15話【森に潜む獣】
その後、僕達は洞窟の出口にたどり着いた。
何の障害もなく、それと言った事故もなく、それにモンスターは一匹たりとも出現しなかった。
ボーンヘッドの一匹や二匹くらい出てきてもおかしくはないと思っていたのに、出てきそうな気配すらなかったのだ。
ただ生温い風に乗ってくる異臭を鼻で受け止めながら歩くだけの、何の達成感もない冒険。
「──光が少し眩しいな」
僕は思わず口にした。今までずっと暗闇である洞窟の中に居たので、目に入ってくる白い輝きは尋常ではない。
「すぐに慣れるわ、この森は光があまり入ってこないからね」
行くわよ──と月夜が言って歩き始めた。
現在の位置は、洞窟の出口のすぐそばである。
洞窟から出るとすぐに巨大な木々が立っていた。恐らくは森の中に洞窟があったのだと推測できるけれど。
今までの生ぬるい風とは違い、気持ちのいい涼しい風が吹いている。そして、その風に乗ってくるものも異臭と言う臭いでなく、心が落ち着くような気のする自然の匂いだった。
小鳥の鳴き声や、多分僕の居た世界には居ない得体の知れない生き物の可愛い鳴き声がいいBGMになっている。
生き物と言ってもそれは小動物のことであって、僕の嫌いな気持ちの悪い虫などは全く見当たらなかった。どうしてだろう。
「……それより結局僕はどうすれば?」
あれからと言うものの、僕は自分が何をすればいいのか全く聞いていなかったのだ。
「武器」
「え?」
「私達がきみの手助けを必要とした理由。手助けしてもらおうと思った理由は、あの強力な武器を見たからよ。あの大蜘蛛の体を一瞬で消し飛ばす力は邪魔なモンスターを倒す上で利用できると思ったわけ」
納得はいくけれどいかないところもあるな。
あのとき崖底に落下する僕を助けずに、神器だけ頂いて殺しておく方がよかったのではと思うのだ。だって助けを断られたりしたら意味がないし、神器で攻撃を仕掛けられたりする可能性もないわけじゃない。
強奪よりもリスクが高すぎる。
何か別に意図があるのだろうか。
よく考えたら、あれ『武器』と言っているので、もしかすると『神器』だとは思ってないのかもしれない。
「腕が使えないとどうしようもないんだけれど? それとも月夜が使うのか?」
「私は使わないわ、慣れてる人が使わないと暴発暴走が怖いもの。後、そのときになったら縄は解いてあげるから心配しないで」
「そのときになって咄嗟に縄を解けるのかな?」
「その縄は魔法で縛ってるからね。すぐに緩ませることができるのさ。私の意思か、私が死んだときくらいにしか外れないでしょうから無駄なことはしないでね」
「まあ、考えとくよ」
──と先に進むと、
「助けてくれええええ!」
そんな声が聞こえた。悲鳴にも近い叫び声。
「今のは……なんだ?」
「放っておいていいんじゃないかしら」
「おねえちゃん、たすけにいかないの?」
「私達までモンスターに狙われるのはごめんだし、悪いけれどモンスターを引き付ける餌になってもらいましょう」
僕も賛成である。
縛られてなかったら助けに行ったかもしれないが──もしも叫び声の主が女の子の声で、リリィやマリーのものだと判断できたのならば、縛られた状態でも助けに行こうとしただろうけれど。
近くに何か居るのは確からしいし注意したい。
「かわいそうだよ」
とひまわりが言う。幼児ならではの優しさであろう。損得勘定抜きの単純な優しさだ。それは単純な優しさのように『単純な哀れみ』にも聞こえたのは気のせいであってほしい。
「私達もそこまで強いというわけじゃないから、極力戦闘は避けた方がいいわ」
あのモンスターともできれば会わないのが好ましい──と月夜は付け加える。
「あのモンスターって言うのは?」
「さっき言ってたモンスターよ。きみの武器なら倒せるかもしれないモンスター」
「参考なまでにどういうモンスターか教えてもらえるかな?」
仮に戦うことになった場合を考えると、特徴ぐらい知っておかないと不利だろう。空を飛べる力を持つ魔法少女でも不利どころではないはずだ。
と、僕はここで先に考えることのできた、思い付くはずだった疑問をやっと脳内に生み出すことができた。
「思ったんだけど、森の上を飛んで行くのは無理なのかい? その杖を使って」
「杖なんて古臭そうな名前で呼ぶのはやめて、ステッキと呼びなさい。そっちの方が最新型っぽくてかっこいいでしょ」
「…………うん」
かっこいいかどうかは知らないが、思わぬ返答に僕は少し黙ってしまう。
「それでその杖……じゃなくてステッキで森の上空を飛んで行くのは無理なのかい? そっちの方が楽でいいと思うんだけれど」
「無理ね」
きっぱりと言われる。
「あの飛行魔法はかなりの魔力を消費するのよ。ただ浮いて留まるだけなら減りは微々たるものだけど、動くとなったら浮いているときの魔力消費の十倍は軽く使うわ。スピードを出せば出すほど、時間をかければかけるほど、魔力もなくなってくるから途中で墜落するのが落ちね。提案としては悪くないけれど、現実的に無理だから却下させてもらうわ。持ってる魔力が多ければそれでもいいんだけれど」
「そうか──」
じゃあ本題に戻って、モンスターについて教えてもらえるかな──と口にする直前のこと。
喋りながら歩いている間に少し奥へと進んだわけだが、森の中は静けさを増していっていた。
別にそれは関係ないのだけれど、後ろの方向から僕は殺気を感じたのだ。
それはないか、僕には殺気を感じることができるスペックはない。僕が感じたのは──気付いたのは後ろの茂みがガサガサと音を立てたことで、決して明確な殺意を感じたとかそういうものではない。
そう、だから僕はあくまで音を聞いただけで、生い茂った草むらが不自然に揺れる音を聞いただけで。
何かの生き物の荒い息遣いの音を聞いただけだった。
少なくとも人間ではない何か。
「!」
僕は後ろを振り向く。それはもう、後ろに一万円札が百枚落ちてきたときのようなスピードでだ。
「ウォォォォォォン!」
後ろから雄叫びを上げながら、『犬?』、いやどちらかというと『狼』のような四足歩行生物が、僕に飛び付いてきた。
決してそれは、ご主人の帰宅を待つ犬が、飼い主が帰ったときに微笑ましく飛び付くようなあれではなく、明らかに明確な殺意を持って飛び付いてきたのである。
だけど、組み付かせはしない。
手が使えない以上は足で対抗するしかない。僕は体の中心を目掛けて飛んで来る『狼』を、タイミング良く自身の右足で蹴り抜く。
さながら蝿をはたき落とすかのようで、『狼』は地面に叩き落とされる。……蝿よりはかなりでかい的だけれど。
こうしてみると僕は案外蹴り技というものが得意なんじゃないかと思うのだが、そこのところはどうなのだろう。
「二人とも、ちょっと助けてくれ!」
僕は、呼びかける。けれど、二人は──、
「ちっ、何よこいつら。ひまわり気を付けて」
「おねえちゃんたすけてぇ、きもちわるいよー」
「言ってるそばから……」
『狼』に絡まれている最中であった。
しかも大多数の『狼』に。パッと見た感じ、十匹は彼女達に群がってる。
だが、月夜が自分とひまわりに寄ってくる敵を杖──もとい『ステッキ』による打撃で応戦し、見事に『狼』を倒した。流れるような動作で、慣れたような手つきで。
とは言え、ステッキだ。やはり、杖だ。そもそも僕がステッキではなく杖と呼称したのには訳がある。
渋い色の木で作られたであろう少し太めの棒で、先が渦巻き状になっているという、いかにも老いた魔法使いが使ってそうな物だったからなのだ。馬鹿にしてるわけではない。
そもそも杖は殴る為に作られた物ではないと思うし、魔法の使えるこの世界では、尚更殴る為の杖を作ることはないだろう。木製の棒で全力で応戦したら、杖が──ステッキが折れかねない。
つまり力を込めて戦えない以上、まさに文字通り倒すことしかできない。……戦闘不能の状態に倒すことができない。
『狼』はすぐに立ち上がる。
二匹の『狼』が今度はこちらに狙いを変えたようで、僕に向かってくるような体勢をとった。
「月夜! 縄を解いてくれ!」
と、強く言った。
反応はなかった。
月夜は愚か、ひまわりの反応もない。小さい子なら少しくらい反応してもおかしくはないのだが──と言うか、二人とも気にする素振りすら見せなかった。
どうでもいいと言うか、まるで僕が居ないみたいに。
「まさか……」
ここで僕は思う。一瞬で頭が高速回転して思考した。
そう言えば、彼女は僕の武器が必要とは言ったけれど。
そうは言ったのだけれど、『僕の武器』が必要なだけで『僕』が必要とは言ってなかった気がした。
それならば、あの崖底に落下していた時点で、武器を奪っていればいいと思うのだが。『僕』を助けずに、『僕の武器』だけを助けていれば良かったと思うのだが。
だって、後ろで手を縛られている僕が、いつ月夜やひまわりに殺されるか分からないように、月夜やひまわりもいつ僕の攻撃を受けるか分からないのだ。
それなら強力な武器を持った初対面の人間を傍に置くなんてしない。少なくとも僕はしない。リリィは強力な魔法を使えたが、あれは例外と言えば例外だ。
とにかく、いつ自力で拘束を解いて襲いかかって来るか分からない奴と同行したくはないだろう。
と、すれば少しばかりの良心と言うべきか。
あくまで自分達は正義の側だと主張すると言うことなのだろう。悪事を働くのは断固拒否と言うか……。
殺しはしない。付いてきてもらうだけ。モンスターを倒してもらうだけ。それで解放。
悪いことはしない。という建前だったけれど、本音は違う。
早く死ねばいいと思われてるのだと僕は思った。
殺しはしないけれど、殺されてはもらう。そう言うことだ。
まあ、誰かの悲鳴が聞こえたのに特に注意を促すこともしなかったし、ひまわりに気を付けてと言っても、僕には言わなかったし──いや、それは小さい子供だからというのはあるかもしれないが、何より決め手だったのが。
今は緊急事態と言ってもいい状態なのに、僕が『狼』に殺されてしまうかもしれないときなのに、ピンチには拘束を解くと言ったのに──月夜はそれをしなかった。
僕に死ねと言っているようなものだ。
仮に今まで思ったことが勘違いで、月夜には僕の拘束を外す余裕がなかった。ということを言われたとしても、僕はそれを信じないだろう。
それが真実だったと分かっても僕は月夜を信用しないだろう。
実際、僕は脅されている立場なので、そんな状況で他人を信用すること事態おかしいのである。
考えている間に、二匹の『狼』が三メートル程の間合いまで詰めてきて、そして僕が蹴り飛ばした一匹も動き出す音がした。
僕は死ぬかもしれないとここで覚悟する。
さすがに足しか使えないんじゃ、僕にもどうにもできない。神器も使えないし。
「まだやれる。いける」
まあ、死ぬかもと思っただけで。
生きることを。
この場を切り抜けることを諦めたりはしてないけれど。
ここで僕が殺されれば死体から神器を奪われ、洞窟から脱出し後続に続くはずの『リリィ』と『マリー』に大変な負担を与えるかもしれない。
殺されてたまるものか。
と意気込んでみるものの、やはり気合いを入れただけでは、逆転の方法を思い付いたり、この状況が改善したりする訳がない。のだけれど、何か起こるはずなどなかったのだけれど、流れが変わりだす。
「?」
思わず頭の上にハテナマークが出てきそうだった。
何故なら、『狼』が飛び掛かろうとしていたのを止めたからだ。攻撃態勢すら取っていない。
徐々に近付いて来ていた『狼』は、今度は徐々に離れていっていて、完全に攻撃するという気が無くなっていたようだった。
「なんだ? 急にどうしたんだ」
僕はどちらかと言うと闘争よりも逃走しそうな『狼』を見ながらそう言う。
「いきなりどうして……」
月夜も呟く。
多くの『狼』が小さく鳴いた。
「あっ!」
僕がそう声を上げたときにはもう遅かった。
『狼』は皆一気に逃げたのだ。陸上選手のスタートダッシュのように、当然それより早いロケットスタート。
恐怖から逃げるかのような必死の逃走に見えたのは気のせいだろうか。
「……ちっ……大丈夫だった?」
若干聞こえた舌打ちと共に僕は、月夜から案じの言葉をもらう。舌打ちなんて聞こえた時点で、本当に僕の身を案じているわけではないことは明白なのだが。
「うん、なんとか。お陰様で、ね?」
あえて皮肉めいたことを言う。
もちろん何か考えがあるわけでもなく、単に遠回しに月夜を非難しただけである。
「さっきのこと、後もう少しで死んでたよ。手が使えたらよかったんだけど」
「ごめんなさい。気が動転してて──自分のことで精一杯だったの」
割と冷静に対処できてたように思えたのは僕だけかな?
少なくとも自分だけで精一杯ではなさそうだったけど……普通にひまわりを守れていたし。
「まあ、いいよ。次はこれよろしく」
僕は後ろで繋がれた手をできる限りばたつかせて言った。
『これ』とは縄のことである。
「うん、次は絶対に」
失敗しちゃったみたいな焦った顔に僅かに混ざる、悪どい笑いを見ると、やはり月夜にとって僕はここで死んでほしかった存在だったのだろう。
森に生きるモンスターを倒すための、強力な『僕』の武器を『自分の物』にするために。
「ところでなんであのモンスター達は急に居なくなったのかな? 分かるかい?」
僕は月夜に質問する。
幼児に対しては答えを期待してはいないが、月夜とひまわり、一応二人に問いかけたつもりだ。
「んー、わかんなーい!」
ひまわりが元気に答えた。両手いっぱい広げて。
「そうね、色々考えられるけれど、あの『狼』がもう少し多く集まってたら正直危なかった。決して捕らえることが無理な状況じゃなかったに関わらず逃げていったということは。私達の本当の戦力に気づいたとか、例えばきみの武器みたいな──もしくは、自分達の天敵の接近に感付いたとか。後者が一番ありえるわね」
そのとき、あっ──とハッと気付いたように洩らす月夜。
僕も同じく『狼』のように直感で感じ取った。
天敵の接近という言葉に違和感を、違和を直感で感じ取った。違和感というか、ただの可能性なのだが。
「うしろ」
ひまわりが月夜を指差して言った。
正確には月夜の後ろに──いつの間にか後ろに居た生物を指差して。
月夜が振り向く。
「ケルベロス──」
それを見て月夜は無感情に、冷静に見せようとしているような声色で、そんな名前のような言葉を発した。
ケルベロスというのは、何かの神話──ギリシャ神話だったか。そんな話に出てくる『冥界の番犬』のことを指しているんだったと思う。そしてそのケルベロスは僕の率直で簡単なイメージで言わせてもらうなら『三つの頭を持つ大きな犬』。こんな感じである。
けれど、人間の感覚では気配を察することができない程のステルスで、月夜の後ろに来たその生物は、『犬』というか『三つの頭を持つ大きな二足歩行のカンガルー』だった。
テレビでしか見たことのない動物だったけど、三つの頭を持つという『とてつもなく珍しいカンガルー』を初めて見るカンガルーにできたというのは何か感動を覚える。
それにしても何だかとてもシュールだった。
可愛らしさすら感じてくるので、何とも言えない心境の僕。
ただ、大きさが三メートルくらいはあるんじゃないかと思うくらいで、可愛さより怖さの方を強調させている原因であっただろう。
ひまわりは全く怖がっていないようなので、怖いと見えているのは僕だけなのかと情けない気持ちになる。
動物に対する感想はこのくらいしか出てこないので、ケルベロスについての情報を知ってそうな月夜から話を聞こうと思ったけれど。
それは無理そうだった。
真後ろにモンスターが居る状況で悠長に話なんてやってられないから。
それ以前に『ケルベロス──』と言ってからの彼女はもう、喋ることのできる状態ではなかったのだ。
だって『黒影月夜』の上半身は無くなっていたのだから。
『ケルベロス──』と月夜が言ってから、ケルベロスはすぐに見た目とても軽いパンチを炸裂させた。
それは『黒影月夜』の腹部辺りに命中。
そして腰から上にある上半身が、下半身から分離──ちぎれて、軽いパンチのせいとは思えない程の勢いで僕の後方に向かって吹っ飛んでいった。
残った下半身は踊るようにして崩れ落ちる。
『黒影月夜』はたった今、『ケルベロス』の手にかかり──いや、肉球にかかり『絶命』した。
命を落とした。




