彼女に迫る夏
陽菜に近づく悪い虫として、『森口 春樹』『天海 冬馬』という男たちを、あたしは警戒していた。しかしもう1人忘れてはならないヤツがいる。
情報愛好倶楽部の会長である神宮寺 桜子がもたらした、最悪の情報。
『A組の彼ですけれど、明日から復活しますわよ』
A組の彼。そう、忘れてはならないもう1人だ。
「……佐藤、それはカニのマネなの?」
織枝に怯えられながらもあたしは陽菜の前を横歩きでかさかさと動き回る。陽菜は歩きにくいだろうが前方からくる脅威を弾き飛ばすためだ。ごめんね陽菜教室に着くまで我慢してね。
「急に敵が飛び出して来たら困るでしょ? カニのマネじゃなくて陽菜を護ってるの」
「どう見ても邪魔してるようにしか……」
「うるさいよ!」
あたしは不愉快なことを言いやがる織枝の頭を軽くはたいた。
さて、嫌な男が登校してくるという不安を抱えながらも眠り、その翌日のこと。
いつものように朝早く登校したあたしは森口の朝練を見学に来ていた織枝を発見し、陽菜の靴箱チェック手伝わせた。生まれて初めてラブレターの実物を見たと感動する織枝と共に陽菜を出迎える。
そして3人で教室に向かうことにしたのだが、先ほどから織枝が「カニ、カニ」とうるさい。そんな彼女をなるべく気にしないようにしながら、あたしは首を左右に振り安全をして慎重に廊下を進んでいった。
「動きが女子高生の動きじゃないよ。朝から様子がおかしいし、腐ったものでも食べたの?」
「そうなの、まゆちゃん? 体調が悪いなら保健室行く?」
心配げにかけられた声は癒しの鈴の音のようだ。体中の疲れが薄れていく。迷惑だと怒られるレベルで陽菜の周りをうろうろしているというのに、本当にこの子は食べてしまいたいぐらい可愛い。
「大丈夫だよ。陽菜のおかげで毎日元気だから。ハッピーだから。生きててよかったから」
「やっぱり佐藤はおかしいよね」
真顔で言われた織枝の一言にイラっとしたので、森口のことでよだれを垂れ流しているお前もそうとうおかしいぞ、とキレようとしたときだった。
「おっはよー!! ひなちゃん! 今日も可愛いねー!!」
「ひいぃ!」
「うひゃら!」
考えてもいなかった後ろからの衝撃。あたしは勢いよく廊下へとふっとばされた。ちなみに「ひいぃ!」が織枝で、「うひゃら!」があたしである。2人仲良くごろごろと廊下を転がり、別々の場所で停止する。
何が起こったかというと、突然登場した男の声に驚いた織枝が体勢を崩し、こちらに倒れてきたのだ。その瞬間を見たわけではないけれど、驚いて固まる陽菜たちとうつぶせで動かない織枝で、だいたい察した。友人として付き合い出してから織枝のうっかりは何度も経験している。
昨日バイト中に転んだ足を再び打ち付けたせいで涙が出そうになったが、それよりも気にしなければならない男がいた。
「あれ? そんな大声のつもりなかったのに……びっくりさせてごめんね!」
このアホみたいに陽気な男が、大地 秋久。
2年A組の、あたしが今日一番会いたくないと思っていた男である。黙っていれば悪くない顔なのだが、残念な性格のせいで全て台無しだ。緑色のフレームの眼鏡をかけているのだが、眼鏡という知的に見せるアイテムがあっても彼の軽薄さは隠しきれていない。テンションが高く元気キャラだと思われがちだが実は病弱で、今日も体調が良くなって久々の登校である。
「ちょっと大地、いきなりやって来ないでくれる? 朝からうるさい」
冷たい廊下に倒れたままあたしは大地を睨み付ける。朝の挨拶とともに陽菜に風船のような軽い愛を囁くのがヤツの日課なのだ。だからあれほど警戒していたというのにこのざまだ。こんなことなら、織枝に大地のことを言っておくんだった。
痛む足で無理やりふんばって立ち上がると、心配そうに陽菜が駆け寄ってきた。
「まゆちゃん、織枝ちゃん、大丈夫?」
織枝を助け起こそうとした陽菜は慌てて彼女のスカートを直している。
左手を大地が右手を陽菜が引っ張り、織枝は恥ずかしそうに顔を赤くしながら立ち上がった。転んだ拍子にスカートがめくれてしまい周りにいた生徒に下着をばっちり目撃されてしまったのを気にしているようだ。ごめんあたしも見てしまった。
ピンクだった。
「まゆちゃん、織枝ちゃん、怪我してない? 急に倒れたけど痛みは?」
朝から陽菜には心配ばかりさせている。これで陽菜が『あまみ』で怪我をしたことを知ったらどうなるか。これ以上心配させたくないので絶対に言うわけにはいかないな。
「ありがと。問題ないよ」
「うん、うん……平気」
笑ってみせたあたしと顔がリンゴのようになっている織枝の必死の頷きで、彼女は納得したようだ。陽菜は白くて細い指であたしたちの手をぎゅっと握って笑顔を見せてくれた。
「よかった、よかった。そっちの彼女が急に転んだからびっくりしたよー」
「まだいたの? もう帰っていいよ」
「まゆみちゃんつーめーたーいー」
悲しむふりをした大地の両手は、陽菜の肩にがっちり置かれていた。どこ触ってんだ変態野郎。
「大地くん、挨拶してくれるのは嬉しいんだけど、もうちょっと静かにね? 今日は織枝ちゃんもびっくりしてまゆちゃんと転んじゃうし。危ないよ」
めずらしく陽菜様がお説教モードだ。いいぞ! もっと言ってやれ陽菜様。できれば「あんたなんか大っ嫌い」というトドメの一撃もお見舞いしてやれ!
「ごめん、ひなちゃん。俺次から気を付けるよ。反省してる」
言葉だけでなくしょげた様子であたしと織枝にも謝る大地のおかげであたしの怒りは少しだけましになった。ましになっただけで怒りはきちんと居座っているんだけどね。勘違いしないでよね。というか織枝がうっかり驚きすぎなだけで、大地はそんなに悪くないんだけどね。
「お前ら、なにこんなとこで騒いでるんだ? HR始めるぞー」
職員室のある方角からやってきたB組担任の言葉で、生徒たちは教室へと散っていった。あたしは大地に見せつけるように陽菜を抱きしめ、小鹿のようにぷるぷる震えながら赤い顔を隠そうとする織枝を引きずって教室へ向かった。
大地の視線を背中に感じたがそんなものは無視した。
朝のHRでは2年生全員参加の夏合宿についての話し合いをすることになった。
夏休み前、山に出かけてキャンプやらバーベキューやらするのだが、テスト後の開放的な雰囲気の中行うので毎年何かしらの問題が起こるらしい。時期もうちょっと考えろよ。
「放課後に夏合宿委員会による会議があるんだが、うちのクラスからも委員を1人決めないといけない」
担任の一言に「えー」だの「めんどくさいー」だの勝手な意見が飛び交う。楽しいことだけやってめんどくさい役割は任されたくない実に正直な生徒の姿だ。あたしもどちらかというとそちら側である。委員をやりたい人は手を上げろ、という段階になっても誰も立候補する気はないようだ。しかし。
「はい、私がやります」
「オレでよければやりますよ」
顔と同じように美しい手を上げた人間が2人。
日浅 陽菜と森口 春樹だ。
森口君がやるんだったら私も、日浅がいるんなら俺も、とくだらぬ欲をだしたクラスメイト達も次々と天へと手を伸ばす。あーほんとにダメだなうちのクラスは。先生の話を聞いていなかったのだろうか。
「おお、みんなやる気たっぷりだなー。だが言っただろう? 委員は1人だって」
今その事実を知ったらしい(要するに話なんか聞いてなかった)バカたちは、ぶーぶーと不満の声を上げる。
「どうする? みんなでジャンケンするか?」
森口と陽菜、がっかりしても挙手したままのクラスメイト達は、先生の提案通り仲良くジャンケンを始めた。結果、なんと陽菜が勝ってしまった。
「じゃあ決定だな。放課後、第2会議室に集合だそうだ、よろしくな夏合宿実行委員!」
「はい、先生」
ぴんと背筋を伸ばして答える陽菜は、桃色の可憐な花、乙女百合のようだ。もちろん手触りも香りも陽菜の方が勝っているけれどそれでも花に例えるのは悪くない。
それにしても、あたしのキュートな百合の花は、めんどくさい役割を引き受けてしまったなあ。これから委員会の仕事が増えるなら一緒にいられる時間が減ってしまうではないか。
会う時間が減ってしまう不幸に頭を抱えながら、あたしは一限目を受けることとなった。
「行ってくるね、まゆちゃん!」
「うん、いってらっしゃい! あ、終わるまで待ってるよ」
夏合宿の委員会に向かう陽菜を見送って、あたしは待ち時間に写真を整理して過ごすことにした。バイトの制服姿で給仕する陽菜、お昼ご飯を食べて幸せそうに微笑む陽菜、体操服を着て見事な太ももをさらす陽菜、あたしの携帯は陽菜の画像だらけだ。もちろんどれも消せるはずがなく、全て保護していく。
「男だったら完全にストーカーだよね。いや、ほんと女に生まれてよかったね佐藤」
目の前でアルバムをぱらぱらめくっている織枝の手元を覗き込むと、収まっていたのは全て森口の写真だった。これほどお前に言われたくない台詞もない。
しばらく無言で写真の整理をしていたのだが、あたしたちの席に誰か近づく気配を感じて慌てて携帯を裏返した。織枝も一瞬でアルバムを鞄に突っ込んでいた。
「……よう」
声をかけてきたのは、天海だった。普段話しかけてくることなどない男なのに、一体どうしたというのだ。鞄を手に持っているところを見ると、もう帰ろうとしていた所のようだ。
「なんか用?」
かおるさんにはお世話になっているがこいつに愛嬌を振りまく理由など無いので、そっけなく対応する。てかこっち来ないでくれ。クラスの女子数人が東郷って名乗ってる顔の濃いスナイパーみたいな目つきしてるから。
「この前、店を手伝いに来てくれただろ。それで今度の日曜の夜に打ち上げすることになったから、よければ来てくれってかおるさんが」
「え、行っていいの?」
「ああ、佐藤と峰も時間があれば来てくれ。従業員や他のバイトたちとみんなで飯食いに行くだけだから」
まさかのお誘いだった。たしかに『あまみ』での朝礼の時に打ち上げという言葉が出ていたが、ただ1日だけのバイトを呼んでくれるとは思わなかった。
「どうする、佐藤? あんたが行くならわたしも行くけど」
織枝がこちらの動向を尋ねた気持ちは何となくわかる。関係者ばかりの打ち上げに自分1人で飛び込んでいくのが不安なのだろう。あたしと一緒ならそんなに怖くないというわけだ。だが、あたしが行くか行かないか決めるのは、たった1人の美少女次第だ。
「陽菜はくるの?」
これだ。これだけだ。来ないなら行かない、簡単な話である。
「確か、参加するって言ってたと――……」
「じゃあ行く」
こうして、あたしと織枝の出席が決まった。
いやいや、今からとっても楽しみだ。食事に行くと言っていたが、当然大人たちはお酒をぐびぐび飲むんだろう。もちろんあたしたちは未成年なので飲んではいけないけれど、酔った陽菜を想像せずにはいられない。
『ねぇ、まゆちゃん。なんだか身体があついの』
瞳を潤ませる陽菜は何故だか蜂蜜を連想させた。甘くてとろけてしまいそうな表情と姿。短いスカートで太ももをすり合わせこちらに身体を預けてくる。上から覗き込むような体勢になって陽菜の胸とそれを覆う水色の下着がちらりと見える。無意識の内につばを飲み込み、彼女の足へと手を伸ばした。
『もっともっと熱くしてあげるよ』
『まゆちゃん……?』
足の付け根の方に手を這わせても彼女は抵抗することなく――……
「へっへっへっへっへっへ……」
「気持ち悪!! ちょっと佐藤、しっかりしなさいよ! いったいどこに旅立ってるの!?」
織枝にがくがくと揺すられて、あたしはようやく現実に帰ってきた。なんだ妄想か。あまりにもリアルすぎてあたしは時々自分の想像力が恐ろしくなる。
「……じゃあな。かおるさんには2人とも参加するって伝えとくから」
気が付けば天海は教室の入り口辺りにいて、無表情のまま去って行った。さてはあたしに恐怖したな。どんどん気持ち悪いところ見せてやるから、もっと嫌ってくれ。そして近づかないでくれ。
「あー、気持ち悪かった。佐藤ってば突然笑い出すし、霊的なものに取り憑かれたのかと思ったよ」
織枝はペットボトルに入った水を飲むと、こちらにそれを差し出してきた。
「清めとく? 頭からぶっかけようか?」
「バカじゃないの。それ聖水じゃないでしょ、ただの軟水でしょ」
「いやーでも」
「色々と想像してただけで、取り憑かれてはいないから」
「想像?」
「陽菜が酔ったら可愛いだろうなーって考えてた」
「何が楽しいのそれ」
さっぱりわからないという顔をされてしまったが、楽しいものは楽しいのだから仕方がない。あたしは陽菜が大好きで、彼女の愛らしい姿が見られればそれでいいと思っている。何だか性的な方向に走りそうだったが、とにかく可愛ければ何だっていいのだ。たぶんこれを熱く語ったところで、織枝に「気持ち悪い」と言われて終わりだろう。だから彼女にも想像する楽しみをまず知ってもらおう。
「じゃあさ、酔ってるのが森口だったとしたら?」
「ふぁ!?」
あたしは織枝の妄想スイッチ押すことに成功したようだった。
「『峰さん……いや、織枝』
普段爽やかな彼が、ネクタイを緩めこちらに身体を倒してくる様は、男の色気がダダ漏れだった。上気した頬にわたしが手を伸ばすと、彼が自分の手を重ねてくる。
『わ、わたし……はじめて、だから』
『ん……大丈夫。オレに任せて』
生まれて初めてのお姫様抱っこで優しくベッドに運ばれて、嬉しさと緊張のあまり何だか泣きそうになった。ぼやける視界の中でもやっぱり彼はかっこいい。
わたしよりも大きいその手でゆっくりとボタンを外していく姿を、うっとり眺めた。そして両親と健康診断のおじいちゃん先生以外には見せてこなかった柔肌を! 初めて! 愛するあなたに!!!!」
「うるさい! 長い! うるさい!」
織枝の妄想はずっと彼女自身の口から教室に垂れ流されていた。天海が帰ったころに他のクラスメイト達もいなくなっていたので、処女の戯言を聞かされたのはあたしだけである。きっかけを与えてしまったのはあたしなので始めは大人しく聞いていたが、服を脱がせる場面で我慢できなくなってしまった。なんだ健康診断のおじいちゃん先生って。
「もし森口が酔ったら、って言ったよね。何であんたと森口が一夜を共にする話になってるの? エロ漫画の読みすぎじゃないの」
「ひどいよ! そんなの読んでないもん!」
パンツを見られた時と同じくらい顔を赤く染めて、織枝はあたしの机を強く何度も叩いた。
「それに、えっちぃ話じゃないから! 酔ったわたしを森口くんが部屋まで運んでくれるっていう想像だもん!」
「お前が飲んでどうする!? あと、どう聞いてもエロい話だったでしょうが!! 運ぶ以上のことになってたよ!?」
「声、デカすぎ」
あたしと織枝が椅子から立ち上がり睨みあった時、そいつは突然やってきた。
黒板近くの入り口からすたすたと入ってくると、自身の机からクリアファイルを取り出して通学鞄に仕舞っている。
「……柳田」
「ひっ」
大勢の中にいとも簡単に溶け込めそうな平凡な顔をした男、柳田だった。『あまみ』でアルバイト中に注意されたことを思い出して、何となく下を向いてしまう。
「もうちょっと会話には気を使った方がいいよ。僕みたいに忘れ物を取りに誰か戻って来るかもしれないし」
「……ご忠告どーも」
「峰さん、森口といい感じになれるといーね。陰ながら応援してるよ」
「ひぃっ」
ひらひらとあたしたちに手を振って、柳田は教室を出て行った。同学年女子のくだらない妄想を耳にしても応援して去って行けるのだから、あいつは中々の大物なのかもしれない。というか柳田、お前森口の友人だろ。おまえの友達がヤバい女に狙われてるけどそれでいいのか。
「ひぃぃぃ……柳田くんに聞かれちゃったよう……森口くんにばれたらどうしようどしよう……ねぇ、佐藤、わたしどうすればいいかな?」
「柳田はそういうことを言うタイプじゃないし、あんまり気にしなくていいんじゃない?」
それから陽菜が委員会から帰ってくるまで、耳まで真っ赤にした織枝は机に突っ伏して、どうしようどうしようばかり繰り返していた。
● ● ● ● ● ●
「ひーなちゃん!」
夏合宿委員会の会議が無事に終了し、陽菜が先生に頼まれた資料を持って職員室に向かっている途中だった。後ろからやってきた大地がたいして重くもない紙の束を奪ってしまう。
「一緒に持ってくよ。俺暇だし」
一緒にと言われても、彼に資料を取られてしまったことで陽菜の仕事はなくなってしまった。
「枚数もそんなにないし、大丈夫だよ?」
「いやいや気にしないで。俺が持ってくから。で、俺の心が職員室にたどり着くまで折れてしまわないように、ひなちゃんが付き合ってくれたらそれでいから!」
「なぁに、それ」
効率が良いとは思えない提案がなんだかおかしくて、口元を押さえてくすくすと陽菜は笑ってしまった。
放課後の人気のない廊下を2人で並んで歩く。
「夏合宿楽しみだねー」
大地はA組の夏合宿実行委員で、陽菜はB組の夏合宿実行委員だ。先ほどまで委員会だったこともあり、自然と会話内容は迫るテストではなくこっちになった。
「うん、楽しみだね。バーベキューの準備で火おこしとか楽しそう」
「俺は肉焼くのが楽しみだけどなー、あ、でもカレーでもよかったかも」
「いいね、カレー。キャンプの時のカレーってなんであんなにおいしいんだろう」
「そうなんだよな。あー、何だかカレー食べたくなってきた!」
大地の言葉から、まだ先の夏合宿へ思いを馳せる。
真由美や最近仲良くなった織枝と共に過ごすキャンプは楽しいに違いない。山を歩いたりごはんを作ったり、みんなで思いっきりはしゃげるのは2年生の今ぐらいだろう。
「俺さ、1年の時は入院してて行けなかったから、すごく楽しみなんだ」
眼鏡の奥の瞳をきらきらさせて、大地が陽菜へぐっと距離を詰める。
「最高の夏合宿にしよーな。……ひなちゃん」
「そうだね」
「それで――……」
続きの言葉を待ったけれど、結局彼は何も言わなかった。
大地の体調の話をして、テストがヤバいという話を聞いて、A組の教室の前で別れても「それで」の先は何もなかった。
B組の教室に入っていく陽菜の後ろ姿を愛おしそうに大地が見つめていたことを、彼以外は誰も知らない。