27話【扉を開くとそこには天使が居た】
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「んー……」
目覚めると、そこは四畳半の広さの部屋だった。
「あー……、そうだった、節約のために小さい宿にしたんだよな……」
四畳半にシングルサイズのベッドが一つと、小さい棚の上にランプが置かれているだけの、小さな部屋。
部屋を多く取るのもお金がかかるということで、僕とひまわりは一緒のベッドで寝ていたのだが。
彼女の姿が見えないな……どこに行ったんだろう。
「首が痛いや……」
壁に掛けられている古ぼけた時計は十時ちょうど指していて、小窓から差し込んでくる暖かな光が、朝だという証拠である。
僕は上半身を起こし、自分の体にかかった布団を剥ぐ、すると、そこにはぐっすりと眠っているひまわりが現れた。
「なんだ、布団の中に埋もれてたのか。……起こすのも悪いしな……隣の部屋でも見に行くか」
実はもう一部屋借りていて、そこには気絶したルシアを手足を縛って寝かせているのだ。
「縄をほどいて、勝手に出ていってなきゃいいけれど……」
僕は部屋のドアに手をかける。
開かない……。
ノブを捻って、押しても引いても開かない。
「さすがにボロい宿だな……確かに外見ヤバイ宿だったけれど」
これじゃ出られねぇ。
「はぁ……暇だな。やっぱりひまわりを起こそう」
そう言えば、昼からリリィ達と会う予定があったな。なんて考えながら、僕は小さな体を小さく丸めて、気持ち良さそうに眠るひまわりを揺すってみる。
「おーい、ひまわりー、朝だぞー」
ひまわりはまるで最初から起きていたかのように、パッと目を開いた。
「ふぁーあ……、これはこれは、変態お兄さんではないですか」
「誰が変態だ、起床直後からそんなこと口走るなよ」
「でも幼女と一緒のベッドで寝たがるなんて変態ロリコン野郎しかあり得ないでしょう」
「親子だったらロリコンとかじゃないだろ、自分の娘に発情する父なんて居ないはずだ」
「そうですね、存在しないでしょうけれど、私とお兄さんは親子じゃありませんよ?」
「ん、まあ、確かにそうなんだけれど……」
僕とひまわりが親子でない以上、この理屈は通用しないか……。
「にしてもお腹が減りました。何か朝食を摂りましょうよ、てきとうに露店を巡って」
食べ歩きってことかな? いいな、それ。考えてみたら、僕は異世界の食事を全くと言っていいほど体験していない。食べたのは、マリーにもらったクッキーくらいだ。
「いいよ、美味しいものたくさん食べよう。僕もお腹ペコペコだしね。この街限定のやつとかあったら食べてみたいな」
「それいいですねー、私この街の『牛豚焦げ焼きミンチサンドイッチ』ってやつ食べてみたかったんです。他にも『塩大盛況』とか『ビタの木の実の不思議なサラダパフェシチュー』とか」
牛豚焦げ焼きミンチサンドイッチは何となく分かる。
でも塩大盛況ってなんだよ。売れてるってことですか?
後、ビタの木の実の不思議なサラダパフェシチューについては、サラダなのか、パフェなのか、シチューなのかはっきりしてほしい。
「……よく分からないけれど、外に出ようか」
「はい!」
ひまわりがベッドから飛び降りる。
さて、この開かないドアをどうしようか、蹴り壊そうかな。
「よーし、行くぞ!」
僕はピョンピョンと跳ねて、体をリラックスさせる。
そして目の前のドアに対して、「おりゃっ!」という掛け声の力ずくの開けゴマ。跳び後ろ蹴り!
けれど、そんな僕の強烈極まりないはずの蹴り技は、強制的に中断させられた。
ドアが開いたのである。
僕が跳んで回転している間にドアが開き、ドアという平たい板を思いっきり体にぶつけられた。
「ぎゃっ!」
腑抜けた奇声を上げて僕はその場に倒れる。
「いたた、急になんだよ」
僕はふらふらとなりながらも立ち上がる。
「大丈夫ですか、お兄さん」
そんな風に僕を慮ってくれるひまわり。
大丈夫じゃないけど大丈夫と言うしかあるまい。
「あ、ああ、全然大丈夫だ」
「にしても急に誰でしょうか? ノックもなしに失礼な」
僕達二人は、ほぼ同時にドアの向こうを見る。
すると、そこに居たのは、────すごくセクシー格好をしたグラマー体型なお姉さんだった。
「…………」
「…………」
「…………」
三人の間に沈黙が走る。
やがて、耐えきれないという感じで、その女の人は部屋に踏み込んできた。めっちゃ至近距離まで近付いてきた。
床に着きそうなくらいに長い金髪で、香水をたっぷり使ったようなきつい匂い、けれど甘ったるいいい匂いが僕の脳を刺激した。
「……あなた……誰ですか」
僕は彼女を誰何する。
その答えとは、果たして、
「そうねぇ……答える義務は別にないんだけれどねぇ」
名乗りはしなかった。
こいつ……まさか敵か?
盗賊の仲間で……僕達が本拠地を襲撃していたのを見ていたとか?
「それじゃあ、一体何の用があって──」
「──日溜毬日輪……ですよね?」
ひまわりが言った。日溜毬日輪と──日溜毬と言ったのだ。
それってひまわりと同じ名前じゃ……姉妹か何かなのか?
「日溜毬って……それってひまわり……お前……」
僕が疑心暗鬼にかられていると、今度は日輪と呼ばれた女性は、驚いた表情を浮かべる。
「──……まさかアナタって……ひまわり? 日溜毬ひまわり? アッハハハハハ! 本当に言ってるのそれ? 随分とちっこくなっちゃってさぁ、何かあったわけ? 笑えるわねぇ、本当に──アハハハハハハハ」
それはもう傑作だと言わんばかりに、嘲り笑う日輪。
僕は黙っている。
この人は何故か……怖い。
「色々ありましたからね、日輪お姉ちゃん」
僕と違って怖じ気づく様子もなく、そう言い放つひまわり。
「色々ってなによう……アナタに会うつもりはなかったんだけどねぇ、まさかこんなところで出くわすなんて、奇妙な縁があるものね」
「そんなことはどうでもいいんですよ。日輪お姉ちゃん、あなたは何のためにここに来たんですか? 突然こんなところにやって来て、私に会うつもりがなかったってことは──」
「──そう、もちろんそこの男の子が目的よ」
僕を指差し、魅惑的な妖艶なる笑みを浮かべる日輪。
僕に用ってどういうことだ? 僕は異世界に来てから、誰かに注目を浴びるようなことはほとんどしてないと言うのに。
誰が何の用があって僕のところを訪ねてくると言うのだ。
「お兄さんが何かしたと言うんですか?」
「いいえ、違うわ。何かしたんじゃなくて、何かしてもらおうと思っているのよ」
「それって、まさか」
「そう、まさかもまさかよ。神様からの命令よ」
神……様? 異世界の神様?
突拍子に神様誕生なんて展開を起こされても困るってもんなんだが……。
「お兄さんが何かの役に立つとでも?」
そんな風にひまわりが言ったが、ひどい言い方だよな。何かの役に立つとでも? って、そりゃ僕だって少しくらいは人の役に立てるさ!
「役に立つに決まってるわ、だからここに来たのよ? この男はこの世界のイレギュラー。本来この世界に居るはずのないイレギュラー。そんなイレギュラーだからこそできることがあるのよ」
「イレギュラー?」
ひまわりが首を傾げる。
僕は首を傾げることもなかった。何となく予想が付いている、僕が他の世界からやった来たということ。異世界からしたら僕は異世界人。イレギュラーなのだ。
そして何故かは分からないが、僕が他の世界から次元を越えて来たと言うことを、日輪は知っている。
「自分で分かっているんでしょう? アタシの言葉からも察することはできるでしょ?」
ああ、十分に察してるし、理解してる。
「だから、単刀直入に言わせてもらうわ」
日輪は顎をついっと上げ、両手を腰に当て、見下すような感じで、
「神からの任務よ。魔王を殺しなさい」
アナタにしかできないことなのよ──と、日輪が言った。
「いや……詳しく説明してもらわないと……僕だって……」
「ああ、そうね。確かに詳細を説明しておかないと、委細承知とはいかないわよねぇ。アタシとしたことが……ごめんごめん」
軽く謝られた。
「ほんじゃま、ちょいっとだけ説明してやろうかぁ。ひまわりも知りたがってるようだしねぇ」
プイっと首を横に振るひまわり。
「────簡単に言うとね。私は天使なわけよ、信用ならないかもしれないけれどねぇ。ああ、そうそう、アナタのお察し通りにそこの小さい女の子、日溜毬ひまわりも私達と同じ天使なのよ。何故かちっこくなってるみたいだけれど、本当に何があったのぉ?」
「何でもありません。て言うか、余計なこと言わないでください」
「ごめんごめんって、妹とは言え『史上最強の天界兵器』と言われたひまわりちゃんに怒られたら、アタシもたまったもんじゃないしねぇ、フフッ」
「…………」
にやけた笑いを見せる日輪、歯ぎしりするひまわり。
僕はただ聞いている。
「天使は、分かりやすく言うと神様のしもべみたいなもの。神様の命令に従って、人間を影で助けたり、モンスターを殺したり、天候を変えてやったり、多種多様ね。そんな天使の中でもトップクラスであるアタシへの命は、『異世界からやって来たイレギュラーを見つけて、魔王を倒す勇者として旅立たせる』というところね。アナタは今のところはどう思っているわけ?」
「お兄さんはそんな命には従いませんよ」
「アナタに訊いてないっての。で、どうなの? 早速だけれど、旅立ちたいとは思わないの? 魔王を倒すかっこいい勇者として」
別に旅立ちたいとは思わない。今いる知人達と仲良く過ごすなんてのも悪くないし。
僕はただ聞いている。
「まあ、いいわ。詳しい任務って言うのは、将来この世界を滅亡へ導く可能性のある魔王候補を殺してこいってことよ。今の時点では素質しかもたない奴等なんだけど、それでも放っておけば──天使とは逆の存在である悪魔に捕まって、悪の存在に変えられてしまうかもしれないわねぇ。そう言えば、アナタ以外にもこの世界にやって来た異世界人が居るそうだけれど、もしかしたらそっちには悪魔がアプローチをかけているかもしれないわねぇ。もし心当たりがあるなら急いだ方がいいんじゃないのぉ?」
──まさか、クレア…………?
僕はただ聞いている。
「何にせよ、もう神様や──魔王代理である悪魔は寿命が近付いて来ていると言っていいわぁ。どちらの陣営も迅速に決着を付けたいと思っているはずよねぇ。だけれど、ただの神と魔王じゃ、天使と悪魔じゃ、人間じゃ、この戦いを終わらせられないし、亀裂一つも──歪みの少しも生むことはできないわぁ。だからこそ、両陣営がアナタのようなイレギュラーを求めている。たった少しの歪みでも生む可能性があるなら、それにすがりたいのが今のアタシ達なのよぉ」
そんなこと言われても、本当に困る。期待されても、本当に困る。
僕はただ聞いていた。
「もし嫌ならこの世界でできた仲間を連れてったっていいのよぉ? アナタさえいれば全人類が魔王と対抗したって、私達と敵対してもいいんだから」
「無理です……すいません。僕はそんな大事なことを引き受けることはできない。それに今は仲間達が居るし、僕はそいつらと仲良く、のんびりと生きてたいだけなんだ。もちろん仲間を巻き込むなんて論外だよ。……本当にごめんなさい」
僕は深々と頭を下げた。
はっきり言うなら、僕は勇者になんてならなくてもいい。
そんな僕の回答に対する日輪の反応は……、
「……ふーん、まあ分かったわ。今回は引いてあげるわぁ」
案外拍子抜けな応対だった。
もっと、無理矢理ぐいぐい来るんじゃないかと思ったんだけれど。
「どうせ、口で言っただけじゃ言うこと聞いてくれないとは思ってたしねぇ」
ああ、これあげるわ──と日輪が急に何かを投げつけてきた。
反応が遅れながらも、両手を使って何とかキャッチする。僕は何なのかを見てみる、日輪が投げ付けてきた物とは……球体の物体だった。
「これって……」
これは……僕がこの世界に来ることになった原因であろう物体──カプセルである。
何でこれを日輪が? どうして、どこで、これを見つけたんだ?
僕がそれを問おうとしたとき、
「近いうちにまた会うと思うわ、それじゃあねぇ」
精々仲良くね、お二人さん──と手を振りながら、日輪は去っていった。
──くそ、僕は……どうすればいいのだろう。
急な話すぎて正直付いていけない。さすがに超展開すぎるぜ……。
はぁ、仕方がないよな。とにかく今は……、次に日輪が来るまで待つしかないか。
……そういや、ご飯食べてなかったな……。
「──なあ、ひまわり」
「……なんですか」
「いや、その、……朝ご飯食べに行こっか」
「……はい」
結局、よく分からないままに僕達は宿から出ていったのだった。




