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彼女と転校生1

『だってぇ、しょうがないじゃないですかー。2人は出会う運命だったんですから……グベボッ!!』


真っ黒で人型をしたそれは、『運命』と書かれた紙をセロハンテープで頭部っぽいところに貼り付けていた。

あたしはその『運命』をひたすら殴り続ける。

『いだっ……やめて、…グブッ!!』

ひたすら殴り続ける。

『ブガッ!!!……ごめんなさっ…ごめんなさい!!』

ひたすら殴り続けた。


意味が無い、ということは分かっている。それでもあたしの怒りは抑えられない。

何故、陽菜とぶつかった男が転校してくるのか。何故、その男は美形なのか。何故、偶然陽菜の隣の席が空いていて男がそこに座ることになるのか。ああっ…イライラする!

『運命』か『偶然』か、この際どっちでもいいや。あたしには怒りを叩きつけるサンドバックが必要だった。


『…ッフ…グハッ!……痛いっ…』

「―――――ん」

『ベフっ……許して!!』

「―――――さん」

『う…うへぇ!!』

「―――――とうさん」


は?父さん?


一瞬父を呼ぶ声に邪魔されるが、あたしは『運命』を殴り続けた。

もっと痛がって苦しめばいい!!あたしが受けた精神的ダメージはそれよりも酷いのだから。


『だからって、暴力はダメ…グバァッ!!!』

「―――――とうさん」

『痛い痛い痛い!!!』

「――――――さとうさん」


サトウサン?誰だそれ?

あ、あたしの名前か。

妄想という名の自分の世界で『運命』を勝手に作り暴力を振るっていたあたしは、そこから意識を浮上させて教室にある自分の身体へと戻ってくる。

怒りを内で発散させること(“内”で“発散”って矛盾だよなぁ)に夢中になりすぎて、今は1時限目の英語の時間であることをすっかり忘れていた。


「…佐藤さん?わたしの話を聞いていましたか?」

40過ぎの女教師が眉間にしわを寄せて、あたしを睨みつけている。

怖いよぉ…そんな顔しなくたっていいのに。美人が台無しだよって言ったら許してくれないかな。

「聞いていませんでした。すみません」

とりあえず謝罪だ。世の中、頭を下げておけばどうにかなることが多い。

「……あなたは後で職員室に来なさい。天海君、13ページから読んでください」

ああ、課題とか渡されるのかな、と憂鬱に沈んだあたしの耳に伝わってきたのは、朗々と英文を読む男子生徒の声。

天海君、と呼ばれたそいつは今朝あたしたちのクラスに加わった転校生だ。

艶やかな黒髪と美しい面立ちは、平平凡凡な顔が大勢集まるこのクラスでは浮いていた。

陽菜と森口も綺麗な部類の人間だが、出会ってから1年以上経ってその「綺麗」は教室にすっかり馴染んでいる。馴染んだからといって、陽菜が最高に可愛いことに変わりはないんだけど。


それにしても、本当に陽菜は可愛いなぁ。

陽菜の前の席に座る森口って男と、陽菜の隣の席に座る天海って男が今すぐ消滅してくれたら、窓際で真剣に授業を受けているあの子をずっと眺めてられるのに。

今はしない。だって、美形が陽菜の近くにいるだけで何故かイライラするから。


面白くもない英語の教科書に目線を戻すが、こんなのやってられないなと感じたので、あたしは自分の欲望に従うことにした。

要するに、眠ることにした。ぐぅ。





そんなこんなで、1日が終わり、放課後である。

「終わった……終わったよ!」

自分の席に座ったまま、あたしはぐっと伸びをして、解放感に浸っていた。

勉強はあまり好きではない。

それでも毎日学校へ来てしまうのは陽菜がいるからだろう。恐るべき陽菜の吸引力。


「あ、まゆちゃん。おつかれさま!」


天使だ!天使が、あたしの机の傍で微笑んでいるぞ!

疲れきっているあたしにとって、これ以上の癒しはない。というか疲れていない時でも見ていたい。


「おつかれさま、陽菜。帰ろうか?今日バイトでしょ?」

席から立ち上がり教室から出て行こうとするあたし。しかし、天使は無視できない一言でそんなあたしを停止させた。



「まゆちゃん、英語の先生のところ行かなくていいの?」



忘れてたぁぁぁぁぁぁ!!!!

すっかり頭からぶっ飛んでいた。

後で職員室に来なさいと言われたので、すぐじゃなくてもいいかなーと先延ばしにしたのは良くなかった。今から職員室に行けば、バイトへ向かう陽菜と一緒に帰れなくなってしまう。嫌がらずにさっさと休み時間に終わらせれば、こんなことにならずに済んだのに!


「あ、ははははは、大丈夫だよ!『後で』って言ってたし、明日でもいいよ、きっと!」

「え、でも……」

「平気、平気!じゃあ行こうか、バイトに遅れても困るし」

「で、でもね、まゆちゃん……」


少し強張った表情で、陽菜の視線はすっと教室の外に移動した。

あたしも視線の先を追うように、首をぐいんと動かして――――見てしまう。




「あら、佐藤さん。なかなか来ないから心配してたのよ。じゃあ行きましょうか――職員室へ」




絶対に心配なんかしてないだろうと言い返したくなるような、無表情で立っている英語教師を。




「ごめん。あたし職員室行ってくるよ」

それ以外に何を言えばよかったのか。

だって怖かったんですもの。この先生から殺気を感じたんですもの。それ以外に何を言えと?


「うん、わかった……またね、まゆちゃん」


マイプリティエンジェルは、本当に心配そうにあたしを見ながら教室を出て行った。口だけで心配していたこの先生とは大違いだ。さすが陽菜、どんな時だって優しさを忘れない。

「佐藤さん」

「……はい」

まだ教室に残っていたクラスメイトに見送られながら、あたしは職員室に続く道をゆっくりと歩き始めた。

地獄に向かう罪人の気分――と、言えば大げさだろうか。

それとも、陽菜と引き離される様はロミオとジュリエット?――いや、さすがにこれは違うな。


放課後の緩んだ空気の中で、生徒たちは部活に汗を流し、友人たちと親交を深め、あたしのことなんかこれっぽっちも気にしてくれない。

羨ましいな楽しそうだな、と思うたびに現在の自分の状況と比べ、溜め息を吐いてしまう。くそう、あたしだって本当は今頃、陽菜とキャッキャウフフ言いながら共に下校していたはずなんだ!

それなのに、どうして……どうして!


「佐藤さん?」


はい、そうですね。あたしが悪いんですよね。わかっていますとも。


前を歩いていた英語教師が突然振り返り、あたしの文句はしゅるしゅると引っ込んだ。この人に反抗するのは危険な気がする。ただの勘だけど。

「どうぞ、入って」

「……失礼します」

あたしたちがやってきたのは、職員室の中から入れる小部屋だった。狭い室内に革張りのソファーと立派な机が置いてあるせいで、余計狭く見える。もう少し家具のサイズ考えればいいのに。そんなことを思いながら後ろ手でドアを閉めると、ぎぃぃという何とも嫌な音がした。



先生とあたしが向かい合うように座って、暫しの沈黙。

これは、あたしから話しかけた方がいいのか?

英語の授業まともに聞いてなくてすみませんって。しかもそのあと全てを諦めて、寝てしまいました、すみませんって。


「あのね、佐藤さん」

深刻そうな顔で英語教師はようやく口を開いた。何だ、あたしからじゃないのか。



「授業に集中できていないようだけれど、大丈夫なの?何か心配ごとでもあるの?」

「!!」



びっくりだ。

まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、衝撃は大きかった。

だって、厳しい先生なんだよ?

授業中に答えられない問題があったらプリント10枚は必ず渡されるし、わからない問題は何度も何度も説明されるし、補習の時間も理解できるまで帰らせてくれないし、――――あれ? よく考えてみれば、教育熱心な良い先生だよね。この人。


「2年生もそろそろ慣れてきたはずだけど、だからこその悩みもあるんじゃない?」

「……先生!」

先程までの気持ちはどこかに吹っ飛んで、あたしはキラキラした瞳で先生を見つめ返す。

怖いだけの先生だと思っててごめんなさい。これからは少しだけ注意も素直に受け入れます。

「大丈夫です! ただ寝不足なだけで、悩みなんてありません!」

元気よく言ってから、「あ、そういえば今日悩みの種が増えたんだった」と思いだした。

転校生天海はどうやらあたしの敵になりそうだし、早急に対策を練らなければならない。

しかし、英語教師にそんなことを打ち明けてもしかたないし、黙っていよう。と、いうか早く帰りたい。陽菜に会いたい。


「ならいいんだけど、無理はだめよ?」

はい。わかっておりますとも。ありがとうございます。今後あなたのことは『おかん』と心の中で呼ばせてもらいます。


「先生がこんなに素晴らしい方だとは知りませんでした! 自分のクラスの生徒でもないあたしをこんなに気にしてくれるなんて!」

「そ、そうかしら?」


よしよし。嬉しそうだな。

褒められて悪い気分になる人間は少ないだろう。このまま先生を持ち上げて、さっさと帰ってやる。


「先生のような教育熱心な方がいらっしゃれば、どんな生徒でも真面目になりますよ! 他の先生方は先生を見習うべきです!」

「まぁ、佐藤さん……」

「先生は先生になる定めだったのですよ! あなた以上に教師に相応しい人物なんていないのですから!」

「そ、そんな…」

先生、先生、言いすぎて訳が分からなくなってきたな。



「で、先生は、えーと、先生?先生のお名前って何でしたっけ?」



瞬間、それまで頬を赤く染めて照れていた英語教師(40代)の表情が歪んだ。そして、とても冷たい空気を発しながら、地獄の底から響くような低い声であたしを呼ぶ。


「佐藤さん?」


ハイ、ナンデショウカ?


「1年の時から英語を教えているというのに、あなたって人は!!」



そこから説教はしばらく続いた。

授業態度とか宿題をやってこないとか、日ごろの先生の不満をぐちぐちぐちと延々聞かされ、終わったのは6時過ぎだった。

いや、良い先生なんだよ。良い先生なんだけどな。


結局、名前わからないや。






● ● ● ● ● ●






学校からそう遠くない位置にあるケーキ屋さん『あまみ』。

ケーキを購入すれば、コーヒー紅茶飲み放題の喫茶スペースが利用可能なことから、放課後は学生で賑わっている。

甘い物好きの女子が多く訪れるのはもちろんだが、1年前からは男の客も増えたらしい。

その原因である日浅 陽菜は、いつものように店先を掃除しようと、手にはほうきとちりとりを持ち、道行く人に笑顔を振りまいていた。

「いらっしゃいませ!」

店に入ろうとするカップルに二コリと笑うと、彼氏の方が顔をでれっとにやけさせて隣の彼女に叩かれる。これはケーキ屋『あまみ』ではよく見かける光景だった。


「あいかわらず、モテモテねぇ。ヒナちゃんは」


ぽん、と軽く背中を押され振り返る。

後ろに立っていたのは、茶色の長い髪を後ろで纏めて白いフリルのついたエプロンを着た若い女性――――ケーキ屋『あまみ』の店長だ。


「かおるさん、何かご用ですか?」

「モテモテはスルーですか。……まぁいいや、ちょっと来てくれる?紹介したい子がいるから」


その言葉に陽菜が首を傾げると、「掃除はあとでいいから」と手を掴まれ引っ張られる。強引な彼女の行動には慣れているので、大人しく一緒に店の中に入った。


水色で統一された店内は、全てが店長であるかおるの趣味だ。

入ってすぐ目につくショーケースには、色とりどりのケーキが並べられ、まるで宝石のよう。楽しそうに商品を選ぶ客を眺める暇もなく、奥の厨房へ連れて行かれる陽菜。


そこで出会ったのは――――





「今日から働くことになった、天海冬馬くん。イケメンでしょ?名字でわかると思うけど、店長の甥っ子だから! 仲良くしてあげてね」


むすっとした表情でこちらを見ようともしない男には覚えがある。


朝、曲がり角でぶつかり、失礼な言葉を吐いて去った男。

そして、何故か陽菜のクラスに転校してきた男。


「もう、黙ってないでちゃんと自己紹介しなさい!」

かおるに言われて、嫌そうにしながらも天海は口を開く。

「……よろしく」

「愛想が悪いわね……あ、このミラクル美少女が、ヒナちゃんよ。うちの看板娘だから」

かおるに肩を抱かれ、自分も挨拶を返さねばと、陽菜は頭を下げた。


朝の出来事やらなんやらで、彼に対して良いイメージを持っていないが、かおるにそれを言うわけにもいかない。

できるだけ関わらないでおこうと、陽菜はそそくさと厨房を出て行った。






● ● ● ● ● ●






先生と言う名の鬼から解放され、癒しを求めて向かったケーキ屋さんで、あたしは会いたくない人物に会った。


「……もーりーぐーちー、なぁにをしているのかな?」


喫茶スペースで優雅に紅茶を飲んでいる男の隣に、どさっと腰を下ろす。

びっくりしたようにあたしを見て、そいつは当然のようにこう答えた。

「何って、紅茶とケーキを楽しんでいるんだけど」

「そんなこと聞いとらんわ!」

張り倒したくなるような爽やかな笑みを浮かべる森口 春樹に、思わずあたしは怒鳴っていた。ふざけてんのか、それともあたしを馬鹿にしてんのか?ああ?


「どうせ、陽菜に会いに来たんでしょうが。そうじゃなきゃ甘い物が苦手なあんたが、こんな所に来るはずない」

「……どうしてオレが甘い物が苦手って知ってるの?」

「あたしの情報収集力をなめんじゃないわよ」


癒されたくて訪れた店でこんな不愉快な気分を味わうとは、今日は厄日に違いない。

ああ、あたしの天使はどこだ!?この荒んだ心をどうにかして!


店内を見回し、目的の人物を発見。

周囲の目も気にせず手を振りながら、あたしは大声で叫んでいた。

「ひーなー!!!」

淡い水色のワンピースと、白いフリル付きエプロン姿の陽菜は、まるで不思議の国から飛び出したアリス。邪魔にならないように耳の上で結ばれたツインテールや、短いスカートから覗く太ももが、あたしの心の穢れを浄化していく。生きててよかった。


「いらっしゃいませ、まゆちゃん。元気そうでよかったよ」

「うん、落ち込んでたけど、陽菜のおかげで元気になった。ありがとね」

「そう? よくわからないけどそう言ってくれて嬉しいな」


陽菜さん最高のスマイルありがとうございます!!

あたしは本当に幸せ者ですね。あなたの笑顔を一人占めできるなんて。


と、思ったのも束の間、隣で森口が顔を赤くして陽菜を見つめているのに気がついてしまった。くそう、今のはお前に微笑んだんじゃねーぞ。

ムカつく気持ちを抑えるように、「あまみのチャレンジスペシャルパフェ」と、無理矢理作った笑顔で陽菜に注文する。あたしだって、何も頼まず喫茶スペースで寛ぐつもりはない。

「ご注文ありがとうございます。少々お待ち下さい」

陽菜はぴょこんと可愛らしくお辞儀をし、腰の位置で結ばれたリボンを揺らしながら厨房へ消えた。ああ可愛い。後姿だけであんなに可愛いなんてきっと世界で陽菜だけだろう。




「失礼いたします、ご注文のケーキをお持ちしました」



イライラしているあたしの耳に届いたのは、近くのテーブルにケーキを運んできた店員の声。どこかで聞いたことのあるような、その声の主は。



艶やかな黒髪と美しい面立ちの男は、顔に笑みを貼り付け接客をしていた。

朝、陽菜とぶつかり、転校生としてクラスに加わり、ケーキ屋『あまみ』でバイトしている。これは偶然なんて言葉で終わらせてしまっていいのだろうか。



あたしは現実――天海冬馬から逃れるように、テーブルに突っ伏した。

『彼女と転校生』またの名を『あたしと英語教師』

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