悪役令嬢は断罪裁判で泣かない——ちょっと「異議あり」って言ってみたかったのよね
私はリーゼロッテ・ヴァイス。公爵家の一人娘。
転生してきてもう六年になるけれど、正直なところ…この世界、けっこう居心地がいい。
前世の私は企業の法務部で毎日書類と格闘して、上司に怒鳴られて、終電で帰って、コンビニのおにぎりを食べて寝る。
そんな生活を二十八年続けて、ある日の朝、駅のホームで意識が途切れた。
そして目覚めたら公爵令嬢になっていた。
ご飯は誰かが作ってくれて、すごく美味しい。庭は広いし、仕事はない。最高。
……だったのだけど。
「リーゼロッテ・ヴァイス。貴女を、聖女エルミナ様への毒殺未遂の罪で告発します」
今、私は大広間の真ん中に立っている。
両手に鎖。周囲には貴族たち。三人の審判官が正面の高い席に座っている。
公開断罪裁判。この国独自の制度だ。
告発された者が大勢の前で裁かれる。弁護人を立てることもできるらしいけれど、断罪裁判で弁護を引き受ける物好きはいない。告発された時点でほぼ有罪。それがこの国の常識。
告発したのは、王太子ディートリヒ殿下。
私の元婚約者だ。
「証拠は揃っています。目撃者もいる。リーゼロッテ、貴女は聖女エルミナ様の杯に毒を混入した」
殿下の声が広間に響いた。
自信に満ちた顔。完璧な演出。
周囲の貴族たちがざわめいて、私を見る目はもう「有罪」と決まったかのようだった。
もちろん毒なんて盛っていない。
エルミナ様と会ったのだって、あの晩餐会で二言三言話しただけだ。
でもそんなこと、ここで叫んだって誰も聞いてくれない。
この裁判は最初から結論が決まっている。
審判官のひとり、ハーゲン卿が形式的に尋ねた。
「被告人リーゼロッテ・ヴァイス。弁護人は立てますか」
弁護人。
誰もいない。父は病床に伏せていて来られない。
家の使用人たちは王太子の圧力で口を封じられた。
友人と呼べる人は…正直、いなかった。
公爵令嬢って、意外と孤独なのだ。
「……弁護人は」
声が震えそうになった。
でも、ふと思った。前世の私は何をしていたのだったか…
そうだ、企業の法務部だ。
契約書の穴を見つけて、交渉相手の矛盾を指摘して、不当な要求を跳ね返す。それが仕事だった。
相手が怖い顔をしても、理屈が通っていれば負けない。そう叩き込まれた。
今だって同じだ。
告発の根拠が証言だけなら、その証言に穴がないか確かめればいい。
「弁護人は、自分で務めます」
広間が、一瞬止まった。
審判官たちが顔を見合わせた。
ディートリヒ殿下が眉をひそめた。観衆がざわついた。
「……前例がありませんが」ハーゲン卿が言った。
「禁止もされていませんよね」
ハーゲン卿が少し考えて、頷いた。
「規則上は、許可されます」
よし。
心臓がばくばくしてる。手が震えてる。
でも、前世で学んだことと記憶がある。
震えてても声が出れば、それは戦える証拠だ。
正直に言うと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ…「異議あり」って言ってみたかったのよね。こういう場で。
「では、告発側の証人を呼んでください」
私が言うと、ディートリヒ殿下が少し不愉快そうな顔をした。
被告が仕切るなんて想定外だったのだろう。
最初の証人は、騎士のブルクハルトという男だった。
「私はあの晩、晩餐会の入口に立っていました。
リーゼロッテ様が聖女様の杯に何かを入れるのを、はっきりと目撃いたしました」
堂々とした証言。声も大きい。よく練習したんだろうな、と思った。
「ブルクハルト様、一つ聞いてもいいですか」
「はい」
「あなたは晩餐会の入口にいたと言いましたね。入口というのは、大広間の北側の扉のことでしょうか」
「……そうです」
「聖女様のお席は、大広間の南側の奥でしたよね。
入口からだと、柱がいくつか間にあります。あの位置から杯に何かを入れる手元が見えましたか」
ブルクハルトの目が泳いでいる。
「……み、見えました」
「柱の間から」
「は、はい」
「あの大広間は柱が八本あって、南側の席は入口から直接見えない配置です。あなたが見えたというのは、どの角度からですか」
ブルクハルトが完全に言葉を失った。
観衆がざわめいた。
審判官のハーゲン卿がメモを取っているのが見えた。
「つまり……あなたは実際には見ていないのに、見たと証言している。そういうことですか」
「それは……私は確かに……」
ハーゲン卿が発言する。
「……結構です。次の証人をお願いします」
心の中で拳を握った。
よし。一人目、崩した。
前世の法務部の先輩が言っていた。
「嘘をついてる人間は、詳細を聞かれると必ずどこかで辻褄が合わなくなる」。その通りだった。
二人目の証人は、侍女のフィーネだった。
フィーネ。
私の元侍女だ。二年間、毎日そばにいてくれた子。
彼女が証言台に立った瞬間、わかった。
手が震えている。目が赤い。泣いた跡がある。
「フィーネは、リーゼロッテ様が毒を準備するところを見たと聞いています。フィーネ、証言を」
ディートリヒ殿下が促した。
フィーネが小さく頷いて、口を開いた。
「……リーゼロッテ様が、お部屋で……小さな瓶を……」
声が震えている。目が私を見て、すぐに逸れた。
すぐわかった。この子は嘘をつかされている。
前世の私なら、ここで証言の矛盾を突いて崩すところだ。
でも、この子は敵じゃない、脅されているだけだ。
「フィーネ」
私は、できるだけ柔らかい声で呼んだ。
「大丈夫、怖くないから。本当のことを、話して」
フィーネの目に涙が溜まった。
「でも……うぅ……で、殿下が……私の家族を……」
広間がしんと静まった。
「殿下が、何をしたの?」
「嘘の証言をしなければ、か、家族の領地を取り上げると……」
フィーネが泣き崩れた。
観衆がどよめいた。審判官たちの表情が変わってざわざわとしている。
ディートリヒ殿下の顔から、初めて余裕が消えた。
「フィーネ。ありがとう。もう大丈夫だから」
フィーネは怖かっただろうに、本当のことを話してくれた。
フィーネのためにも、殿下の嘘を暴かなくてはならない。
私も泣きそうだった。でも泣かない。今は泣いたら負けだ。
「殿下」
私はディートリヒ殿下に向き直った。
「証人の一人目は、物理的に目撃が不可能な位置から見たと嘘をついていました。二人目は、あなたに脅されて偽証させられていました」
殿下の顔が強張った。
「これは……裁判の冒涜だ!被告人が告発者を攻撃するなど…」
「異議あり!」
口から出ていた。言ってしまった。
ちょっと言ってみたかったやつ。今のは完全に前世の影響。
でも広間が一瞬止まった。その一瞬があれば十分だ。
「攻撃ではありません。これは事実の確認です」
私は一歩前に出た。手に巻かれた鎖が鳴った。
「殿下。一つだけ聞かせてください」
「……何だ」
「私を断罪したい本当の理由は、何ですか」
広間が静まり返った。
「毒を盛ったから、ではないですよね。毒なんて存在しないんですから。
証拠も証言も、全部作り物だった。では…なぜ、私を消したいのですか?」
ディートリヒ殿下が、答えなかった。
五秒、十秒と殿下は黙ったままだった。
答えられないのだ。本当の理由を、このたくさんの人の前で言えない。
「聖女に夢中だから邪魔な婚約者を消したかった」なんて、王太子の口からは出せない。
「答えられないということが、答えだと思います」
私はそう言って、審判官たちの方を向いた。
「審判官の皆様。私は毒を盛っていません。
証人の証言はどちらも崩れました。この告発には根拠がありません。
無罪の裁定を、お願いいたします」
ハーゲン卿が隣の審判官と目を合わせた。
短いやりとりの後、立ち上がった。
「被告人リーゼロッテ・ヴァイスに対する告発について…証拠不十分により、無罪とします」
「また、告発側の虚偽についても、別途調査を行います」
ディートリヒ殿下の顔が、蒼白になった。
鎖が外された。
手首の跡がじんじんする。
でも、痛みよりも…全身から力が抜けていくのが感じる。
やった。勝った。
前世では書類の中だけで戦っていた。
誰かの理不尽に「おかしい」と言いたくても、上司に押し潰されて、黙って飲み込んで、それで体を壊した。
今日は、声を出せた。
自分の言葉で、自分の意志で。
「リーゼロッテ様」
振り向くと、聖女エルミナ様が立っていた。
「エルミナ様……」
「私、何も知らなかったんです。ディートリヒ殿下が私の名前を使って、あんなことを……本当にごめんなさい」
エルミナ様の目にも涙が浮かんでいた。
「あなたのせいじゃないでしょう。悪いのは、人の名前を勝手に使った人です」
「でも……」
「でも、じゃないです。あなたは何も悪くない」
エルミナ様が、少し笑った。泣きながら笑った。
「ありがとうございます。リーゼロッテ様は……お強い方ですね」
「強くないです。震えてました。ずっと」
「でも、泣かなかった」
「泣いたら負けかなって。前世で……いえ、昔からそう思ってて」
エルミナ様が不思議そうな顔をしたけれど、深くは聞かなかった。
その後、ディートリヒ殿下が来た。
「リーゼロッテ。戻ってこないか」
「は?」
思わず素の声が出た。
「今回のことは……行き過ぎた、反省している。婚約を戻すことも——」
「お断りします」
即答した。
「私を殺そうとした人の隣に戻る理由がありません」
「殺すなんて…そこまでは——」
「公開断罪で有罪になったら、どうなるかご存知ですよね。
領地没収、身分剥奪、国外追放。歴史上、追放された令嬢がどうなるか、殿下もご存知のはずです」
ディートリヒ殿下が口を閉じた。
「そういうことです。もう、関係ありません」
振り返らなかった。
背中でエルミナ様の声が聞こえた。
「ディートリヒ殿下。私も、あなたのそばにはいられません」
「エルミナ……」
「自分の名前を使って、罪のない人を陥れる方のそばには。
私は聖女ですが、嘘の道具にはなれません」
殿下が何か言おうとしたけれど、もう誰も振り向かなかった。
一週間後。
公爵家の庭で、お茶を飲んでいた。
向かいにエルミナ様が座っている。
「リーゼロッテ様って、どうしてあんなに落ち着いて話せるんですか。審判官の前でも全然動じなくて」
「動じてましたよ。手が震えてたの、見えませんでした?」
「全然。堂々としてるように見えました」
「前の……昔の仕事の癖ですかね。震えてても声が出れば戦える、って」
「かっこいい……」
「かっこよくないです。裁判の後、部屋に戻って三時間は泣きましたから」
「えっ」
「泣いたんです。怖かったーって。フィーネと二人でわんわん泣いて」
エルミナ様が笑った。私も笑った。
前世では仕事の後に泣く余裕もなかった。
布団に倒れ込んで、次の日の朝がもう来ている。そんな毎日だった。
今は泣ける。泣いた後に、お茶も飲める。
「ねえ、エルミナ様」
「はい」
「この国の断罪裁判の仕組み、ちょっとおかしくないですか」
「……おかしいと思います。被告人がほぼ確実に有罪になるなんて」
「ですよね。弁護人がつかないのも問題だし、証人の質問の仕方も整理されてないし」
「変えられるんですか」
「わかりません。でも、私たちで声を上げることはできます」
エルミナ様が少し微笑んだ。
「もちろんリーゼロッテ様がやるなら、私も協力します」
「ありがとうございます」
紅茶を一口飲んだ。美味しかった。
前世では気づかなかったけど、誰かと一緒にお茶を飲むって、こんなにいいことだったんだ。
前世でずっと言えなかったことを、この世界で初めて言えた。
泣かなかった。震えたけど、泣かなかった。
でも今は泣いてもいい。泣いた後にお茶を飲んで、隣に笑ってくれる人がいるから。
断罪裁判の元被告人と、名前を勝手に使われた聖女。
変な組み合わせだけど悪くないと思った。




