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緑指の魔女  作者: 桐央琴巳
第十章 「離宮」
29/98

(10-3)

 時は少し遡って、エルミルトの離宮。

 中庭に面した広く明るい美しい部屋の中、昼だというのに寝衣の上にガウンを着崩した楽な格好で、王太子アレフキースは大きなクッションにもたれかかり埋もれていた。天蓋つきの広い寝台で寛ぐアレフキースに、キーファーは一通の封書を差し出して、事の次第を報告した。

「なるほど、ヴェンシナの姉上が持ってきたのだね」

「はい、ヴェンに似た、とても可愛らしい女性でしたよ」

 栗色の髪に榛色の瞳の、小柄で童顔なシャレルの姿を思い起こしながらキーファーは微笑した。近衛二番隊の騎士なら誰が見ても、一目でそうと気付いたであろう。


「殿下にご伝言があるのですが、申し上げてよろしいですか?」

「何だ?」

「はい、『素晴らしいヴェールを賜り本当にありがとうございました。一日も早くお元気になられますようお祈りしております』とのことでした」

「律儀なところも似ているようだね、是非とも私もお会いしたかったな。役得だったね、キーファー」

 ヴェンシナの容姿は、アレフキースのお気に入りである。心底残念そうにそう言って、アレフキースはキーファーを脇に下がらせた。


 ヴェンシナが寄越したという厚みのある封筒をしばし眺めてから、眼差しで小姓を呼んで、アレフキースは封を切らせた。中身を取り出してみると、十枚近い便箋に渡って、見覚えのある几帳面な字がぎっしりと詰まっている。

「何をこんなに、書き込んでいるのやら」

 アレフキースは呆れながら、文面に目を走らせた。それは無事にシュレイサ村に到着した報告に始まり、ランディに教会で労働奉仕をさせることになってしまった次第を詫びてから、エルアンリとの確執に触れ、その原因となったフレイアシュテュアの話に至り、ランディとフレイアシュテュアの間に恋愛感情が生まれかけているかもしれないという懸念で結んであった。


 ヴェンシナからの手紙を読み終えて、アレフキースは眉間を押さえた。その思案するような姿に気付いて、一人の騎士が寝台に近づいてくる。年の頃は三十代の手前であろうか、鉄色の髪に灰色の瞳、鋼のように強靭な身体つきの偉丈夫である。

「ヴェンシナはやはり、泣き言を訴えてきましたか」

「ああ、フェルナント」

 アレフキースは鉄色の髪の騎士を見上げて答えた。フェルナント・ヴォ・フェルシンキは、デレス王室近衛兵団騎士隊二番隊の隊長である。

「予想より早かったので、情けないと叱ってやらねばとも思ったのだけれどね、短い期間によくもまあ、というような内容だ。どうぞ、フェルナント。君にも読んでおいてもらわないと」


 アレフキースから手紙を受け取り、フェルナントはしばしそれを読みふけった。彼の感想はこうだ。

「ほお、村娘との間に恋の兆しですか、やりますなあ」

 焦点のずれたフェルナントの言葉に、アレフキースは苦笑した。

「ご自分が恵まれてお育ちのせいか、彼は昔から薄幸の佳人に弱いからねえ。過去には騙されて痛い目にもあっている筈なのに、また懲りずに訳ありの娘を見初めたものだ」

 アレフキースの遠慮のない毒舌に、フェルナントは肩をすくめる。

「辛辣な評ですな」

「事実を述べただけだよ。それにしても、他人(ひと)のものを横取りするとは、ずいぶんと手癖が悪くなったようだ」

「恋敵の男も、あまり褒められたものではないようですが」

「そう、褒められたものでない相手だけに、相当な恨みを買ったことだろうね。とはいえこの程度の諍いに、おいそれと王太子が介入するわけにはいかない。一体どう収めるつもりでいるのか、お手並み拝見といこうか」

 ヴェンシナの期待をよそに、アレフキースはひとまず静観の構えである。フェルナントはアレフキースに便箋を返した。


「それにしても、シュレイサのような片田舎に、よく彼の目に適うような娘がいたものですな」

 ヴェンシナの手紙を片付けながら、アレフキースはなんでもないことのようにフェルナントの疑問に答えた。

「もともと彼は、王宮に咲き誇る庭園育ちの美姫よりも、野に咲く可憐な花の方がお好みだからね。ヴェンシナはおそらく預かり知らぬことだろうけれど、彼が頻繁に王宮を抜け出す時には、たいてい城下に目を留めた娘がいるのだよ」

「……それは私も初耳ですな」

 フェルナントは咎めるような目つきでアレフキースを見た。アレフキースは悪びれずに微笑した。

「これは失言だったかな。忘れてくれたまえ、フェルナント」

「全くあなたときたら、彼を諌める為においでなのか、彼の戯れの片棒を担いで増長させているのかわかりませんな」

 非難の目を向けるフェルナントに、アレフキースは困ったような素振りをしてみせる。

「そのどちらでもない。私は常に、巻き込まれているだけだ」

「しかし彼の立場で、奔放に恋をされるのはいささか問題ではありますな。領伯の息子が絡んでいるというのも厄介なことです」

「そうではないよ、フェルナント。一番問題なのは、彼が常に『ランディ・ウォルターラント』と名乗って、恋をしたり立ち回ったりしているということだ」


 その件に関してだけは、渋い表情を見せるアレフキースに、フェルナントは頬を崩した。

「やはり、それは、不味いですかな?」

「この上なく――、ね。仮初めの名に過ぎぬのだから、もう少し慎重になって下されば良いものを」

「まあ、無理でしょうな。真実の名はあまりにも重い。あなたは彼に、ランディという名と共に自由の翼を与えているようなものです」

「そんなつもりはないのだけれどねえ」

 アレフキースの溜め息混じりの呟きに、王太子の寝室をおとなうノックの音が重なった。


「どなたですか?」

「エリオールです。王太子殿下に、取り急ぎご判断願いたい議がございます」

 キーファーが問うと、同僚の声で返答が返ってきた。アレフキースの頷きに応じて、キーファーは扉を開いた。

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