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伯爵家の実務を担っていた私が家を出た結果 ~妹を選んだ婚約者に「聞いてない」と言われても知りません~

掲載日:2026/02/26

テンプレざまあを書きたくてがんばりました、よろしくお願いいたします。

「アドリアナ、君との婚約は破棄させてもらう!」


 貴族学院卒業式のホールで、彼は高らかに宣言した。隣にぶら下がっているのは愚かしいことに、私の妹ヒルダだ。豊満な胸を私の婚約者へ押し付けるように、誇らしげに腕を絡ませている。


「理由は明白だ。伯爵家の実務を担っていたのはヒルダだと分かったからだ!」


 会場がどよめく。……ああ、なるほど。そう来たか。


「お姉さまは帳簿を整理していただけ。実際に交渉していたのはわたしですわ。伯爵家の後を継ぐ教育も、十分とは言えませんもの」


 ヒルダがくすくすと笑う。婚約者はでれりと顔を緩め、それから私に厳しい視線を向けた。


「君は地味だが努力家だと思っていた。だが、妹の功績を横取りするとはね。失望したよ」


 なるほどそうくるか。私はとっさに扇で口元を隠し、ひとつ息を吐く。


「かしこまりました。婚約破棄の交渉は父へお願い致します」

「もう済ませている。伯爵は私が補佐をし、ヒルダを女伯爵にすると言っていたぞ。そしてアドリアナ、お前は勘当だとな!」


 話が早いこと。寮暮らしにしておいて正解だったわね。寮暮らしじゃなかったらきっとこのパーティーにも無様な格好で参加することになっていたでしょう。


「そうですか。では、隣国王立通商院との北方麦流通契約もヒルダにお任せいたしますね」

「……は?」

「違約金条項の再設定と、今年度分の関税調整も。昨年は私が担当しておりましたが、今後は妹が行うということでよろしいのですよね?」

「ええ、もちろん。私がしたほうが効率が良いと思っていたわ」


 ヒルダは迷いなく頷く。まだ事態がわかっていないのか、それとも本気でそう思っているのか私にはわからない。

 その横で婚約者が鼻を鳴らした。


「ふん、やはり君はヒルダの仕事のおこぼれに預かっていただけか」

「ええ、帳簿整理しか能がないので」


 くすくすと笑いが広がる。ヒルダの派閥が漏らした嘲笑がそのまま場の空気を掌握していった。私はもうここにいなくていいだろう。


「それでは、失礼いたします」


 令嬢の最後として、とびきり優雅にカーテシーをして会場を抜ける。働いている皆に罪はないから、引継ぎ書類だけでも残していかないと。残された時間は少ない。

 考えながら廊下へ出た瞬間、視界に入った人影に足を止めた。


「……レオナルド殿下、ご機嫌麗しゅう」

「勘当されたと聞いた」


 低い声が落ちる。魅力的な緑の瞳が私を射抜いた。


「お耳が早いことで」

「騒ぎは嫌いだが、契約相手の動向は把握しておきたいからな」


 相変わらず合理的な方だ。

 彼は隣国第二王子のレオナルド殿下だ。王太子ではないが、通商と財務を任されていると聞く。

 そして、伯爵家に隣国の麦を流通させ、国同士での交易をおこなっていた……私のビジネスパートナーでもある。

 学園内で接点を持つことはなかった。余計な憶測を呼びたくなかったからだ。


「勘当されたなら、障害はもうないだろう」


 ニヤリと笑ってから、彼は淡々と続けた。


「俺の国で北方開発庁の人材を募集している。隣国籍を取得し、俺の下で働く気はあるか?」


 まるで条件提示のような声音。

 王位は彼の兄である第一王子が継ぐ。ならば北方を立て直し、己の基盤を築くつもりなのだろう。

 私は制服の裾を軽く握り、差し出された掌に自分の掌を重ねた。


「お受けします」


 迷う理由など、どこにもなかった。



 隣国の最北端の地。そこには半年前にはなかった商船がずらりと並んでおり、視察を終えて帰る道にも屋台が様々なものを売っている。

 積み上げられた木箱の山。怒号と笑い声が混じる波止場。やはり、港町の活気とはこうでなくては。港町の活気とはかくあるべきだ。

 北方開発庁まで戻り、私の執務室に戻ると、そこには呼んでいない人物がいた。わが物顔で私お気に入りのソファに座り、部下に出された紅茶をすするその男。

 私をあの国から連れ出した、レオナルド殿下だ。

 彼は大変有能であるため、書類仕事が終わるとすぐにここへ紅茶を飲みに来る。まあ、リラックスできる場所になっているのならいいが。


「税収は前期比で三割増か」

「はい、湾岸税の一本化が効きましたね」

「港の停泊税、通行税、倉庫税、市場税、全てが散らかっていたからな」


 そうなのだ。ここに来た当初、ここを収めていた代官は手当たり次第に税をかけまくっていて、それをまず一本化した。商人はほかの港よりもここに停泊することが多くなり、結果流通量も増加したというからくりだ。


「そういえば、中抜き連中の始末も終わったんだろ?」

「はい、三名解任。二名は減俸です」

「代わりに雇ったのがこの部下、と」


 ちらりと見られた平民の部下が頭を下げる。正直、礼儀作法はまだまだだが、ここは王宮ではない。それなりであればいいのだ。

 求められるのは実務の力。ただそれだけ。それがあれば、平民ですら出世はかなう。


「アドリアナ様のおかげで、私の地元も助かっています」

「ああ、内陸輸送の整備をしたから、北方産の林檎をはじめとした、通年取引が可能になった。これもお前の手柄だなぁ?」


 にやにやと笑うレオナルド殿下に私は思わずため息を吐く。


「土台があったからですよ。この土地にはそれだけの力があったんです。私はただ、整えただけ」

「違うな。この土地の土台を見抜き、使える人間がいなかった」


 レオナルド殿下の言葉に賛同するように頷く部下が、飲み干された紅茶のカップをさげながら「あ」と口に出した。


「何かあったのか?」

「何かというか、その、スターリング伯爵家についての情報が入っておりまして……」


 スターリング伯爵家、懐かしい名前だ。私を勘当した実家だが、まあ何をやらかしているのかは大体想像がつく。

 レオナルド殿下が視線だけで促す。部下は一瞬ためらい、それから眉根を寄せつつ口を開いた。


「スターリング伯爵家ですが……北方麦流通契約の、国内代理変更申請が出ていないようでして」


 執務室の空気がぴりりと張り詰めた。レオナルド殿下は立ち上がり、棚に収められていた流通契約の書類を一度で探し当てるとそれを開いて目を通す。


「契約第六条。担当変更は三十日以内に申告義務がある」

「はい。すでに四十日が経過しております」


 沈黙がおりた。窓の外から波止場の喧騒が聞こえる。

 まあ、そうなるわよね。ヒルダに手続きを教えてないのだし。引継ぎ書は残していったけど、長い書類を読めないあの子があれを読むわけはない。そう思っても引継ぎ書類を残していったのは最後に残った情と言えよう。


「違約金条項は?」

「第八条に基づき、次回積荷分の保証金二割増し、ならびに延滞金が発生する見込みです」


 レオナルド殿下は鼻で笑うと、ソファに腰を下ろしてふてぶてしく組んだ足に肘をついた。


「見込みではない。発動する」


 その声音に温度はない。実家のことを私経由で聞いていたのだから当たり前かもしれないが。

 頭の中で計算をするが、保証金と延滞金は私が切り盛りしていた伯爵家でぎりぎりだ。国家間の契約なのだから当然なのだが、父は交渉を好まず、顔を売ることしかしてこなかった。ヒルダもそれを受け継いでしまったのだから仕方ない。今はどうなっていることやら。


「保証金の積み増しは、今の伯爵家の資金繰りでは厳しいでしょうね」

「婚約家の支援が入るだろう」


 殿下の言葉に、部下が小さく首を振る。


「いえ……その、婚約家との関係も悪化しているとの噂が」


 私は思わず小さく笑いそうになり、咳払いで誤魔化した。その脇で、レオナルド殿下が声こそ出さないものの肩を揺らしている。おそらく、彼は私に手を差し出した時点でこれを予測していたのだろう。


「さらに、穀物の保管倉庫で一部腐敗が発生したと。帳簿と実在庫が合っていないとの報告も」


 ああ、やはり。人の目がないとすぐ腐る。誰だって私腹を肥やせるなら肥やしたいのだ。


「監査は入ったのか?」

「はい、王立通商監査院による正式監査が始まったと」


 王立通商監査院。私が何度厳しいやり取りをしてきたことか。関税をあげようとする院に対し、流通の重要さを繰り返し書面で訴え、実績でまとめてきた。

 私がいなくなれば、関税は引き上げられる。量より率を選ぶのが、あの院のやり方だ。そうなれば、伯爵家の利幅は消える。

 レオナルド殿下が面白い見世物を見ているときと同じ表情で部下に尋ねた。


「……取り潰しの可能性は?」

「指定代理商の資格停止が先だろうと」


 資格停止。

 それはすなわち、伯爵家の収入源の断絶を意味する。

 領地の税収もあるが微々たるもので、父は領民からの支持を優先し、税率を据え置いてきた。

 祖父の代から続く契約は、私が引き継いだ。それで家計を支えてきた。

 レオナルド殿下はゆっくりと指先で机を叩いた。


「国内代理の再指定は?」

「未定です」


 レオナルド殿下の視線が私に向く。


「王国が新たな代理商を公募する。北方として推薦状を書くことはできる。……やるか?」


 私を見捨てた実家を再推薦はあり得ない。それはつまり、私があの家に戻るということだ。実際に戻れるかは置いておくとして、この人が言えばそうなる。

 ではほかに家を選ぶか? これも否だ。私がいくらヒルダに押し込まれていたとはいえ、実務担当か否かの知識は他家の人間でも話せばわかる。

 あの卒業パーティーで私を擁護する人間がいなかった以上、私にほかの家を特段引き立てるメリットもない。


「公募にすべきです。能力のある者を選べばよろしい」


 殿下がわずかに笑って身を乗り出した。


「情はないのか」

「契約に情は不要です」


 部下が私のあまりに冷たい言いぶりに息をのんだが、そこで空気を割るようにノックの音が響いた。

 伝達係が封蝋のされた手紙を部下に差し出し、部下はそれを受け取る。

 私に渡そうとしたので目線で開封するように示すと、ペーパーナイフで手紙を開けた部下が目を丸めた。


「……スターリング伯爵家より、面会の打診が届いております」

「早かったな」


 レオナルド殿下がそう言ったのと同時に、廊下の向こうで慌ただしい足音が止まった。

 数拍の後、抑えきれない息遣いとともに、扉が強く叩かれる。


「至急お目通りを!」


 名乗りもない。礼もない。

 部下が一瞬顔をしかめたが、レオナルド殿下はただ紅茶のカップを置いただけだった。

 昔は、もっと余裕のある声だったはずだ。今は焦りが滲み、品位が削げ落ちている。


「通せ」


 レオナルド殿下の一言で扉が開く。一応私の執務室だが、この人がこの場では一番偉い。

 そうして入ってきたのは、見慣れたはずの男だった。

 仕立ての良い上着は皺が寄り、髪も整ってはいるがどこか乱れている。

 それでも、背筋だけは伸ばしていた。


「アドリアナ」


 名を呼ぶ声音は低い。だが、その奥に焦りが滲んでいる。


「話がある。……これは誤解だ」


 私は椅子に腰掛けたまま、かつての婚約者へ視線だけを向ける。


「どの部分がでしょうか?」

「契約が停止したと聞いた。だが、それは一時的な手続き上の問題だろう? 意地を張って嫌がらせをするのはやめろ」

「嫌がらせなどではありません。契約履行責任者変更届の変更申請は三十日以内です」

「申請?」


 元婚約者の声がわずかに上擦ったので、私は軽く咳払いをした。引継ぎ書類は残していったし、そもそもこれは基本条項なのだが。


「変更申請は三十日以内。契約第六条に明記されています」


 淡々と返すと、婚約者は目を見開いてからつかみかからんばかりに声を荒げた。


「そんな話は聞いていない!」

「そんな"読めばわかる"項まで逐一説明しろと言うのか?」


 割って入ったレオナルド殿下の声がわずかに強くなり、元婚約者は視線をうろつかせた。


「……引継ぎの書類はお読みになりましたか」

「引継ぎ書類? ……もしかして、ヒルダが燃やしたあの紙束か?!」


 一瞬、空気が固まる。レオナルド殿下は紙を無駄に扱うことが嫌いなので言わずもがなであり、部下もあまりの言い草に呆然としている。

 私が次の誰かのために作った引継ぎ書類は、妹に燃やされた。その事実がちくりと胸を刺す。


「……左様ですか。あの書類は、スターリング家が破滅しないための『唯一の航海図』でしたのに。それを自ら灰にされたのであれば、私から申し上げることはもう何もありません」

「ほう。では貴殿は引継ぎ書類も読まずに契約違反をしたと」

「私は……ヒルダは悪くない。経験が足りなかっただけだ」


 今は元婚約者の話をしているのに、ヒルダの話になった。責任転嫁でもあるが、実際に女伯爵となると決めたのはヒルダだ。後継の問題と言えばそうではあるが、変わり身が速い。


「経験のある者を切ったのは?」


 レオナルド殿下に詰められ、元婚約者は言葉に詰まった。悔しそうに唇をかみしめてから、私の方を憎悪がこもった目つきでにらみつける。


「だが、お前は何も言わなかった!」


 来た。責任転嫁。この人はいつもそうだった。

 舞踏会で失言した時も、交渉が決裂しかけた時も、いつも私に責任転嫁して場を逃れていた。そういう人なのだ。


「婚約者だったのだから、助言する義務があったはずだ!」


 私はゆっくりと立ち上がり、軽く顎を引いて彼を見た。


「合理的に妹を選ばれたのでしょう?」

「それとこれとは違う!」

「違いません。実務を担っていない者を選ぶと判断されたのは、あなたです」


 もう彼は私が実務を担っていたことをいやというほど知ったのだろう。ヒルダは部下に任せれば解決だと思っているのだから、何もできるわけがない。

 彼女は社交界で華となり、広告塔となる。そうやって生きればよかったのだ。

 レオナルド殿下が淡々と口を開く。


「契約は署名した者が責任を負う。勘当の根回しをし、伯爵家当主に署名させたのは貴殿だ」


 重い一言だった。そして、この人が悪知恵が働く人間だということを知っているという脅しでもある。


「だがスターリング伯爵家は王国の指定代理だ! たかが一国の北方地帯が一方的に締め出す権利は持っていないはずだ!」


 この人は今の事態を何もわからずに来たのだろうか? 呆れる気持ちを堪えながら言葉を紡ぐ。


「締め出しておりません。王立通商監査院が契約条項に基づき処理しているだけです」

「形式論だ!」

「契約とは形式です」


 私の切り返しに言葉が出なくなったのか、婚約者は口をぱくぱくとさせていた。レオナルド殿下がソファにもたれたまま口角を上げる。悪い笑みだ。


「我が国は契約違反に対し条項を適用する。それだけだ」

「……再申請すれば済む話だろう!」


 甘い。甘すぎる。再申請はできないというわけではないが、スターリング伯爵家にとっては高き門となるだろう。


「保証金は二割増しになります」

「なぜだ!」

「履行責任者が未登録の期間が発生しました。信用が毀損されています」


 ぴしゃりと言われ、彼は拳に血管が浮くほど手を握りながらこちらを睨んできた。正直恐ろしいよりも滑稽だとしか思えない。

 彼が震える唇を開いたかと思えば、耳を疑う一言が出てきた。


「推薦状を書けば、王国も動く」

「つまり、内政に干渉しろと?」


 ヤジを飛ばしたレオナルド殿下には苦い顔をするものの、私のことをじっと見つめている。これは返事をしなければいけないようだ。


「公募にすべきです」

「きっ……貴様には情がないのか!」


 情? そんなものがあったらわざわざ勘当の手続きまで手を回さないでしょう。そう言ってやりたかったが、私は怒りを鎮めて一言だけ返した。


「契約に情は不要です」


 静寂が落ちた。彼の呼吸だけが荒く、息をひそめている部下は元婚約者の動向を探る姿勢を見せている。


「お前は! ヒルダと違い、やはり冷たい女だ」


 私は瞬きをひとつだけして、答えた。言えることなど、もはやこれくらいだ。


「私は契約を守っただけです」


 彼の表情が歪む。さり気なく部下が元婚約者を遠ざけるように私をかばった。


「人の情もわからない冷血女が!」

「情で契約は守れません」


 静かに言い切る。もう怒鳴られていうことを聞くような女ではないと、わからせなければ。


「合理的に妹を選ばれたのは、あなたです。その結果に、私は関与しておりません」


 言葉を重ねるごとに、彼の呼吸が荒くなっていく。

 レオナルド殿下がゆっくりと立ち上がった。


「用件は以上か?」


 低く、他者を圧倒する声だ。

 元婚約者はレオナルド殿下に何か言い返そうとするが、言葉が出ないのか手をわなわな震わせている。そして俯いたかと思えば、ばっと顔を上げて私を睨んだ。


「北方は王国の内政に干渉しない。公募に応じ、条件を満たせばよい。それだけだ」


 レオナルド殿下とて鬼ではない。逃げ道は示された。ただし、情ではなく条件でだ。

 元婚約者は肩を震わせたが、やがて何も言えずに踵を返した。

 扉が荒々しい音を立てて閉まる。室内に残ったのは、紅茶の香りと静寂だけだった。

 私はゆっくりと息を吐く。やはり、どこか緊張していたらしい。


「後悔はないのか」


 レオナルド殿下が長身を屈めるようにして私の顔を見た。この人のそういう気づかいが、嫌いではない。


「契約に情は不要ですから」


 同じ言葉を、もう一度。殿下はそれに気が付いて小さく笑った。


「そういうところが、俺は嫌いじゃない」


 窓の外では、港の喧騒が遠くに見える。

 交易船が港に入り、荷が降ろされる。

 この北方では、契約は必ず履行される。

 それだけだ。



 それから、実家についてのあれこれは噂の形で届いた。

 王立通商監査院の監査は容赦がなかったらしい。帳簿と実在庫の差異。保管穀物の腐敗。保証金の不足。――そして、代理資格停止。

 指定代理商の資格停止は、王国にとっても痛手だ。だからこそ王国は躊躇う、とあの男は思ったのだろう。

 だが国家は、ひとつの伯爵家より先に流通を守る。当然のことだ。

 代理業務は公募となり、すぐに別の家や商会が名乗りを上げた。条件は厳しく、保証金は高く、監査院の監督は強化されたという。

 スターリング伯爵家は――その「厳しい条件」を飲めなかった。

 元婚約者がこちらへ押しかけてきた翌週には、王都で処分が決まったと聞く。

 爵位の剥奪ではない。そこまでの大罪ではないのだろう。だが、資産の差し押さえと、通商関連の資格停止。実質的には首を切られた形だ。得意の社交でやっていこうにももう遅いだろう。

 そして、噂の最後は決まってこう締められていた。


『当主は部屋に籠り、娘は部下のせいにし、婚約者は「聞いていない」と叫んだらしい』


 私は報告書の束を閉じた。紙は淡々と事実を並べるだけで、誰の涙も載せない。


「……どう思う?」


 レオナルド殿下が机の向こうで問う。あれから殿下は、私の執務室のソファを自席のように使うようになった。


「どうもこうも。契約は履行されるか、されないかです」

「冷たいな」

「契約に情は不要です」


 決まり文句のように言うと、殿下は小さく笑った。

 北方は忙しかった。税は一本化し、倉庫は整理し、入札を導入した。中抜きは減り、流通が増えた。冬季の陸路も整い、港は季節に左右されにくくなった。

 数字は嘘をつかない。そして、数字が上がれば、人が集まる。

 港の波止場に商船が並ぶのが当たり前になった頃、この国の王都から勅使が来た。

 儀礼的な挨拶のあと、封蝋付きの文書が読み上げられる。


「北方開発の功績をもって――レオナルド殿下に公爵位を下賜する」


 私と一緒に集められた部下たちが息を呑む。

 静かにざわつく場に殿下は顔色ひとつ変えず、ただ短く答えた。


「承る」


 勅使が退いたあと、私は殿下に視線を向けた。


「おめでとうございます、公爵閣下」

「……それが、最初に言うことか?」

「他に何を?」


 殿下は壁にもたれ、しばらく私を見ていた。いつもの悪い笑みではない。値踏みでもない。


「公爵になった」

「はい」

「公爵には体裁が必要だ」

「はい」


 私は淡々と頷いたが、殿下の視線が外れない。

 部下たちは私たちに気を遣ったのか、三々五々散っていった。


「体裁だけではない。……北方も、俺も、回っているのはお前がいるからだ」


 唐突に胸の奥が熱を持つ。だが、表に出すほどでもない。出したら負けだ。


「過大評価です」

「過小評価だ」


 殿下は軽く指を鳴らして、指をくるくる回す。


「共同経営の話をしたな。覚えているか」

「……ええ」

「俺は合理的な人間だ」

「存じています」

「合理的に言う。――お前を手放す理由がない」


 その言い方が、ひどく彼らしい。


「北方公爵として、伴侶が必要だ。政治的な話もある。だが」


 そこで殿下は、ほんの少し声を落とした。


「俺個人として、お前が欲しい」


 私は一瞬言葉を失った。契約の条項なら即答できるのに、人の言葉は難しい。


「……婚約の件、考えておきます」

「逃げたな」

「逃げてなど」

「そういうところも嫌いじゃない」


 殿下が笑う。私も、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 後日、王国では正式にスターリング伯爵家の通商権限が剥奪された。

 元婚約者の家は支援を打ち切り、彼は社交界から消えたという。ヒルダは最後まで「私は悪くない」と言い張り、味方だった者から順に離れていったらしい。

 私はもう、あの国の人間ではない。

 ここは北方。契約が守られる土地。

 港には今日も商船が並び、荷が降ろされ、紙が運ばれ、人が動く。

 契約は履行される。

 ――それだけだ。

 そして、その「それだけ」を守れる場所を、私はもう手放さない。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

「契約に情は不要です」がテーマの物語ですが、作者は評価とブックマークにはとても情を求めています。


少しでも

・スカッとした

・ヒロイン有能すぎる

・レオナルド殿下もっと押せ

と思っていただけましたら★★★★★評価やブクマで応援いただけると嬉しいです。


続きもどんどん北方が発展します。恋も発展します(予定)。


応援よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
>その横で婚約者が鼻を鳴らした ブヒブヒ言われても人語しか解さないわたくしにはさっぱりですわ、というお話ですわね。 コミュニケーションが成り立つ環境に身を置けるようになって何よりですわ。
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