番外短編。『鼻は動かない』
参考書籍『鼻の表現』夢野久作
青空文庫より。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2145_16835.html
「ディって考えている事みーんな解るから」シーナに指摘された。感情の精霊の姿の見えない彼女があまりにも的確に私の心を知る事の不思議を問うた結果である。「だって耳が動くし」私は子供か。
……。
……。
年増女の甘ったるいため息、舌を痺れさせる毒水、香水の香りは彼女の体温と体臭を交えて愛情と命の精霊のざわめきと共に周囲に流れ、ジジジと煙を吐く明かりで踊る炎の精霊が楽しそうに酒場の様子を眺めている。そんな精霊たちの視線を知らぬ人間たちは酒を打ち合わせ、料理を口に運び、ゴミで濡れた酒場の床を踏みしめて、精神の精霊たちを騒がせて大いに騒ぐ。今宵もニンゲンたちは楽しそうだ。
そう思いながら水を飲んでいると「ディーヌスレイトさんはいつのもで良いですよね」酒場の主人が声をかけてきた。
「いつもの? とは?」「ディーヌスレイトさんってオムレツとスープと麺類が好きでしょう。それを一括したメニューですよ。ここ三連続で頼んでいますよ」それをいつもと言うのだろうか。人間と言うモノは。
素材となった命たちには少し罪悪感を感じるが精神の精霊の喜びや命の精霊の躍動、身体の中に水の精霊や炎の精霊の力を感じ、風の精霊や大地の精霊の巡りを手に入れることが出来る。単に食べるだけではなく、精霊の力を取り入れる調理と言うモノは魔力を使わずしてこれだけのことを成す。この主人は偉大である。
「神族のお気に入りのメニューと言えばだれもが一度は頼みますからね! ディーヌスレイトさんがよく来てくれるお蔭でうちは大繁盛でさ!」そうなのか。よくわからぬが感謝されているのならば嬉しい。
それはさておき確かにあれはとても美味しい。ふんわりとしたとき卵に特製の出汁を混ぜていて、海藻や野菜にキノコ、塩に甘みを加えたスープによく合うのだ。
麺類と言うモノは小麦を乾かして粉にして水で細い棒のような状態にする非常に残忍な調理法である。しかし悔しいが極めて美味だ。
「でぃ」「なんだ? シーナ」私が振り返ると、緑の服に緑のトンガリ帽子をかぶった娘が楽しそうに私の顔を対面座から見上げている。
「楽しそうね。オムレツ好きでしょう」「否定はしない」何故私の好みをシーナが知っているのだろう。ラッキィならば解るが。
そのラッキィは神官服にべったりと蜜がついたらしくその原因となった娘の額を撫でている。ちなみに悔しくはない。そもそもどうして『悔しい』と思うのか不明だ。
「ディ。嫉妬?」「嫉妬などしていない」「ラッキィは悪い人じゃないけど悪趣味かも?」「煩いぞ。シーナ。」
後で気が付いた。この会話の間にいつの間にか私はオムレツを食べきっていた。
酒場の喧騒もこの時の私の頭には入っていなかったようだと告白する。
「ぷ」
シーナは自らの鼻を低くて小さくて不細工と評する。
人間にしては小さな顔に適切な大きさで、大きな瞳に合っていると思うのだが。
その鼻が小さく膨れ上がってその下が少しのび、唇の両端があがる。
この状態をニンゲン達は『笑う』と呼ぶ。
突如笑い出したシーナだが、その笑いは他の仲間たちにも伝染した。まるで病のように。
「ぶははははっ?! ディーヌちゃん。おかしいよ!!」何処がおかしいのだ。ラッキィよ。
そのラッキィの鼻は少々酒が入っていて赤い。カリンの頬と鼻がすこし膨らんでその安酒を取り上げてしまう。
ラッキィの口が閉じて大きく右により、その鼻を引く。
カリンはツンとその鼻を振り、ラッキィから視線を外した。
「おむこさんは呑みすぎダメです」誰が婿だ。ラッキィは貴様の妻ではない。
妻ではなくて夫と言うのだったか? 人間の習俗は解らない。
「お言葉ですがディーヌ。鼻というものは人間の顔面の中央にあるもので動きません」「動くのだが」奇妙なことを言う『我が子』ファンに呟く私。私が何か変なことを言ったのだろうか。
ちなみに彼の鼻の上、眉毛のあたりの皮膚は少し動いている。
人間の男性からすれば端正だという高い鼻に整った唇が少し動き、私に苦言を吐きだすいつもの彼だ。
「『王の鼻は動かず。ただ其処にあることで動的表現の全てを成す』ですね。ディーヌスレイト様」そういう話は父が得意だったな。ほとんど妄言の類だが。
そのシーラの鼻はそれほど高くはない。しかし全体的に彫りが浅いこともあり結果的に高く見える。その真珠色の肌の鼻は微動だにせず、口の両端を少し上げることで他者の機嫌を取ることが出来る。
シーラが言う『王の鼻は~』の話は死後神々の裁判にかけられた人間の王が、王自身及び王の耳目や唇なども含めて神の審判の前に屈したその後も神々の審問に堂々とその態度を崩さずに無実を守り抜いた故事に由来するが、シーラが見聞きしたわけではないだろうに。
「でぃーぬの耳、ぴょんぴょん動いて可愛いの」そういって何時の間にか私の背後に回って私の耳に触れるカリン。この娘は本当に遠慮がないな。
私の耳は人間の聴覚のみならぬ感覚も持つ器官であり敏感なので触らないでほしい。
彼女の鼻から漏れる息が私の髪越しに防具に覆われたうなじに触れる。やめんか。
「その王の鼻、一度見てみたいものだ」
同じく安酒を煽りながら汚く汚れた壁に寄りかかって酒瓶を呷るのは『教授』。その高い鼻は空をむき、酒臭い息を吐いてシーラにたしなめられる。
恐らく、『教授』の鼻に似ていたのだろう。かの王の鼻は。
そうしてまた酒臭い息を吐いてシーラに酒瓶を取り上げられる。
「良いじゃないか。酒くらい」「『お兄様』。呑みすぎでございます」
シーラの鼻がすっと『教授』の鼻に触れそうになる。少し眉を吊り上げ、怒っているかのような表情を作るシーラだが別に怒っているわけではない。心配しているらしいが。
「解ったよ。酒は控える」「是非、そうしてくださいませ。この席には未成年が多いのです」澄ました顔という表情を作るシーラ。その中央には不動の鼻がある。
「ディーヌの耳ってぴょんぴょん動いたり、悲しいときは垂れ下がったりするから一発で何考えているかわかる」
シーナにそう言われた時、私は大人げなく彼女に食ってかかった。
そういうことをするのは一族の中でも子供であるエルルくらいだ。私は大人である。耳など動かない。子供は動くが大人のエルフは動かない。
そもそも精霊の言葉を解する我らは身や声を用いずとも意思疎通が出来る。
「ほら、耳が立ってる」訳知り顔に鼻をたてて見せるシーナ。
「何を言うか。貴様らだって精霊の声など聴かずとも考えていることが解るぞ」
わたしが指摘すると皆は少し鼻を膨らませ、一気に噴き出して見せた。
「あはははっ ディったらおかしいっ」「鼻が動くわけないじゃん! ディーヌちゃん」「ディーヌ様は流石に博識ですわね」「ディーヌ。私からみても負け惜しみに見えますよ」マゲオジミとはなんだ。ファン。東方の髪形か。
「ディーヌの耳、動いて可愛い」カリンがちょっかいを出してくる。やめんか。あと斧にも触るな。触れることは出来ないが耳で遊べないからといってそちらで遊ぶな。
「エルフの耳の文化的、心理表現、及びその生理的機能についての論文。なかなか興味深いな。俺の専門が歴史なので門外漢なのが惜しい」教授。妄言を鼻にかけるな。
人間の鼻はとても雄弁であるが。
彼らはその事実を知らないらしい。
おっと。言い忘れていたことがあった。
シーラの鼻だけはこの間、まったく動いていなかったと。




