AI小説がつまらないって言うけど、昔からクソ作品はたくさんあったやろ!って意見について、違いを述べる
まず大きな視点で言えば、タイトルの通り、
昔もウンチがあったのだから、今AIでウンチだからってそれがどうした!
この意見は正解である。
これについて、今は量がどうたらとか、作家の苦労がみたいな戯言を私は言う気は無い。
ではミクロの感覚では、どうしても、人間のクソ作品と、AIの気持ち悪さは違うのだってことを示そうと思う。
まず人間のクソ作品は、文章が下手な上に、さらに多分書いている奴もウンチ野郎であることが多い。
身もふたもなく言えばこうなる。
ああ、もちろん好みとか言い出したら別ですけど、結構大勢から、キッショって思われる作品は大体これ(笑)
唯一のとりえは、クソだろうがなんだろうが、頑張っている姿勢に共感できるかもしれない、って思うクソ大甘な読者がいるかもしれないってだけだ!
だがAIはどう違うのか?
まず文章についてだが、ド下手くそな部分と上手い部分が、人間のそれとは全然違うのだ。
人間ならば割と満遍なく下手とか、満遍なくマシとか、もちろん個性個人差はあっても、AIに比べれば、下手な奴は何だって下手だし、上手い奴はある程度何でもこなす。
これが文章力である、多分!
だがAIは違う、例えば三人称一元視点で以前小説をAIに書かせたが、そうなるとAIは世界から学習した豊富な描写から、間接的な感情表現がある程度上手くできる文章力はあるのだ。
しかし、AIは次の言葉を確率で流すのが今の仕組みなので、矛盾を発生させたり、
または人間でもないのに人間ぶったりする気持ち悪さがあるせいで、一人称がキショイと罵倒されるのだ。
つまり妙に上手い部分と下手な部分が非人間的過ぎて、これが不気味の谷となって気持ち悪いのだ。
ただしこれは慣れである程度克服されるのか、それともAIはマジで人間として生理的に無理なキモさになるのか、その違いは私にも分からない。過度期ゆえに……
そのうち、AIのキモさが人間が慣れてしまうのか、それとも違うのか、どうなのだろうね?
私は一人称をAIに書かせるのをやめて、三人称一元視点で、間接情緒表現に徹すれば、
AI小説も気持ち悪さが緩和されると思うので、
AI作品ってだけで親の仇のように嫌う人は少ない以上、これが一番誰もが損をしない形かなと思うのである!




