34話【彼女の痛み】
ふと気付くと、露店の商品をぐっちゃぐちゃにしてしまっていて、何だかいたたまれない気持ちになってくる。そりゃ元々露店にはそんな大きな日陰スペースはないので、ダイレクトにダイビングしてしまえば、露店の中身と直接邂逅してしまうのは必至である。
服に野菜の汁やら果物の果汁やらが染み付いてる……。見た目は変わってないけど、匂いが割とするのだ。
こんなべちゃべちゃだと、足跡とか作っちゃいそうだ……。一旦退避というのも無理かな……。
「いけー!」
僕が頭を絞って必死に考えていると、死体の司令官がゴーサインを出した。
動く死体の波が一気に押し寄せる。
「くっ……」
何の理由を作っても、結局ここから出るしかないか。
僕は台の上に乗せられた商品のカゴや予備の商品などを、押し寄せる波にぶちまける。
「ぎゃーっ! なんてことをー!」
む、僕はここで始めてこの露店の主の存在に気付いた。
露店の主は悲しみと苦しみの嘆声を漏らしながら慌てふためく。そして露店の商人側の方に入ってきた僕の胸ぐらをぐっと掴んでくる。
「このやろう! ぜ、絶対に許さねーぞ!」
殴られそうになるが、カウンターで主の顔面に一発入れる。そして全力を行使し、主を持ち上げて死体の群れに投げつけた。
うわああああああ、と悲鳴を上げて、主は群れにダイレクトアタック。
「ごめんなさい」
僕は一言謝罪を述べて、露店の裏からさっさと外に出ていった。
そう言えばあの雨、効かない奴には効かないと言っていたけれど……そこのところはどうなのだろうか……。
精神が強い者には効力がないと言ってはいたが、仮にそうだとして僕は精神力が強い方なのかな? 主観じゃ自分にいい方に考えてしまいかねないし。
草は僕を殺せない……、それでも即死魔法を使ってくる彼女からしたら、僕は強靭で狂人の如く精神を持ち合わせているということは間違いないのだろう。
でも主観じゃなくて他人の視点からだとしても、間違いがないと断言ができない。
結局、精神の強さなんてよく分からないもんだ。
いや、だがあの名前……ひまわりからは聞いていないが……、インスタントキリングという魔法名から、効果を読み取れなくもない気がするぞ?
インスタントってのは、手間のかからないみたいな意味だったり。即席とか即座とかの意味があったはず。
キリングはキルにINGを付けたものだから……。
なんだ、そうだな、『手間のかからない殺し』とか?
それじゃ単に強い魔法だな。
よく考えたら、猛毒の雨だとしたら、彼女の言っていた『精神』というキーワードが意味のないものになってしまう……。致死性の猛毒は気合いでどうこうなるものじゃないだろうから。
だとするなら……マインドコントロールに近いのではないだろうか?
精神の弱いものの脳に無理矢理入り込んで──脳内の情報を書き換えるといった感じか。精神が強い者には洗脳モドキが効かない。
それならなんとなく整合性のある話になってくる。
……つまりは、あの雨は……脳内の情報を死亡状態に近いステータスに書き換えるためのコントローラーってことか。
魔法名だけでここまで推測するのは正直間違っていると思うが、他に思考する要素もないのだから仕方がない。
どちらにせよ、あの雨は当たらないようにした方がいいよな。
と、僕のシンキングタイムだって体感時間で言えば中々のものだが、実際の時間的には僅か数秒のことで、これを魔法として名前を付けるなら……『一方的思考時間』とでも名付けるのだと思う。
一人だけで将棋やチェスをしているように、ずっと自分だけが思考し続けることができる時間。
魔法名の意味を読み解いてみれば、何となく魔法の効果を察することも可能であろう。
となれば相手だって、僕と同じように効果を読み解けるような魔法名を付けているかもしれないので、僕の推測はあながち間違ってはいないものなのかもしれない。
こんなのも僕の主観なので、何の意味も持たない。
結局僕は、無意味な一方的思考時間の後に、行動に出ることにした。
「行くか……」
またレッツシンキングになって悪いけれど、『死んだ人間人形』について一つ。
ひまわり情報によると、あの魔法は、魔法を使った草の意思によって死体を操るものである。
簡潔に言うと、多くの死体を操るというのは、同時に多くのコントローラーを操っているのと同じで──操作する死体が多くなればなるほど、その動作の正確さは落ちる。
つまり、一人一人の死体の戦闘力は遥かに落ちるのだ。
神器以外には、接近戦しか能のない僕にでも戦えるほどに。
──雨は降ったとしても一時的に過ぎない。神器の魔弾で撃ち落とす──撃ち消せば問題ないはずだ。
僕は死体の群れへと直進する。
軽く見積もっておおよそ三十、四十人か。
行ける。数に気圧されなければ必ずやれる。
この人々の中に、よほど強力な魔法を使える奴が居ない限りは。
落ち着けばやれる……草の魔法はほとんどが見かけだけのものに近いとひまわりは言っていた。
僕は一人二人、三人四人、と格闘術で次々に殴り蹴り投げ薙ぎ倒していく。
死んだ人間人形のコントロールは、対象が死体が故にいくら倒しても、体を欠損したとしても動き、僕を半殺しにしようと迫ってくる。
けれど、そんな不死身な死体は一時的にどいてくれればいい。殴ったり蹴ったりで少しでいいからよろめいてくれればいいのだ。
草の元へと行ければ。
僕はほとんどの死体をぶちのめし、草の元へと駆ける。
「うぬぁっ! く、くるなー!」
敵が迫ってきているのに、そんなユルい感じで──けれど、焦っているような表情の草。
「く、くそー、これでも食らえ! 『からくり仕掛けの氷牢』!」
僕の周りの地面に冷気が集まり、美しいクリアな氷が生成されていく。
ひまわりの言葉を思い出す。
────「あれは、相手を氷のドームに閉じ込めた後、そのドームから伸びる氷の刃が、四方八方から襲ってくるという中々グロテスクな魔法ですが……、実は簡単に突破できます。氷のドームが作られる時に辺りを見てください、絶対にどこかに冷気の噴出量がおかしいところがあります。そこが氷牢の主柱みたいなものなので、そこを神器を使ってぶっ壊してやれば生成が止まります。神器さえ撃てれば簡単に攻略可能ですよ」────。
「辺りを探せ、辺りを探せ、辺りを探せ」
僕は一人ブツブツと唱えながら辺りを一瞥する。
──あった!
僕は神器を取り出し、魔弾を放つ。
魔弾は地面を大きく抉り、恐らく主柱である部分を消した。
すると、冷房マイナス百度の如き冷気が一気にやむ。生成されていた氷も砕け割れて欠けて崩れ落ちた。
「ま、まさかー!?」
信じられないという風な草。
ていうか、今僕を殺そうとしたか?
「ま、まだまだだよ! 今度は『滑稽な美』だ!」
えーと、これの攻略法は、
────「この魔法は、触れられると劣化してしまうという効果です。例えば、お兄さんが腕を触れられたとしましょう、すると腕が簡単にへし折れてしまうほどに弱体化するのです。もちろん、人以外にも効きますよ。……とりあえず近付かれないこと。接触しなければどうということはないですからね。後、魔法の効力があるのは両の手のひらだけなので、それを気を付ければ接近戦もやれるはずです。草お姉ちゃんは接近戦での格闘なんてやったこと人ですから」────。
草が薄紫に光る両腕を広げ、こちらに飛んでくる。シヴァを殺して逃げたときのように飛行してきたのだ。
僕は襲いかかる草の両手に対して、自身の両手で対処する。
草の手首より上、肘より下の前腕を掴む。
「なぬ!」
まさかここまで、効果範囲までも詳しく知られているとは思わなかった。と言いたげな顔の草。
だけれど、掴んだだけである。
飛行の勢いを止めることができるわけじゃない。
「ぐっ……」
草の腕を持っているのは僕なのだけれど、僕は草によって持ち上げられるように空に飛んだ。
「いっくよー!」
「うわああああああ!」
飛行の力によって一気に地上から離れる。十数メートルくらいだが。
互いに腕に力を入る。
草は僕に触れるために。僕は草に触れられないように。
「諦めろー!」
「嫌……だね……!」
見た感じよく分からない戦いを空中で繰り広げる僕達。
すると、急に草が暴れだす。体をじたばたさせるという意味ではなく、飛行のコントロールをめちゃくちゃにしたのだ。
フルスピードで直角に曲がったり、急ブレーキしたり、円を描いたり、とにかく360度縦横無尽に飛行している。
僕は落ちまいと、彼女の腕を必死に握りしめた。
高度は二十メートルはある。手を滑らせて落下しても……落ちる場所や落ち方によって死なないこともあるだろうが、それでも戦える状態で生存することは不可能だろう。
数十秒ほどそんな飛行が続いたとき。
グワン、と宙で振るわれる僕の右足が、振られる遠心力やらなにやらで、無意識に無自覚に振り抜かれた。
偶然にもすごい勢いで、右の膝が草の腹へとめり込む。
「うぎぁゃあ」
声にならない声。
いや、声に出てる。呻き声と悲鳴が混ざったものを吐き出す草。
今までの暴れんぼう将軍っぷりが嘘のように、勢いが失われる。
そして、今度は墜落する飛行機の如く──如くというか、本当に墜落し始めた。
「ああああああああああああ」
どうにでもなれ、って感じでやる気のない声を出す草。
「くそ……」
草は二階建てくらいの建物の屋上へと不時着しようとしている。いや、しようとはしていない。飛行の制御を失った結果、偶然屋上に向かっているだけだ。
このままじゃ……。
非道な行為ではあるが……。
だが、命には代えられまい。
墜落直前、僕は体の位置を変えた。
地面との激突時に少しでも衝撃を和らげるために、草を下敷きに。
そして不時着。
鈍い音が鳴った。
まさにコンクリートで人の頭を殴ったような音。
しかも、それが……、彼女の全身から。
衝撃の全てを請け負ってくれるわけでもないので、僕は地面に吹っ飛び、転がる。
「いたた……」
打ち身程度で済んだかな?
僕はふらふらしながら立ち上がる。
「痛い痛い……痛いよぉ……誰かぁぁ……」
すぐ側で草が呻き、震え、うごめいていた。
片方の腕と片方の足があらぬ方向へと曲がっていた。
「天使って言っても……、そこまで変わらないんだな……」
人間と……。
天使だから頑丈だとか、そういうのはないのだろうか。
僕は神器を懐から抜き、銃口を草に向けた。
「ひっ……殺さないで……。お願い……します……た、助けて……」
悲痛な命乞い。
「……そんなこと言うけれど、君は僕の仲間や仲間になるはずだった人に容赦なんかしなかったんだろう? 命乞いされても」
僕は問う。
……実際に命乞いしたのかは分からない。命乞いする暇もなく殺されたのかもしれないし。
「うぐぅ……ごめんなさいごめんなさい。許してください……何でも……何でもするからぁ……」
今にも泣きそうな風に、痛そうな風に。
草は言う。
「そんな答えは求めてないよ。許してやるから、僕の質問に答えろよ」
僕はもう一度、問う。
「え……あ……、許して……くれるの?」
「うん、許すから。早く答えてくれる? 早くひまわりのところに行きたいんだ」
だったら聞かなくていいから、さっさと行けばいいだろう。という話ではあるが。
「命乞い……なんて…………されてない……されてないよぉ……。だってだって……だって……、悪いのは私じゃない……悪いのは私じゃないんだから……」
僕はそんな怖い言い方をしたのだろうか。
僕はそんな怖い表情をしていたのだろうか。
異形の怪物を見ているような、恐怖に怯えた顔を見せる草。
その言葉も……、嘘にまみれたものだった。
急に恐ろしくなってきたのだろうか。
どうにかして、自分をよく見せようとしている。
意味の分からない感じになってる。
「もういいや」
僕はため息をつく。
「君も仕打ち受けろ」
マリーを殺した仕打ちを。
「嫌……嫌だ……。嫌だ、やめて、お願い。殺さないで……。許してくれるって言ったのに……言ったのに……!」
腕と足が一本ずつ使えない草は、それでも地を這った。
僕から離れようとして。
逃げようとする草の折れた腕の変に曲がった部位を、僕は踏みつける。
そして力を込めて、地べたにねじ込ませんとするように、押し付けてやった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
どれくらい痛いと叫んだのかは知らない。
数える意味もないし。
「僕はマリーが殺される場面を見たわけじゃないから……どんな風に傷つけられて、痛みを感じて、死んでいったのか分からないけれど。きっとこのくらいは痛かったよね?」
強く、今までで一番の力で、草の腕を蹴り潰した。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
草が悲鳴を上げた。
同時に、マリーもこんな風に悲鳴を上げる中──無邪気に笑う殺人鬼に殺されたのかと思うと、悲しくなってきた。
辛い気持ちになってくる。
「……わたし……わるくない…………わるいのわたしじゃなぃ……」
せめて、マリーの痛みと悲しみを感じてください。
どれくらい辛かったのかを感じてください。
それが終わったら……死ぬことを許す。
僕は告げる。
そして、折れた足を腕と同じように潰してあげた。
甲高い金切り声の悲鳴が、絶叫が……辺りを支配した。




