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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第十一章 「喪失」
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(11-3)

 数刻の後、午後の収穫の終わりを知らせるように、カリヴェルトが再び荷馬車で果樹園にやってきた。

 摘み取った林檎を籠ごと馬車の荷台に積んで、カリヴェルトを送り出してから、道端の花を摘んだり、草笛を吹いたり、迷子の鶏を追ったりしながら、五人は笑いさざめき、ゆったりと歩いて教会に戻った。

「お帰り。みな今日もよう働いてくれたようじゃの」

 教会の庭先で、エルフォンゾは孫のような年頃の若者たちを出迎えた。

 その傍らには、ちょうど老牧師に見送られているところであった、緑の目に白髪混じりの薄茶の髪の、憔悴した初老の男もいた。


「お父様!」

「お帰り、サリィ」

 シュレイサ村の村長は、小走りに駆け寄る愛娘の姿にも、心癒されない様子で青ざめている。

「どうなさったの? 何か……良くない知らせね?」

 サリエットは父親の腕に手を添えて、労わるようにその顔を覗き込んだ。

「困ったことになった。エルアンリ様が――」

 言いさして、翳りを帯びた村長の眼差しは、サリエットの肩越しにフレイアシュテュアのほっそりとした姿を捉えた。

 悪い予感に怯えて身を硬くしたフレイアシュテュアを、ランディは村長から隠すように背後に匿う。ラグジュリエは不安げに、大切な『姉』にそっと寄り添った。


「フレイア、今から一緒に、わしの家に戻っておくれ」

「!!」

 予想に違わぬ村長の言葉に、一同の間に緊張が走る。エルフォンゾが珍しく険しい表情で村長に訴えた。

「そのお話は、先ほどわしからお断りした筈じゃがのう」

「しかし牧師様、それでは村が――」

「十を守る為に一を捨てようとすることを、神々はお許し下さるまい」

 毅然と神の教えを説くエルフォンゾに、村長は暗く憎らしげな眼差しを向けた。

「神が何を――? あの悲劇の夜に、神が何をして下さったというのです!? 神はわしの妻を見捨てて、お救い下さらなかった!!」

「お父様!?」

 村長は嘆き、取り乱していた。サリエットが父親を支えるようにして、その背中に腕を回す。


「一体何事なのだ? エルアンリは何と引き換えに、フレイアシュテュアを要求してきた?」

 ランディは低い声音で村長を問い質した。村長はどこまでも真っ直ぐな彼の瞳から逃れようとでもするように、視線を逸らしたままでぼそぼそと話し出した。

「……先だって、レルギット領の北部で盗賊事件が起こって……。小さな村が一つ襲われ、賊は追っ手を振り切って、隣国ヌネイルへと逃れたままになっているということだ。国境警備隊は、西の国境沿いの村々への派兵を決めたそうだが、エルアンリ様は領の北西の守りを固めるのに手一杯で、南寄りのシュレイサ村にまでは兵を割く余力がないと言ってきた。どうしても警備の兵を寄越して欲しいなら、便宜を図るから、その代わりに……と……」

 村長の目の動きに釣られるようにして、みな一斉にフレイアシュテュアを見た。

「フレイアをまた、拘束しておけと言ってきたのか……!!」

 あまりにも見え透いたエルアンリの策略に、ランディは怒りを募らせた。


「便宜など! 図らずとも本当は兵を出せるに決まっている! 民の安全と自らの欲望を引き換えにするとは――! どこまで性根が腐っているのだあの男は!?」

「ランディ、どうにかできませんか!?」

 ヴェンシナはいてもたってもいられずにランディを振り仰いだ。ランディは憤慨しながらも、状況を冷静に分析する。

「……難しいな。同じ軍人とはいえ、我々と国境警備隊とでは管轄がまるで違う。州府を通して掛け合うにしても、普段は縁のない休暇中の近衛騎士が、不用意に騒ぎたてたところで反発を招くだけだろう」

「エルミルトには今、王太子殿下がお越しでいらっしゃいます。お力を借りるわけにはいきませんか?」

 一縷の光明にすがるような思いで、ヴェンシナはさらに問うた。

「駄目だ。王太子が口を添えるとなると、事態が大事(おおごと)になりすぎる。国内を襲った盗賊団が野放しになっている状態で、国境警備隊の将校を吊るし上げ、兵に動揺を与えるわけにはいかない。それになによりも、側近の一方的な訴えだけで、王太子が権を振りかざすことになれば、国は内側から荒れてしまう」

「じゃあどうしたら――、僕らに何ができるんでしょう!?」

「それを今考えている!!」

 いつになく真剣な強い眼差しで、ランディはヴェンシナを見据えた。ヴェンシナはエルアンリの不当な要求が、彼を本気で怒らせているのだと悟った。


「……村長の家に戻ります」

 ランディの背の陰で、ラグジュリエに支えられていたフレイアシュテュアは、俯いていた顔を上げ、震える声でようやくにその決心を述べた。

「フレイアッ、何言ってるの!?」

 叱りつけるラグジュリエに無理に微笑んで見せ、フレイアシュテュアは別れの挨拶をするように、赤毛の『妹』を抱き締めてから、村長に向かってその足を踏み出した。


「フレイア、駄目だ!」

 ランディはフレイアシュテュアの肩を両手で掴み、自らの庇護の下から抜け出そうとしている金色の髪の娘を引き止めた。フレイアシュテュアは自分を守ると言ってくれた、ランディを切なく見上げた。

「でも、とりあえずはそうしないと、村に兵を寄越しては貰えませんから」

「だからといって、何故君だけが我慢をしようとするのだ? 村の為かもしれないが、君がその身を犠牲にする必要などない!」

「……我慢とか犠牲とか、そんな、高尚なものではありません」

 答えるフレイアシュテュアの色違いの瞳に、みるみるうちに涙が湧き上がる。緑の左目に深い悲しみを、琥珀の右目にもがく様な苦しみを湛えながら、フレイアシュテュアはその心の内を打ち明けた。


「私は今以上に、村の人たちから、冷たく見られるのが嫌なだけです……。私を庇って、あなたや、ヴェンや、牧師様たちが、悪く言われてしまうのも……」

「……フレイア、しかし、君はそれで本当にいいのか?」

 村長の家に戻るということは、エルアンリの妾になるということを意味している。他の誰でもなくランディに問い詰められていることが、フレイアシュテュアには胸を抉られるように辛かった。

「……エルアンリ様のものになるのも、嫌です……。でも、もしも……、私があの方を拒んだばかりに、誰にも守ってもらえないまま、この村が襲われてしまったら……? そうして失われるものがあったとしたら? 私のような思いをする子が生まれてしまったら……? 私はその全てのことを、自分のせいにはしたくないんです。だから……」

 今にも零れ落ちそうな涙を目の淵に留めて、フレイアシュテュアはランディに懇願した。

「……村長の家に、行かせて下さい……」

「フレイア……」


 フレイアシュテュアの意志は強固であった。その悲壮な決意に胸をつかれながらも、引っ込みの付かないランディの手に、サリエットがそっと横から触れる。

「放してあげて、ランディ。この子はね、一度言い出したら結構頑固よ」

「サリィ……」

 消え入るように名を呼んで、ことりとフレイアシュテュアはサリエットの肩に頭を預けた。それ以上は堪え切れずに、静かに嗚咽を始めたフレイアシュテュアの頼り無げな身体を、サリエットはランディから奪うようにして受け止めた。


「シュレイサのような辺境の村ではね、ランディ」

 フレイアシュテュアの背中を優しく撫でてやりながら、サリエットはランディを仰ぎ見た。その苦悩で焼け付くような黒い瞳に、自分はどれほど憎らしく映っていることだろうと思う。

「領伯様こそが、絶対の権限をお持ちなのよ。そのご子息の機嫌を損ねては、村で生きてはゆかれないわ」

「だからといって許すのか……? こんなふざけた専横を!」

「許すも許さないもないのよ。私たちはただ、諦めることしかできないの」

「馬鹿な! そのような不条理がまかり通るなど、私は今まで聞いたことがない!」

「それはあなたが、王宮の騎士様でおありだからだろう」

 あくまでも反発しようとするランディに、村長が脇から口を挟んだ。


「国王陛下は、清廉な御方と聞き及んでいる。王都の民衆に慕われ、良き政を執られておいでだと」

「その通りだ。国王陛下は常に国民の幸福を願い、国の安寧の為に尽くしておられる」

「騎士様、国王陛下や、それにあなた方がお仕えの王太子殿下が、どれだけご立派な方でいらっしゃったとしても、ひとたび事が起こった時に、実際にこの村を守り、お救い下さるのは国ではない。領伯様であり、国境警備隊であり――、レルギットの兵を束ねるエルアンリ様なのだ」

「だが、虐げているのもまた、同じ人間であろう――」

 歯痒い思いのままにランディは、村長とサリエットに連れ去られてゆくフレイアシュテュアを見送った。その森の精霊のような儚げな姿が、木立の向こうに見えなくなってしまっても。


 この手の中から、すり抜けて行ったものは何か?

 譬えようもない喪失感に襲われ、そうして、ランディは、気付いたのだ。

 決して同情や庇護欲に止まらない、明確な心の在り処に――。

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