彼女を護る騎士
彼女を護る騎士
「……」
「……」
両者、無言。
水色のシャツを片手に動きを止めたあたしの上半身はほぼ裸。色気のかけらもない下着姿だが、見られてもいいというわけでもない。
「わ、悪い」
先に我に返ったのは天海だった。ものすごい音を立ててスタッフルームのドアが閉まる。1人取り残されたあたしはずるずるとその場に崩れ落ちた。
最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。
どうしてあたしは更衣室で着替えなかった! 横着しないで女子更衣室に行けばよかったんだ。そうすればこんなところで天海に下着姿を見られることもなかった。
とにかく意識したら負けだ。
あたしは慌ててシャツを着てエプロンをつけて、裏口のドアから飛び出した。天海を探して見回せば、ドアを開けてすぐ左に壁を背にして彼は座り込んでいた。その眼はどこか遠くを見つめている。
「……天海」
「悪かった」
「あ、いや」
「けど次から更衣室で着替えろ」
「……うん」
あたしも天海もそこで黙り込んでしまう。やばい気まずい。ちょー気まずい。
空から女の子でも降ってこないかな。そうすりゃ話題も変わるのに。
「あ、まゆちゃん。天海くん。おはよう」
あ、きましたね。空からではないけれど、愛らしくすばらしい乙女がやってきましたよ。
「陽菜!!」
「『あまみ』の制服似合ってるね、まゆちゃん。そっちのほうだとは思わなかったけど」
「いやあ、あのスカートは恥ずかしくって。それより今から着替えるんでしょ、行こう」
「あ、でも天海くんは……?」
優しい優しい陽菜様は、座り込む天海になにか異変を感じ取ったらしい。そんなの気にしなくていいのよ。暴いたってどうしようもないハプニングしか出てこないから。むしろ何も聞かないでくれ。
「いいんだよ、天海は。ほらほら早く入って入って」
最悪だ、と下着姿を見られたことばかりを気にしていたが、もしかしてこれはチャンスなのではなかろうか。そう、天海の弱みを一つ握ってしまったのだ。クラスメイト(しかも女子)の着替えシーンを目撃してしまうという、男子ならきついお仕置きが待っている状況だ。『キャー天海くんのエッチー! サイテー! チカンー!』と叫べばあっというまに彼は悪者である。
これって、利用できるんじゃね?
店の中へ陽菜を押し込むと、あたしは素早い動きで天海の耳元に近づいた。
「1つ貸しね」
「……は?」
「あたしも悪かったけど一応傷ついたし、貸しってことで」
「……あ、ああ」
戸惑った様子で天海は頷く。
「あたしの気が向いたときに返してって言うから」
よし、これでいいや。
美形転校生に貸しも作れたし、気にしないことにしよう。
着替えを覗かれたことから始まるラブコメ的な展開は全く必要ないし、それならあたしにとって得な選択をしておくべきである。
あたしは天海の困った顔を思い浮かラッキーと思いながら、陽菜を女子更衣室に連れ込んだ。
もちろん、その白くやわらかな肌を脳に焼き付けながら胸いっぱいに香りを吸い込み陽菜というこの世の楽園に浸るために決まっている。
「じゃあ陽菜、お着替えしよっか~」
「ま、まゆちゃんっ」
先ほどまでの天海とのトラブルなど完全に吹っ飛び、あたしの指先は陽菜のボタンへと伸びる。一枚一枚と花弁をはぐように、陽菜という花の中心へいたるためにその服を脱がして――……
「ちょっと、佐藤」
スタッフルームの方からやってきた織枝の声はまるで氷のよう。冷たいっていうか、今のあたしと温度差があるという意味で。熱くなったあたしへその氷が投げつけられる。
「かおるさんが呼んでる。仕事だってさ」
「……っち」
「今舌打ちしなかった?」
「いいえ、全く、あんたの気のせいじゃない?」
一気に不機嫌になったあたしと不審そうにこちらを見やる織枝は共に店内へ向かう。
「前から思ってたんだけどさ」
「うん」
「佐藤って日浅のことが好きなの?」
「いや、前からわかりきったことでしょ」
「そうじゃなくて………………性的な意味で」
目の前にあったスタッフルームの壁におもいっきり頭をぶつけそうになった。
もっとましな表現はなかったのかとツッコミたくなる一言だ。
かおるさんのところへ行く前に、あたしの純粋なる愛を織枝に教え込まなければいけない。
この真剣な思いが伝わるように、ゆっくりとあたしの中の情熱を言葉にしてく。
「陽菜への愛はね、そんな穢れきったもんじゃなの。例えるなら、奇跡的に咲いた世界に一つしかない花を恋慕といううざったい害虫と嫉妬というくだらない病気から護るような、愛よ!」
「はあ」
「わかった?」
「えーと、うーんと、要するに、性的な意味では――……」
「あんたはそれ以外の表現できないの!?」
「百合とかレズとかそーゆー」
「違う!!」
「友人として大事?」
「その通り!!」
大正解です。おめでとうございます峰 織枝さん。
この正解にはもっと早い段階でたどり着けただろうに。どうしてこうなってしまったのか。
「いや、でも友人っていうか……」
答えは出たというのに織枝は何やら考え込んでいるようだ。うーん、うーん、と唸りながら頭を左右に振る。手を額に当てて悩むその姿は『考える人』というタイトルがぴったりだ。ロダンとはまた違う感じだけど。
そして「触れさせない……俺がお前を……愛する……」とぶつぶつ呟いて織枝は顔をあげた。お化粧マジックによって普段より大きく見える瞳に怪訝な表情のあたしが映りこんでいる。
「日浅と佐藤ってさ、『友人』って言うよりも『姫』と『騎士』って感じだよね。いや、どっちかっていうと『姫』と『姫を愛しすぎている騎士』?」
なんだかその表現はあたしたちのことを的確に表していた気がする。
10時の開店と同時に店内は人でいっぱいになった。
喫茶コーナーでは奥様や女子高生やカップルがケーキと紅茶を楽しみ、数の少ない席を全てうめてしまっている。
「マユミちゃん、3番テーブルにワッフル持って行って! キャラメルのやつ!」
「はい!」
いつもの陽菜以外どーでもいいというだらだらした空気を投げ捨てて、あたしは必死に働いていた。というか陽菜なんていない。なぜなら彼女は「看板娘だから」という理由から、店頭で焼き菓子を売っている最中だからだ。そりゃあマイプリンセス陽菜が店の前でそんなことをしていれば、花の匂いに惑わされた虫どもがやってくるのは自然の摂理。結果、いつも以上に「あまみ」は大繁盛。外の焼き菓子も飛ぶように売れ、大変忙しくあたしは働いておりました。
手が空いたときに窓から見える陽菜の横顔のおかげで、あたしのエネルギーはなかなか切れそうにない。今日の陽菜の髪型は左右におさげをつくってそれを白いリボンで結んでいる。おっとりしたお嬢様って感じだろうか。その髪型はアリスっぽい店の制服に本当によく似合っていた。織枝もまあ可愛いな、と思ったけどやっぱり『本物』は違う。
織枝に騎士だなんてかっこいいことを言われてしまったあたしは満更でもなかった。
陽菜が姫だというなら喜んで跪こう。プリンセスとナイトごっこなんてたまらないではないか。ワッフルを運び終わったあたしは窓という額縁に納まる陽菜をうっとりと眺めていた。
「もう! 佐藤、働きなよ!」
あたしがいつも頼んでいるものとは違う普通サイズのパフェを運びながら織枝に怒られる。いやだって今仕事ないし。レジは打てないし、特に運ぶものもないし、どうしろと。他の人たちが忙しそうに動き回る中、頼まれごとがなければあたしはただ立っているだけ。
「仕事は自分で見つけて、自分から行動するものでしょ?」
予想外のところから声がかけられた。
ディスプレイケースの隣でぼんやりしながら次の指示を待っていたあたしの前にいたのは見慣れた同級生だ。どこにでもいそうな平凡な顔つきのクラスメイト、柳田。
あたしの大っ嫌いな森口の友人である彼が登場したことで、もしかして、爽やかサッカーバカが来ているのではないか、と警戒したが無駄な心配だった。そういえば森口の所属するサッカー部は他校と練習試合のはずである。
「……えーと、何か御用ですか?」
「受け身な佐藤さんに仕事でもあげようかと思って。シュークリームある?20個ぐらい」
並べよ。
注文きいてる店員さんの前に数人並んでるだろ。どうしてそれを無視してあたしのところにこいつはやってきたんだ。
「並ぶ前に、在庫があるか知りたかったんだよ。もうケースには数個しか残ってないでしょ?」
あたしの心を読んだかのように柳田はすらすら答える。
「あとさ、接客の時にそういう態度はよくないよ。不機嫌さが全部顔に出てる。金もらって働いてるんだから、ちゃんとしたら?」
「っな」
何も言い返せなかった。
柳田に怒りをぶつけるなんてお門違いだ。どう考えたって悪いのはあたしで、アルバイトの接客態度を指摘する彼の方が正しいに決まっている。陽菜を見つめてだらけているのはいつもやっていることだ。けれど、場はきちんとわきまえなければならない。あたしの行動ひとつで店のイメージだって変わってしまうだろう。大切な陽菜の働いているこの「あまみ」の印象がダメな方へ転がってしまったらどうしよう。
「……在庫の確認をしてまいりますので、少々お待ちいただけますか?」
柳田がイエスと首を振ったのを確認して、あたしは厨房へひっこんだ。
どうしよう、完全に負けた気分だ。
言い返せない。しかも自分の態度にいいわけもできない。ガムを道で踏んでしまったようなどうしようもない表情で、あたしはかおるさんにシュークリームの残りを尋ねに行った。
「その奥の冷蔵庫の中にあるわよ。ちょうど仕上げたところだから持って行って」
「……ありがとうございます」
「どうかした? 酷い顔してるわよ?」
「何でもないです……すみません、ちゃんと働きますね」
不思議そうな顔のかおるさんに見送られ、あたしはシュークリームを補充しに店内へ戻った。あたしだとうまく陳列できないのであとは慣れた従業員さんにお願いする。
「よかった、20個余裕でありそうだね」
何事もなかったかのように柳田は話しかけてきた。
「確認してきてくれてありがと。助かったよ」
「……よかったですね」
「笑顔がぎこちないよ?」
「すみません。以後、気を付けます」
先ほどの態度の謝罪も込めた。
確かにあたしが悪かった。学校であった時に気まずい思いをするのはまっぴらごめんだ。
「よかったね。僕のおかげで気が付けて」
特徴もないモブキャラみたいな顔に笑みをのせて、柳田は並んでいるお客さんのところへ行ってしまった。どこへ持っていくのかしらないが、大量のシュークリームを買うためだろう。
注文に追われ、ばたばたしていたときよりもどっと疲れが押し寄せる。
前から付き合いにくい男だとは思っていたが、これからはあまり柳田に近づかないようにしよう。心の中でそう決めて、あたしは自分から仕事を見つけて片付けることにした。
お客さんが去った後のテーブルを拭いて、ごみを拾って、焼き菓子なんかの個数をチェックして、頼まれた仕事をしていないときはそんな感じであたしは過ごしていた。気になったことがあれば手の空いている従業員の人にやってもいいか確認して行動に移す。わけがわからないまま動いてあとで怒られてもやだしね。
そう、柳田と会った後はわりとまともに働いていたのだ。
悔しいけれど、少しはあたしを注意してくれたヤツに感謝しておこう。食器を洗っておいたり、テーブルチェックをしたり、これでよかったのかなと不安になったときに「ありがとう」と従業員の人に笑顔を向けられるのはそんなに悪い気分ではなかった。
「マユミちゃん、オリエちゃん、休憩してくれていいわよ。店も落ち着いてきたし」
朝から動きっぱなしなのに疲れた顔一つ見せないかおるさんはプロだと思う。そのプロからのありがたいお言葉を受けて、織枝はスタッフルームへとさっさと移動してしまう。やってくるのが遅かった陽菜はまだ休憩時間にはならないのだろうと外へちらっと視線をやれば空気を読んだかおるさんが頼みごとをしてきた。
「マユミちゃん、申し訳ないんだけど休憩前に追加の焼き菓子とお釣りの小銭をヒナちゃんのところに持って行ってくれる?」
あなたの大好きな陽菜ちゃんに会ってきてもいいわよ、ということである。その願いを快く受け入れてあたしはマイプリンセスに会いに行こうとした時だった。
「すみません、少し抜けます」
普段のクールな生活態度とは180度違うスマイルで接客をしていた天海 冬馬が手にしていたお盆をかおるさんに押し付けて店を出ていった。しかも少し慌てた様子で。
何だ、どうした。
あたしはかおるさんに頼まれたお菓子とお金をしっかり受け取ってから、天海の姿を追うように店外へ続くドアを開けた。
お昼もすぎて眠くなるような空気の中、何人もの人が街を行き交い平和な世界がそこにはひろがって―――……いなかった。
「突然現れてヒーローのつもりか、お前? マジウゼェ」
「用があるのはそっちの女の子なんだよね。どっか行ってくれない?」
2人のガラの悪そうな兄ちゃんが天海を睨み付けている。その天海の背に庇われるように隠されているのは、陽菜だった。
「ねぇ、バイト終わったらでいいからさ、どっか遊びに行こうよ」
いやらしく目を細めて一人が陽菜を覗き込む。びくりと肩を震わせて陽菜は天海の背中にしがみついた。その時点で何が起きたのかだいたいの察しはつく。
陽菜の足元にも及ばないバカ2人があたしの姫にからんでいるのだ。遊びに行こうと。要するにナンパである。
最初は穏便に済まそうと天海は丁寧な口調で話しかけていたが、諦めの悪いバカの態度にだんだんイライラしてきたらしい。
「見てわからないのか? 嫌がってるだろう。早く立ち去ってくれないか」
護られる陽菜と、護る天海。
その姿はまるで姫と騎士ではないか。さっきまで騎士ポジションはあたしだとはしゃいでいたというのに何だこの敗北感は。
「あたしの陽菜に何か御用ですか?」
怒りを含んだ声で、バカ2人組と姫騎士コンビの間に割って入る。「まゆちゃん!」と陽菜の嬉しそうな声が小さく聞こえたのでちょっとテンションが上がった。
「なんだよ。ヒーロー気取り2人目か?」
「くそガキが何の用だよ? 女を護る前に、男ならまず身長伸ばしてきたら?」
ゲラゲラと品のない笑い方でバカにされる。
男子用のあまみの制服を着ていたせいで男と間違えられたようだ。お前らは本当にダメだな。「『あたし』の陽菜」って言っただろうが。あと小さいとはいえ胸はちゃんとあるぞ。
「とにかく営業妨害だ。これ以上ここで騒ぐなら警察を呼ぶぞ」
美青年の怒った顔はシャレにならないぐらい迫力がある。しかし天海の眉間にしっかりと不機嫌を表すしわがあったとしてもその美しさは変わらなかった
「ふざけんなよ! ただ遊びに誘ってるだけじゃねぇか!」
「それが迷惑だと言っている」
「お前に関係ねぇだろ? どけよ部外者!」
何を言ってもバカな2人組は引きそうもない。
そのうち「顔がいいからって偉そうにしやがって!」と無茶苦茶な理由で、茶髪の方の男が拳を振り上げた。天海より前の位置にいたあたしにそれは直撃しそうになる。けれど。
「危ないだろ」
いつもよりずっと低い声だった。
低音ボイスにどきっとさせられた瞬間に、あたしの視界は天海の着用していたシャツの色でいっぱいになっていた。そっと前へ出ると、茶髪が痛そうな表情でもだえている。何が起こったかというと、殴りかかってきた茶髪の手首の部分を天海がつかみ、背中の方へねじり上げたのだ。普段ならありえないような位置で固定されているのだから相当痛いだろう。だが自業自得である。
「おい、放せよ!」
もう1人のバカが天海に掴みかかろうとしたが、これ以上はあたしも黙っていられなかった。
「村雨 慶介くん」
耳元でささやいてやれば、今まさに天海に向けられようとしていた怒りがぴたりと止まる。「……どうして」
名前を知っているのか。それはあたしたちの中で君たちは危険人物扱いされているからだよ、と心の中でそっと答える。
これからあたしがしようとしていることを知ったらあのお嬢様は怒るんだろうな。少し憂鬱になりそうな気分を振り払い、あたしはバカへのおしおきを開始した。
「お姉さんに毎日起こされているんだっけ? 『けーたん、朝だよ、起きないと遅刻するよ? 起きないとちゅーしちゃうぞ』だったよね?」
よろよろとバカ村雨が後ろへ下がる。こちらを信じられないような目で見てくる。はっはっはお前の姉ちゃんがブラコンなのは近所中知っているぞ。
相棒の様子がおかしいことに気が付いたもう一人の不良は、暴れるのをやめて天海に大人しく拘束されるままになっていた。先ほどまであんなに痛そうにしていたというのに、痛みなどよりもこちらが気になるようだ。
「1番最後におねしょをしたのは中学1年のときで、「これがけーたんのラスト粗相かもしれない!」ってお姉さんにばっちり写真撮られちゃったんだよね」
「おま、それは、ど、して」
村雨は顔を赤くしたり真っ青にしたりしている。
まああたしもそんなことされたら恥ずかしくてしばらく外は歩けないだろう。
「写真あるよ? 村雨くんの行ってる学校にばらまこうか?」
自分で言っておきながら、本当にひどいやつだと思う。
ここまであたしにさせたのだから、引いてくれないと困るよ。これ以上のことは話すと彼の今後が本当に大変なことになるだろう。陽菜にからんできたのは万死に値するが、あたしも鬼ではない。騎士だ。今日はこれぐらいで許してあげようじゃないか。
さて、いよいよもう1人の番だ。
「あ、君は松坂 義博くんだよね? 小学校の卒業文集で面白いことを書いたと有名な松坂くんだよね?」
茶髪野郎は自分の名前もいい当てられ唖然としている。あたしと村雨のやりとりが始まったあたりから動かなくなった松坂の手を天海が放す。もう押さえていなくても騒ぎそうな様子はかけらも感じられなかった。
「『僕は将来魔王になります。そして世界を征服するのです。僕が世界を征服したあかつきには』……」
「ストップ! ストップだ! くそガキ、どうして知っていやがる!?」
その穢れた手で触れないでくれないか。後で陽菜にぺたぺたさわって消毒してもらわなければならないではないか。いや、それだと陽菜の手が汚れてしまう可能性が……やっぱり却下。お前の手に触れないように頑張ってやる、と0.5秒くらいであたしの思考がそこへいたった結果、掴みかかってくる勢いでこちらにやってきた松坂をひらりとかわすことができた。陽菜へのラブパワーによってあたしは驚異の身体能力を発揮することができるのだ……という設定だったら面白いよね。
「よけるな!」
「よけるよ。えーと、あと松坂くんは中学の時に『第三の眼』があったんだよね。すごいね。たしかマジックで描いて、それを発見したお母さんに怒られたんだよね」
「やめろぉ!!」
もうさっきまでの余裕たっぷりのニタニタ笑いが嘘のように不良2人は焦っていた。誰にも知られたくない事実によってだ。天海の店前でやらかしているため、先ほどから数人のお客さんや街の人たちがこそこそと話をしている。「おねしょ」「中二病」などの単語がときどきあたしの耳に入ってきた。
「これ以上ここで騒ぐ気なら、もっと恥ずかしい話もあるし聞かせてあげようか? 君たちに実はマゾっけがあって羞恥に震える自分を晒したいって言うなら話は別だけどさ。あたしはその方が楽しいけどね」
松坂も村雨も反抗する気はないらしく、悲しそうなしかし怒っているような複雑な表情でその場を立ち去った。「おぼえてろよ!」とよくある悪役台詞がくるのではないかと若干期待していたがそんなことはなかった。
「すごいね! まゆちゃん! あの人たちを追い払っちゃうなんて! でも危ないから次からは飛び出してこないでね。殴られそうになったときは、心臓が止まるかと思ったよ」
マイプリンセスに手を握られて、あたしの心は羽が生えたかのように軽くなる。殴られたかのようにふらふらしますよ陽菜ちゃん。あなたの優しさという一撃もそうとうキツイです。
「とにかく2人とも怪我がなくてよかった」
気遣うような発言をしつつも天海の声は不満たっぷりだった。
お前も心配してくれていたのか。それはどうもありがとう。「危ないから出てくるなよ」とその態度から聞こえた気がした。いや、天海は何もしゃべらなかったけど。
あ、そうだ。あたしに振り下ろされそうになった拳を止めてくれたときに何かドキッとしたけれど、残念ながらあれは素敵な恋の始まりじゃないから。驚いただけだから。
「ありがとう、とりあえず助かったよ」
一応感謝は伝えておく。あんたがいなかったらあたしは痛い思いをしていただろうから。
それから3人で、お騒がせしてすみません、もう大丈夫ですから、と頭をぺこぺこ下げて、あたしだけ店内に戻った。お客さんたちは、「まるで学園ドラマを観ているようだったよ」などといった謎の感想ばかりで、あまり不快には思っていないようだ。気分がいいものではなかっただろうと考えていたのに、あたしが不良を追い払った場面は胸がすかっとしたらしい。そんなことを言われてあたしは調子に乗っていたけれど、あとでかおるさんにとても怒られた。そして涙をぼろぼろ流して無事でよかったと抱きしめられた。
様々な事件はあったものの、こうして「あまみ」での1日バイトは終了した。
そして思い出すのは、あのお嬢様のことである。
これからいつものメンバーと会議をして、そのときに怒られるのだろうと嫌な未来を想像して、あたしの心はバイトのお給金を受け取っても晴れなかった
お嬢様についてはまた次回