って何をしているのだ!?」

 フレイアシュテュアの上腕を掴んで、ランディは開口一番に怒鳴りつけた。

「……あの……花を……、摘んでいたんです……」

 ランディの思いがけない剣幕に、フレイアシュテュアはどきどきしながら答えた。心臓が早鐘を打っているのは、決して恋の為だけではない。

「花……?」

「ええ……、【秋女神の薔薇】(フィオフィニア)、です……」

 フレイアシュテュアは呼吸を整えながら、自由な右手で泉の周りに群生している背の低いいばらを指差した。よく見ればその手には、ヴェンシナの王都土産の手袋を嵌めている。


「フィオフィニア……?」

 早とちりを恥じて、冷静さを取り戻しながら、ランディはフレイアシュテュアの指先が示す方向に視線を向けた。

 いばらは以前泉を訪れた時とは、まるで様相が一変していた。固く結ばれていた黄金の蕾がほころび、その高貴な色の花弁を誇らしげに開いている。今を盛りに乱れ咲く大輪の薔薇に、ランディはしばし目を奪われ言葉を失った。

「これがフィオフィニアです。ご覧になるのは初めてですか?」

「いや……、しかし、ここまで見事なものは初めてだ」

 フィオフィニアは野生の薔薇である。それ故に、都会育ちのランディは、花瓶に活けられた切り花以外をほとんど眼にしたことがなかった。野にあってこそ鮮やかに息づく秋女神の薔薇。フレイアシュテュアの母親と、同じ名前の黄金の薔薇――。


「どうしても、この花が欲しかったんです。教会の花壇に植え替えて、育てていた株は枯れてしまったから」

「何故?」

「花束と花冠を作るんです。秋の花嫁を飾る花は、これでなくてはいけませんから」

 四季の神々と花に纏わる幸福の伝説を、フレイアシュテュアは信じていた。

 殊にフィオは、秋の女神であると同時に結婚や家庭を守護する愛の女神でもある。その恩恵を受けることを願って、秋に結ばれる夫婦は数多い。


「……シャレルの為か?」

 ランディは吐息をつくように問いかけた。フレイアシュテュアはゆるりと(かぶり)を振った。

「いいえ、自分の為です。シャレルと約束をしていたのに、明日の支度の手伝いはできそうにありませんから。だから、お祝いに、せめてこれだけはと――」

 答えるフレイアシュテュアの手から鋏を取り上げ、それを地に放り投げて、ランディは娘のなよやかな身体を引き寄せ抱き締めた。驚きと恐れで、小さく身を震わせるフレイアシュテュアの、その柔らかな金色の髪に頬を埋める。


「このようなことをヴェンに知られたら、何と言われるかわからないな」

「……ランディ……?」

 ランディはヴェンシナが、自分がフレイアシュテュアを傷つけることのないように、ずっと懸念して見張っていたことに気付いていた。

 フレイアシュテュア自身の為に、彼女を大切にしているヴェンシナの為に、ランディは気持ちを殺し衝動を抑える努力はしてきたつもりだが、抑圧すればするほどに、想いは濃さを増し、積もりゆくものだ。


「フレイア、もし――」

 愛しい娘をようやく胸に抱いた喜びと、喪失を予感する痛み。鋭く心を突き抜けてゆく相反する想いに痺れながら、ランディは尋ねた。

「もし、エルアンリのもとに行くことなく、自由になれるとしたら、君はどうしたい?」

「……考えたこともありません。虚しいだけですから」

「では、今、思いつくことを言ってみるがいい。君の望みは何だ?」

「……それは……」


 ランディの腕の中で、フレイアシュテュアは身じろぎした。

 長い睫にけぶる潤んだ目が、物言いたげにランディの黒い瞳を見上げる。秘めたる熱情の溢れる琥珀の瞳、慎重に心を止めようとする緑の瞳。せめぎ合う想いにフレイアシュテュアの心も乱れていた。

 この黒髪の青年の傍らで、心を重ね、共に生きてゆくことが叶うならば、それに勝る幸福はないとフレイアシュテュアは思う。けれども、他人から魔女と呼ばれる素性の怪しい田舎娘が、輝かしく眩しいばかりの都の騎士を、どうすれば繋ぎ止めておけるというのだろう?


「……神々の御許で、心安らかに過ごすことができるなら、それ以上のことは望みません」

「神?」

「シュレイサ村を出て、レルギット領からも離れて……、どこか遠い場所にある、尼僧院に身を寄せたいと思います……」

「……そうか」

 色の異なる瞳を厭い、他人とは違う自分を卑下してきたフレイアシュテュアは、類稀な美しい娘に生まれついていながら、己の中に愛される価値を見出すことができない。

 臆病に本心を偽るフレイアシュテュアの願いを、ランディは切なく胸に刻んだ。


「覚えておこう、フレイア。だからと言ってはなんだが、私にも君に、記憶しておいて貰いたいことがある」

「何でしょう?」

 言葉の前に、ランディは行動した。フレイアシュテュアの白い頬に手を添えて、甘美な果実のような紅い唇を奪ったのだ。

「フレイア、私は、君に同情してエルアンリから守りたいと思っているのではないし、戯れに君を求めたわけでもない。そのことだけは、忘れないで欲しい」

「……はい」

 それは、互いに明確な想いを打ち明けぬままに、二人の恋が成就した瞬間であった。

 ほんのひと時だけの、儚い夢の、ような……。

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