夢願堂 ―猫の独白―
吾輩は猫である。
ここで“名前はまだない”と続けると、とある日本文学の一文になってしまうな。
安心しろ、吾輩にはちゃんと“サンジューロー”という吾輩を拾ってくれたご主人が、名づけてくれた立派な名がある。
吾輩は今日も散歩していた。
日向の当たる道を歩くのは、とても気持ちのいいものだ。
だが最近の人間どもは、いつもいつも家にこもって、“うぃー”とか“ぴーえす”とかいう“てれびげーむ”というもので遊んでばかりで、ちっとも外に出ない。
大人もシゴトだなんだかんだと言って、外へ散歩に行かないんだ。
たまに暇になると大体家で寝ている。
まったく、最近の人間どもはおかしなやつばかりだ。
こうやって日向ぼっこをしないなんて人生の楽しみがないのではないかとたまに思う。
ご主人の息子も最近家に引きこもりがちだ。
なんでもジュケンというものらしいが、猫である吾輩はこういったことはよくわからない。
そんなことをつらつら考えながら歩いていると、一人の人間が吾輩をひょいと抱き上げた。
「猫。」
吾輩を抱き上げたのは、曇り空みたいな髪色で左右違う色の目をした子供だった。
この人間は好きだ。いつも吾輩をなでてたまに遊んでくれる。
「どうしたんだこんなところで」
『散歩をしていたのだ』
「そうか」
ただ不思議なことにこういう風に、人間と会話ができる変なニンゲンだ。
いや、もしかしたら人間ではないのかもしれないと、野良猫のギンシチは言っていた。なんでも匂いとか雰囲気がほかの人間と違うらしいが、吾輩はそういったことがよくわからない。
まあ、悪い奴じゃないと思う。 それに、人間じゃないとしても、石をぶつけてくる近所の人間のガキ
よりは何億倍もましだ。
それにこいつは俗に言うヤサシイヒトだから、吾輩はこいつが好きだ。
ただ、
「猫、今日暇か?」
『何度も猫じゃなくてサンジューローと言っているだろうが』
「猫は猫だろう」
こいつは人(吾輩は猫だが)の名前を覚えない。
それを除けばいい奴なんだが……
そういえば、いつか“てれび”とかいう変な箱の中の人間が言っていたな。
“完璧な人間はいない”
ああ、まさにそういうことか、と吾輩は一人で納得した。
「猫、どうした。」
『いや、なんでもない。考えごとをしていただけだ。』
「そうか。」
『そうだ。』
そんな会話をしているとどこからか音楽が流れてきた。
この前ご主人がお昼の合図だと言っていた。
ん?ちょっと待てよ。 確かこの時間帯は……
『おい、今日はガッコウとかいう場所にはいかないのか?』
「授業面倒だから抜け出してきた」
『また、ツキネとかいう小娘に怒られるのではないか?』
「べつにいいさ。」
こいつは時々自分のことをさも他人事のように話す癖があるニンゲンだ。
今日も、別にどうでもいいといった態度で自分のことを話した。
「べつに、怖いとか、いやだなんて思わないし。」
『なんでだ。怒られるのだぞ?』
吾輩は眼を見開いた。
怒られるのを怖いとかいやだなんて思わない奴なんているのか?
吾輩は怒られるのはいやだ。
ご主人は吾輩がいたずらすると吾輩を怒る。だから吾輩はいたずらをしないんだ。
ご主人が怒るととても怖いからな。
あのツキネという小娘も起こると怖い。
だが、何故こいつは平然としているのだ?
『どうして、怖いと思わないんだ?』
「わからない。ずっとそうだったから」
『おまえは不思議な奴だな』
「そうか。 ……あ、今日魚が余っているから、食べにくるか?」
『行く!』
話を変えるように言ったこいつの言葉に吾輩は喜んで飛びついた。
吾輩はこいつの家に来た。
そこでなんだか不思議な事が起こったのだ。
「食べないのか?」
『なんだか食べる気がしないのだ。』
「そう?」
『変だぞ? 最近ものを食べたような感じがしないのだ。』
「……そう」
『それに、いつも吾輩をいじめるガキどもの前に行っても吾輩に無反応なのだ。』
「そう」
静かに目をふせるこいつはなんだかいつも以上に変な感じがする。
何なのだ? 一体……
不思議に思うも、こいつは何も語ろうとはしない。
吾輩も、何も語らなかった。
その時
「たっだいま!」
入口のほうからツキネという小娘の声が聞こえた。
「月音。」
ぽつりとこいつは小娘の名を呟いた。
「叶夢!今日も学校サボったでしょ!」
「……」
「ちょっと聞いているの!」
「別に……」
こいつはそっぽを向いた。
聞く耳を持たないの体制だ。
はあとツキネはため息をつくとこいつと吾輩を置いて部屋を出た。
『怖かったぞ。おまえはあいつを怖いと思わないのか』
「べつに?」
『つくづく不思議な奴だなおまえは』
「よくいわれる」
『じかくがあったのだな』
「じかくしているんだ」
『本当にへんな奴だ』
「俺からすれば、猫は不思議な生き物だ」
『そうか』
「そうだ。」
「ちょっと叶夢!」
突然ツキネが吾輩とこいつの会話に口をはさんだ。
「なんでそうやって一人でしゃべっているの?」
『は?』
「何にもないとこに魚の乗ったお皿出してさ」
『おい、この小娘は何を言っておるのだ!』
「さっきから一人で何にもないとこ向かってしゃべっていて……、動物としゃべっているのは何度も見たけど、なんだか今日の叶夢おかしいよ。」
『な、何を言って。』
「叶夢、どうしちゃったの? ……もしかして、よく遊びに来ていた近所の猫、サンジューローだっけ? あの子が死んじゃったから、落ち込んでいるの」
『なにを、言っているのだ? 吾輩はここに』
「仲、良かったもんね。 ごめんね、無責任なこと言っちゃって。 今日は叶夢の好物作ってあげるから、元気出してね」
そそくさと立ち去る月音をみて吾輩は気がついた
『吾が輩は死んでいたのだな』
「うん」
頷いたコイツの顔は影になって、見えなかった。
『吾輩がいなくっても、寂しがるなよ』
「猫に慰められるなんて……」
『貴重な経験だぞ』
「もう、いくのか?」
『ああ、吾輩は十分生きたからな』
「そう」
『元気でな』
やがて、吾輩の身体は光に包まれ……消えた
ぼぅっと空を眺める叶夢に、月音はおずおずと声をかけた
「かなむ?」
「月音か」
「どうしたの?大丈夫?」
「なにが」
「だって……」
月音はそっと叶夢の頬に触れた。
やがて、ゆっくり離れた月音の指は、濡れていた
「……!?」
「わからなかった?叶夢、ずっと泣いていたんだよ」
「俺が?」
月音はゆっくりと頷いた。
叶夢はうつむいた。
「わからない。俺は、俺自身は感情なんて……無いと、思っていたから」
「そうだね。」
「……」
「叶夢は感情なんて、ださなかった。」
「ああ、なのに……」
「でも」
月音は少し大きな声で遮ると、叶夢の目をみた
「いいじゃないの?叶夢に、悲しいと感じる心があっても」
月音はにこっと微笑むと叶夢の手をとる
「ご飯食べよう。冷めちゃうよ」
「……ああ」
いつの間にか、涙は止まっていた