彼女の朝
朝一番にあたしが学校に来てすることと言えば、友人の靴箱を開けることだ。
あっいや、変な意味はないんですよ? 上履きに画びょうを入れてやろうとか、上履きを隠してしまおうとか、そんなひどいことは考えていません。
あたしが何故そんなことをするかというと――……
「……やっぱりあった」
友人のシミ一つない上履きの上に置かれたいくつかの封筒。ピンク色だったり水色だったり花の模様があったり可愛いクマのイラストが描かれていたり。
あたしはそれを手に取って、周囲に人がいないか確認する。よし、いない問題ない、まずは一枚目だ。
薄桃色の封筒に貼られた桜の花弁の形をしたシールを爪でかりかりと引っ掻き、跡が残らないようにそっと剥がす。その途端にふわりと甘い香りがした。くそう、気取ったことしやがって。丁寧に折られた便箋を取り出し内容を確認する。まぁ、確認しなくてもわかってるんだけどね。
『好きです。ずっと前から見てました。付き合って下さい。』
はっはーん、やっぱりな。ラブレターか、甘酸っぱい青春の代名詞『靴箱にラブレター』か。テクノロジーが発展しインターネットが爆発的に普及している日本でこんな古臭い方法で愛を伝える人たちがいるなんて、モテモテの友人に出会うまであたしは知らなかった。知りたくなかったけどさ。
その後もカラフルな恋文の文字を追いながら、改めて友人『日浅陽菜』のモテっぷりを思い知る。
彼女を知らない人間はこの学校にいない。大きな瞳、長いまつ毛、柔らかな髪、白い肌、桃色の唇。何もかもが完璧だ。あたしは今まで生きてきて、こんな可憐な子に出会ったことがない。小柄なのに胸は意外と大きく、もし自分が男だったらその胸に顔を埋めてぱふぱふしたいと変態的なことを考えてしまう。いかん、落ち着かなくては。
とにかく、陽菜はモテるのだ。そして毎日のように下駄箱にはラブレターが入れられている。まぁそれは別に構わないけど、一つだけ許せないことがあった。
他の愛の手紙とは違う真っ黒な手紙。差出人の名前は無い。できれば開けたくないけれど、この手の封筒を先に見つけるためにあたしは早起きして学校に来ている。手でびりびりと封を切り、真っ黒の便箋を目の前に広げた。
「…はぁ」
久しぶりに発見した嫌がらせの手紙。内容は『死』だとか『殺』だとかそんな漢字が使われた物騒なものだ。あたしはそれをぐしゃっと丸め、近くのごみ箱の中に放り込む。
……朝から最悪の気分。でもこれを陽菜に見せないで済んだと思うとホッとした。
陽菜は自分の容姿の良さを自覚していない。
だから美貌を自慢するような嫌な性格をしていないのだが、それを好意的に取る女子もいれば、悪く受け取る女子もいた。陽菜を嫌っている女子に好きな人がいて、そいつが陽菜を好きになったりすれば、どんなことが起こるか安易に想像できる。わかりやすい嫌がらせは無いが、地味で陰湿な嫌がらせが多い。その一つが手紙だ。
今日は文字だけだったが、ひどい時にはカミソリとか針がいっぱい刺さった人形とかが入っている。陽菜が初めてそれを見た時、彼女は「平気だよ」と笑っていたが、その顔は今にも泣きそうだった。陽菜のそんな顔は二度と見たくない。
それからあたしは目覚ましを5時にセットして、生徒たちが学校に来るまでに彼女の靴箱をチェックしている。大抵手紙は、前日の放課後に入れられているようだ。確認後は陽菜が来るまで新たな手紙がやってこないように見張っている。はたから見るとすっごく不審な女だろうけど、陽菜のためなら我慢できた。
「あ、まゆちゃん。おはよう!」
聞く者を虜にするような愛らしい声がして後ろへ振り向くと、予想した通りの人物が立っていた。
「陽菜!」
ああっ…あたしの大切な友人は朝から可愛い。可愛すぎる! 少し寝ぐせの残った髪も、眠そうに目元を擦る姿も、何もかもが眩しすぎて直視できない! いや、もったいないからする。直視しちゃう! 今日も君は美少女だね陽菜ちゃん!
「ん? どうかした?」
自分の名前を呼んで黙ってしまったあたしを心配して、陽菜はそろりとこちらに手を伸ばした。ピンク色の爪に、荒れていない白く小さな手。もし自分が男だったらその手を掴んでぺろぺろと舐め回したいと変態的なことを考えてしまう。いかん、落ち着かなくては。
「おはよ。今日も陽菜はカワイイなーって考えてた」
「ふふっ…お世辞でも嬉しいよ。ありがとう」
お世辞じゃないのになー、と言っても陽菜は信じないけどね。
陽菜はあたしの隣を通り過ぎ、自分の下駄箱に手を掛ける。もちろんその中には元に戻しておいたラブレターたちが「読んで!読んで!」と甘く囁きながら、彼女の手で取り出されるのを待っていた。
「あっ手紙…」
何枚かの内の一つをほっそりとした綺麗な手で取って、陽菜は困ったような笑みを浮かべる。
「…どうして私なんかがいいんだろう?」
それはですね、あなたがこの世で一番可愛くて、性格良くて、完璧な美少女だからですよ…って言いたい!すごく叫びたい。我慢するけどさ。
「うーん、陽菜が好かれるような存在だからじゃない?」
ぼんやりと暈すように、自分の思いを伝えてみる。だけど陽菜は一瞬きょとんとして、にこりと笑った。ああ、だめだ。たぶん伝わってない。
「まゆちゃんは、そう思ってくれてるの?なんだか嬉しいな…」
あたしだけじゃないよ!みんな思ってるよ!そんなあたしの心の声も知らないで、陽菜はとても幸せそうだ。…ん、…幸せ…そうだ……?
微笑んではいるけれどいつもよりその笑顔は曇っていた。心はどこか別の所にあるようで、じわじわと顔に怒りが広がっている。何か変なスイッチを押してしまったか?ああ、でも怒ってる陽菜も可愛いよ!もし自分が男だったらお(以下略)
「どうかした?」
内心でれでれしながら、あたしは心配そうに目の前の美少女に声をかけた。だって心配なのは本当だし、怒った顔も可愛いけれど陽菜には笑顔が一番似合う。
「聞いてよ!まゆちゃん!」
愚痴モードに突入した彼女を「教室で話そうか」と半ば引きずるように移動させる。人が増えてきた生徒玄関はゆっくり話ができるような場所ではない。それにチラチラと陽菜の方を見る男子生徒たちが鬱陶しくてこれ以上ここにいたくなかった。
「で、何を聞いてほしいの?」
陽菜の前の席に腰を下ろしながら、あたしは欠伸を噛み殺す。慣れたとはいえやっぱり5時起きは辛い。特に昨日は、数学の課題を1時過ぎまで必死にやっていて睡眠時間は4時間ぐらいだ。ベッドに入っても眠れなくて羊を数えたりなんかしていたから、実際はもっと短いだろう。
「あのね、朝男の人とぶつかったの!」
勢いよく喋り始める陽菜に、うんうんと頷いてあたしは先を促す。
「曲がり角だったんだけど、塀があって男の人がいることに気がつかなくて…」
それは危ない。今度から陽菜と行動するときは、常に人の気配を気にして歩かなければ。と、そこまで考えて昔読んだ少女漫画を思い出した。……今時ないだろうけど、一応念のためだ。
「…あのさー、ぶつかった時って食パン食べてた?」
遅刻すると慌て、食パンをくわえたまま走る少女。そして曲がり角で男性とぶつかり、そこからスタートする甘く切ない恋。そんなベタな恋愛話はとっくに卒業しているが、何故だか嫌な予感した。
「やだなー、食パンなんか食べてないよ」
よかった…そうだよね食事しながら学校に来るなんて陽菜はしないよね。
「だって私ロールパン派だもん。ぶつかったとき落しちゃってさ…もったいなかったなぁ」
「げほっぐほっ!」
思わずむせたあたしをどうか許してほしい。だって、ロールパンを食べながら登校する陽菜を想像しちゃったんだもん。うはー見たかった。
いやいやいやいや…って違うよ! 今はそんなことより…
「……で、その後どうしたの?」
「うん、『ごめんなさい』って謝ったんだけどね、その人私のことをちらっと見て、『少しは周りを気にしろ、バカ女』って言って去って行ったの! ひどいと思わない? あっちも私に気がつかないで走ってきたのに!」
うわぁ…何て返せばいいんだろう。とにかく、このベタな恋愛イベントから陽菜を遠ざけなければならない。その男と会うことはもう無いだろうから、大丈夫だと思うけど。
「そんな奴のことは忘れなよ。考えたってイライラするだけでしょ?」
「……そうだね」
よし、話を別の方向へ持っていくぞ!
「朝あたしに声かけてきたときは普通だったよね、何で急に思い出したの?」
今まで怒っていた彼女はそれを引っ込めて、途端に悲しそうな顔をした。あれ、また変なスイッチ押しちゃった?
「まゆちゃんさ、私に『好かれるような存在』って言ってくれたでしょ? でも、朝ぶつかった時のこと思い出して、そうでもないかなーって。だって初対面の相手に『バカ女』って言われたんだよ。確かに周りとか気にしてなかったし……本当バカだよね、私」
やめて、お願いだからそんな顔して笑わないで。あたしは自分の胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。くそう、陽菜にぶつかった最低男、会ったら絶対ぶん殴ってやる!
「その男のことなんて知らないけど、陽菜はバカじゃないし、あたしは陽菜のこと大好きだよ」
だから、いつものように笑って。あたしの『好き』でどうにかなるなんて思ってないけど。
「……まゆちゃん」
驚いたようにこちらを見て、陽菜の表情がぱっと明るくなる。彼女は、あたしの右手をそっと握って笑った。そう、あたしが見たかったのはこの顔なんだよ!
「まゆちゃん、ありがとう。私のことを好きだって言ってくれるように、私もまゆちゃんが大好きだから…………きゃ、ち、血がぁ!」
陽菜が突然椅子から立ち上がって慌てだす。唇に滴る何かを感じて触れてみると液体がべとりと手についた。あれー? 赤いぞこの鼻水?えーと鼻水じゃないのか。陽菜も叫んでたし血かなぁ、これ。
あたしは陽菜のように取り乱すこともなく、ポケットからティッシュを掴んで血を拭き取った。いやぁ、陽菜に大好きとか言われて嬉しすぎて鼻血出ちゃったよ。
「大丈夫、佐藤?」
不意に横から声がしてそちらへ視線をやると、日焼けした端整な顔立ちの男があたしを見下ろしていた。
佐藤って名字はこのクラスであたししかいない。つまり今の言葉はあたしに向けられたもの。
「森口くん、まゆちゃんから血が!」
あたしのために慌てる陽菜はとっても可愛いんだけど、新たに現れた男を涙目で見つめるのはやめて欲しい。自分の涙目(プラス上目づかい)がどれだけ他人の心をメロメロにするか知らないんだよ陽菜は。とりあえず、彼女を落ち着かせなければ。
「心配ないよ、ちょっと暑かっただけだから」
「でも、保健室に行ったほうが」
「心配ないよ、朝食にチョコを山盛り食べてきただけだから」
「そ、そうなの?」
普通は信じないだろうねこんな言い訳。今はそんな暑い時期でもないし、朝から大量のチョコレートを食べられるほどあたしの胃は強くない。だけど、彼女なら信じてくれるはず。
「気をつけてね? まゆちゃんに何かあったら私……」
「うん。気にしてくれてありがとね」
よし、信じた!
あたしは内心ガッツポーズを決め、血のついたティッシュを教室の隅のごみ箱に投げ込んだ。ひゅううううう…すぽっ。汚れたちり紙は綺麗な弧を描いて黒いプラスチック製の箱に吸い込まれていく。…やったね! 今日は何か良いことがありそうな気がする!
しかし、そんな気分も隣に立つ男の存在を思い出した瞬間苦いものに変わった。
「森口、あんた何でまだいるの?」
あたしのことを『佐藤』と呼んだ男―――森口春樹は、先程と同じ位置から動いていない。鼻血事件は解決したし、自分の席に戻ればいいのに。
「ひどいなぁ、佐藤は。日浅もそう思うだろ?」
「陽菜に話をふらないで、近寄らないで」
「そこまで言わなくてもいいのに」
ははっと白い歯を見せて森口は笑う。
あたしはこの男が大っ嫌いだ。
だって、イケメンなんだもの。
光を透かして茶色く見える髪とか、運動部に所属しているため日焼けした健康的な肌とか、
爽やかな笑みとか、一々気に障る。
RPGとかにいたら、ジョブは騎士とか? と、どうでもいいことを考えているけど、この男を嫌う一番の理由は――…
「ところで、日浅…今日も手紙は入ってた?」
「え、……うん」
手紙とは、もちろんラブレターのことである。
「返事はどうするつもり?」
「断るよ。好きでもないのに付き合うなんて、やっぱり相手にも失礼だしね」
「……そっか」
森口がほっとした表情で少し笑ったのを、あたしは見逃さなかった。
そう、森口春樹は陽菜の事が好きなのだ。
2人が一緒に歩く姿は、美男・美女カップルにしか見えないし、少数の女子からは目の保養として喜ばれている。あたしは認めないけどな!
陽菜には幸せな恋をしてもらいたいと思っているし(だから靴箱のラブレターを捨てるようなことはしない)、彼女に心から愛せる人が現れますようにと願っている。だが、隣にあたし以外の誰かがいてそいつと幸せそうにしているところを想像するとやり場のない怒りが込み上げるのだ。
相反する思いを抱えたあたし。どうにかしようとは思うのだが、どうにもならないのだから仕方がない。
「ねぇ、森口」
「ん、どうかした?」
だから、あたしは陽菜に近づく男たちの邪魔をする。それでめげるような男は陽菜に相応しくない。邪魔をされて、それでも一途に彼女を愛するなら、少しだけ認めてあげてもいいけどね。
「ラブレター出したヤツの方が、告白もしないでダラダラした関係を続けてるあんたより、ずっとカッコイイよね」
立ち上がって奴の耳元で囁けば、森口はぴしりと固まった。
ざまぁみろ。いつもさわやかな空気を振りまきやがって、女子をむやみやたらと惚れさせやがって、この男が好きな女なんてたくさんいるだろうし、その中の一人と付き合えばよかったのに、なんで陽菜なんだよ! ……あたしも男だったら陽菜に惚れてると思うけど。
「どうかしたの? 森口くん、まゆちゃん?」
「ううん、なんでもないよ」
席から離れ森口の隣に移動したあたしと動かなくなった森口を見て、陽菜は首を傾げて聞いてきた。その拍子に彼女の柔らかな髪が肩からするりと滑り落ちる。あたし生まれ変わるなら陽菜の髪がいいな。だってずっと傍にいられるし、毎晩念入りに手入れされてそうだし。今年の七夕は短冊にそれを書いてみるか。
変態的な願い事を悟られぬように別の話題を探していると、ガラッと戸を開ける音がして担任が教室に入ってくる。あれ、もうホームルームの時間なのか。周囲に目をやると、いつの間にか集まったクラスメイトたちによって教室は賑わっていた。
「あ、先生来たから自分の席に戻るね」
陽菜にそれだけ言って教室を横切り目的の机へ向かう。あたしの席は廊下側の一番後ろで、陽菜の席は窓際の一番後ろだ。くそう、どうしてこんなにも離れているんだ。くじ引きの神様はあたしに何か恨みでもあるのか!
「おーい、みんな静かにしろ」
担任の言葉で生徒たちはお喋りをやめ、静寂が教室を満たす。
「知っている奴もいると思うが、今日我がクラスに新メンバーが加わる」
その一言でクラスは騒がしくなった。「どんな子だろうね」と隣の友人と話す女子もいれば、「俺は聞いてたぜ、転校生のこと」と自慢げに仲間と話す男子もいる。
その様子をぼけーっと眺めながら、あたしは全く違うことを考えていた。先程まで陽菜の前の椅子に座っていたが、どうやらそこは森口の席だったらしい。あたしがいたから移動しなかったのか。まぁ、どうでもいいけどね。
それよりも、転校生と聞いて朝の出来事を思い出す。陽菜がぶつかったと言っていた男。その男が転校生で、陽菜と運命の再会! …とかだったら面白いのにね。現実に起これば間違いなく面白くないことになるのであたしの妄想の中だけで再会させてあげよう。
「お前らも早く会いたいだろうし、入ってもらおうか。」
担任が視線を入口の戸に向ける。どうやら「転校生」が登場するらしい。ざわめいていた教室は再び静かになり、全員が同じ場所に注目していた。
「……うわぁ」
最初に声を発したのは誰だろうか。とにかく、そいつの漏らした言葉を耳に捉えた瞬間に部屋はお祭り騒ぎになった。きゃーかっこいい! だの、うおー女じゃなかった! だの、女子の喜びと男子の嘆きが教室いっぱいになる。
それもそうだろう。現れた転校生はとんでもない美形だったのだから。
陽菜はどんな反応を示しているだろうと窓際を見れば、彼女は目を見開いて転校生を凝視していた。そしてがたりと大きな音を響かせて立ち上がる。
何故だか嫌な予感がした。少し前にも感じたなこれ。
「あ、あなたは!」
その声で陽菜に気がついた転校生は、その美しい瞳に彼女を映しながら口を開いた。
「お、お前は!」
同時に2人は叫んでいた。それはもう学校中に聞こえるんじゃないかってほど大きな声で。
「朝ぶつかった失礼な男!」
「朝ぶつかったトロい女!」
どうやら面白くないことになりそうだ。
目の前の運命の再会を喜べないあたしは、『運命』ってやつはどうすれば殴れるのだろうと、そんな無駄なことばかりを考えていた。
もう一つの連載小説「恋愛ゲーム」の主人公がモテモテ(?)なので、こっちはモテない主人公です。ジャンルは恋愛ですが(恋愛をメインで書くつもりなので)、主人公が恋愛しないなんて認めない!って方がいればどうにかします。
話を書くときに、これは男性向けか女性向けか悩んだのですが、結論として『変な女の子を見守りたい人向け』になりました。
「恋愛ゲーム」の息抜きなので、更新はゆっくりです。