星辰の彼方から
それは伝説。
あまねく銀河に伝わる伝説。吟遊詩人が語り、伝え続けられるひとつの伝説である。
だが、その名は正史には刻まれていない。偉人でもなく英雄でもない彼は、正史を語る者にはケチな異端者にすぎないからだ。紆余曲折を繰り返した彼の人生は歴史家の目には止まらず、そしてこの後も止まる事はないだろう。
だが、乙女たちは語る。彼の伝説を。
あまねく銀河に満ちる機械の乙女たち。母にして父という奇妙な名で呼ばれるそのひとの話を。
道具にすぎない彼女たちのために、全銀河すら敵にまわし戦ったひとりの大馬鹿者の物語を。
今はまだ、その者は未開の原住民の少年にすぎなかった……。
虚空。
幾兆幾京の星々、幾万幾億の文明を載せた銀河系宇宙であるが、直径十万光年という想像もつかない広大さにあっては星間空間なぞただの暗黒の世界にすぎない。そこは永遠の沈黙と、絶対零度の静寂の世界である。
その中を、ひとつの宇宙船が駆けていた。
その船は小さかった。まるで生命体のような滑らかなフォルムは魚か何かのようにも見えるが、奇異なデザインに反してその船脚は非常に速い。
それもそのはず。
その船こそが銀河最速の呼び声も高き恒星間用超小型高速船『ソクラス』である。
とある国の国王を載せて飛ぶために建造されたその船は、まもなく就航予定であるイーガ船籍の高速艇『アルゴノート』を除けば追い付ける船なぞ未だ存在しない。外宇宙であれば、わずか一連邦日で銀河の端から端まで飛んでしまえるというまさに夢の超高速船なのであった。
しかしこの船はその速さよりも別の面で知られていた。それは──
「ソクラス減速して。目的地まであと2光年ないわ」
『了解ソフィア』
その船内にひとりの若い女がいた。
女は赤いドレスをまとっていた。アルカインという国の王族の衣装なのだが、女自身の手で宇宙での活動にあわせた改造が施されている。生地がよいものなので痛みは少ないが、貴人の纏う衣装の煌びやかさはそこにはない。穏やかな初夏の外出着という趣であった。
「それで、第三惑星の情報はとれた?いくら未開惑星でも被監視地域だもの。歴史や風俗についてのデータくらいあるわよね?」
『それはありますが……本当に行かれるのですかソフィア?ルシード様との婚礼を控えた貴女が?』
またその話か、と女は眉をしかめた。
「いいでしょもう。
未開惑星における文化の研究なんて結婚しちゃったら自由にできない事くらい私だってわかるわ。それにこれは卒業研究なのよ?何度言わせるのよもう?」
むくれる女に、スピーカーから響く男の声は冷徹に切り返す。
『そりゃソフィア様にとってはそうでしょう。わたしは貴女がよちよち歩きの頃から御座船やってきましたからね、よくわかってます。そしてそれについては異論ありません。ま、護衛艦のブレインとしての職務からは完全に逸脱しますがそれこそ今さらでしょう。わたしはかの『ソクラスのソフィア』の翼なのですからね。
しかし、今回だけは別ですよソフィア様。
問題は貴女が先日、釣り上げたルシード陛下のお立場です。彼はイーガの皇帝ですよ?あの大アンドロメダをひとつに束ねる巨大帝国の皇帝陛下なのですよ?
ソフィア様。貴女、自分の立場がどれだけ大変な事になっているのか本当に理解しているのですか?
、貴女はいまや、わが連邦とイーガ帝国との友好のかけはしだ。当然狙われる。有象無象が貴女を狙ってるって事をもう少し真剣に考えてくれないと困るのですよ。おわかりですか?』
「釣り上げたって……あんたねえ」
ソフィアと呼ばれた女は、呆れたようにためいきをついた。
それはまぁ、そうだろう。これが宇宙船の頭脳だから口が悪いの一言ですむが、一般人なら逮捕されても不思議はない。
対するソクラスの方……厳密にいうとこの宇宙船ソクラスの頭脳なのであるが、まぁソクラスとしよう。彼はむしろ得意げだった。
『はっはっは、任せてください。伊達に銀河最強のおてんば姫に長年お仕えしておりませんから!』
「うるさいっての」
無駄に偉そうな声と、ため息混じりのソフィアの声がコックピットに響いた。
「ま、ルシードならわかってくれるわよきっと。問題ないわ」
『だったらなぜ黙って出たのです?』
「もう、書置き残したじゃないちゃんと!結婚まで間がないから卒研仕上げてきますって!」
『だからってひとりで行く阿呆がどこにいますか!あほの子ですか貴女は!』
「誰か誘ったら止められるでしょうが!」
売り言葉に買い言葉。
だんだんエキサイトしてきた人とコンピュータの応酬だったが、
『あたりまえだっつってんだよボケ!無謀もいいかげんにしやがれ!』
ソフィアを幼女時代から知っているソクラスの一喝で、どうやら幕をおろしたようだった。
「……」
なんとなく、気まずい空気にソフィアはためいきをつく。
昔から彼女が口論の後、素直になる時の反応だった。
「あんたに怒られたの何年ぶりかしらね……」
『さぁ何年ぶりですかね、まぁいいですよ。
なんせ、うちの姫様は丸腰で全面戦争前夜の敵国の王宮に忍び込んだ筋金入りの大馬鹿姫君ですからね。どうせ、御座船のわたしの馬鹿さ加減だって似たようなもんなんでしょう。どう思います?』
「あははは」
嫌味全開のお叱言ではあるが、その響きには苦笑、それに好意的なものも含まれていた。
実際、ソクラスはソフィアをとてもよく知っている。このくらいで動じていては彼女の御座船なぞやってられるはずもない。
何しろソフィアが『家出』と称して就航前夜のソクラスを初めて持ちだしたあの日。誕生直後の船舶頭脳の身で、わずか四歳の幼女ひとりを乗せて宇宙を飛び、あまたの危険をかいくぐって彼女を守り通した優秀すぎる船なのだ。そこいらの有象無象の船舶頭脳にこんな事できるわけもないわけで、つまり船も主人同様に変わり者なのだろう。
さて。
もちろんソクラスの仕事は主人との会話だけではない。同時進行で安全対策をしっかりとっていた。
『さて、では念のために『トカゲ』に連絡しときますよソフィア様』
「おじい様に?なんで?衛星軌道に護衛艦並べられたりしたら調査もなにもなくなっちゃうでしょ?」
『それは手遅れってもんです。既にこの星域に近付いてますよ彼ら』
「……なんでバレてるのよ」
げげ、という顔をするソフィアに、嗜めるような声が続く。
『そんなのあたりまえでしょうに。未開惑星ってことは彼ら非合法の星間商人にとっちゃ市場候補地でもあるわけですよ?こっちから向こうの庭に出ていくようなもんです。事実、今回の星系の位置は彼らのライブラリから見つけたのでしょう?』
「まぁ、そりゃそうだけど」
『それに今回、彼らが居るのはむしろありがたい。彼らは非合法な存在ではありますが、貴女個人に大変好意的なのはよく承知しておりますからね。彼らがもしいなかったら、いかにわたしでも惑星降下の許可は出せないところでした』
「はぁ……それもそっか」
ふう、とソフィアはためいきをついた。
本来、いかに船のAIといえども指示もない通信や進路変更を勝手にやる事はないし、主人の行動も勝手に制限できない。それは重大な違反といえる。
しかし、ソクラスもソフィアもそんな事気にしない。それが彼らのスタイルだからだ。
ふたりのはじめての出会いの時だが、もちろん、たった四歳の女の子に航路の設定や航海予定の組み立てなんて当然できるわけがなかった。普通の船ならそこで話が終わるのだけど、ソクラスは当時の小さきソフィアが自分の主人たる国王の娘であり、彼女も主人のひとりとして登録されている事を知っていた。
変に型にはまらず優秀で、しかし生まれたばかりだったソクラスは、これまた変に優秀なソフィアの話を聞き、そして彼女が司令塔なら自分がサポートするだけで普通に宇宙旅行可能だという結論に達してしまった。必要ならばサポートという名目で自分が手伝えば良いと。そういうのが規約に違反するという事を彼は知らなかったわけで、つまりソクラスもまた当時、幼児のようなものだったと言える。
今はソフィアも航海士の資格を持っているし、ソクラスだってそれが越権行為だと知っている。しかしふたりの関係は「船とその主人」でなく「相棒」の形で固まってしまっており、今さら変更などできなかった。
「ソクラス、毎時0.5光年まで落として。HD終了地点を第九番惑星の遠日点の外側にセット。そこから亜光速で侵入、第五惑星の内側で空間障壁を張ってちょうだい。
それで、おじい様の艦隊の方は返答きたの?なんておっしゃってるのかしら?」
『護衛用ドロイドをつけるそうです。現地の政情が不安定なれど艦そのものを降ろすわけにはいかないという事で』
「政情不安定?」
どうして、とソフィアは首をかしげた。
「確か資料によると、内燃機関はあるけど飛行手段すらない文明のはずよね?かりに何かが発明されていたとしても、そんなの星間文明の宇宙船相手にどうなるものでもないだろうし、センサーでも誤魔化せるんじゃないのかしら?」
『それなんですが、資料がいささか古いようです。これを見てください』
ソクラスに提示された資料を見て、あらとソフィアは眉をしかめた。
「商用航空路あり、非常に限定的なれど惑星周囲の空間にも進出していて、本星周囲は自動機械らしき小型端末の山?……うわ、なにこれ。何百年ズレてたのよライブラリの資料!」
『いえ、80年もずれていないそうです。内燃機関や重工業が急速に発達して、科学の発達が非常に急ピッチに進んでいるようなのです。まぁ、早すぎて色々と追い付いていないようですが』
「どういうこと?」
『本星の外に出よう、という意思があまり感じられないという事です。このままいけば、可能性ですが星間文明に達する前に飽和状態となり、破綻する文明なのかもしれません』
「……それはまた興味深いわね。ちなみに惑星上の国家形態は?それも単一国家になっちゃったとか?」
『いえ、そちらは大差ないようです。勢力図が変化していますが、予定にある辺境の島国は、ちょっと前に惑星上であった小さな地域紛争で負けて立場が弱くなってしまったくらいで、大筋は何も変わらず推移しているようです』
「そう」
ソクラスの説明に、ソフィアはフム、とうなずいた。
そも、ソフィアの専攻は古代遺失文明、要は星間文明に達する際に失われてしまった文明について調べる事である。これを調べる方法はいくつかあるが、今ある銀河文明の過去なんて古すぎて痕跡など調べようもない。それよりも、今もリアルタイムでぼこぼこ生まれては消えていく、あまたの現在進行形の文明を調べる事により過去に迫ろうというのが、ソフィアの学んだ恩師のスタイルであったし、ソフィアも同じ方針を掲げていた。
星の世界に乗り出す時、多くのものを人は得るが、同時に多くを失うとされる。
それは仕方のない事なのだけど、これら「失われてしまったもの」の中に、現在の銀河が、宇宙が抱える問題を解決する糸口が眠っているかもしれない。
だからこそソフィアのような研究者がいるのだけど。
「……」
一瞬、それかけた思考をソフィアは戻した。今はそれどころではない。
これから行く星は宇宙文明をまだもたない未開の地である。未だに星はたくさんの国に分かれ、いざこざを繰り返している。
しかしある程度の文明は持っている。異星の船なぞ迂闊に降ろす事はできない。だからこそのドロイド、つまり護衛用アンドロイドの派遣という事か。
しかし。
「さすがに護衛ドロイドはやりすぎじゃないかしら、おじい様も心配性ね。で、タイプは何?」
『……』
「ソクラス?」
沈黙してしまった相棒にソフィアの不審そうな声が響く。
『……こいつぁ驚いた』
「え?どういう事?」
星間戦争に介入した時ですら聞かなかったソクラスの驚愕の声に、ソフィアの声が緊張する。
『……α七型だそうです。銀河に六体しかいない「化け物」ですよ。愛されてますねソフィア』
「な……七型?今、七型って言ったのソクラス?」
『はい、言いました。七型が派遣されてくるそうです』
「何考えてるのおじい様!?」
呆れたようなソフィアの声が船室に響いた。
彼らのドロイド、つまり類人アンドロイド工業規格にはいくつかのグレードがある。
まずαシリーズというのはアルカイン型、つまりヒトガタを意味する。そして家庭用は一型、医療用は五型というふうに決まっていて、一般には最高級品の六型までが知られているのである。
で、問題の七型であるが。
実は七型は規格としては存在するものの、あまりに規格を満たす要素が厳しすぎというかハッキリいうと非常識であるため、製作に及んだ組織はほとんどない。技術力を駆使すれば製作は不可能ではないものの、そもそもアンドロイドというのは人の手先として活動する代役というのが連邦人の認識だ。ゆえに七型はあまり真剣に顧みられる事もなく、よほどのマニアでもなきゃ存在すら知らない『お蔵入り規格』なのである。
それはそうだろう。
七型というのは簡単にいうと『人間の女の子と区別がつかず、万能ホームヘルパーと医師としての機能を持ち、しかもその状態で、生身で宇宙戦のできる者』なのだ。つまり柔らかい人間の身体でセックスすら可能で疑似的に妊娠・出産という過程で同型の再生産までこなす機能を持ちながら、同時にあらゆる人型のエキスパートロボの機能も備え、真空中でも作戦活動のできる兵器機体でもある存在であるという事になる。
いかに広大な銀河文明とはいえここまでの技術はない。それどころか、誰が考えても無茶苦茶といえるレベルであろう。
だいたい、人肌の柔らかさを持ちながらゼロ気圧・無重力の真空中でどう耐えろというのか。武器も持たずどう戦えというのか。それも白兵戦レベルではない。宇宙戦という事は、戦艦とすら場合によっては戦うという事なのだ。亜光速とはいわないが、それなりの速度で自在に活動できなくては話にならないだろうに。
そもそも当時の策定者によると、七型は未来の人間を見据え、フィードバックする事を目的とした規格なのだそうだ。
宇宙文明において最大の難点は、ほとんどの銀河生命にとって宇宙は死の場所であるという点だ。居住空間を作るだけで膨大なコストがかかるはずで、真空中や絶対零度でも普通に生活できるほど強靭な生体を作る事ができるならば、それは全てにおいて革命的変化をもたらすと言えるだろう。つまり七型とはそういう可能性を探る規格なわけだ。
逆にいうと、現時点で七型は、銀河文明の力をもってしても『夢』だという事でもある。
現時点で七型の規格を満たそうとすれば、そもそも基礎研究からはじめなくてはならない。艦隊がいくつも作れるほどの膨大なお金と時間を、ぶっちゃければ『進化したお人形』に投入するバカがどこの世界にいるというのか。技術とはゆっくりと、一歩一歩熟成させるものだ。いくら酔狂好きな高度文明の人々でもそこまでの馬鹿者はいないはずだった。
だが現実に、この銀河には過去、七型として認定された機体が六体もあるという。
信じられない事だが、銀河の技術はとうとうそこまで届きつつあるという事なのか。それともつまるところ「銀河頂点級のアホがそれだけいる」という事なのか。
「……」
はぁ、とソフィアはためいきをついた。
「通常空間に出たら同時におじい様の艦隊に連絡してちょうだい。くれぐれも原住民に見付からないようにしてって伝えてくれる?」
『了解』
いつもの淡々とした音声に戻ったソクラスは、宇宙船然としたアナウンスを再開した。
『時空観測鏡を内宇宙モードに切替え。銀河潮汐機関から多次元重力波エンジンへのエネルギー経路をカット。カカートスの涙による対恒星系ブレーキ始動。ソル星系の彗星軌道に航路修正。楕円落下軌道に向けた航路修正、3、4、5。減速スタート』
窓辺に走る真っ青な星の群れ。その色が変わりはじめる。
光を遥かに越えるこの船から景色は普通見えない。それどころかこの船には窓がないわけで、この青い星々の景色はソクラスが合成した亜光速時のドップラー効果映像である。こういう景色を出す事により「飛んでいる」イメージを乗員に認識させるためのものだ。非科学的ではあるが乗員の心理に優しい、宇宙船らしいサービスのひとつである。
銀河のファーストレディを載せた宇宙船はゆっくりと、ひとつの小さな星系に近付こうとしていた。
彼らの国の名は、銀河連邦。
銀河系の六割を統べる連邦国家群。二億の星間国家と数十億の生存可能惑星、さらにその数倍のコロニーを抱える巨大組織である。地球の国連にも似ているが特定の強大な国家が勢力をもつような事がないシステムのため、長きにわたって平穏な運営が行われている。
彼らが向かっているのは『ソル』。最近再調査が開始されたばかりの、どこにでもある未開惑星のひとつである。