表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
一章 石田みどり
9/35

石田みどり⑨

 翌週の土曜、輝美さんは店を閉めて車を出してくれた。

 私の生活用品の買い出しと、もといた部屋の荷物を持ってくるためだった。所長さんは許してくれるが、いつまでも部屋をあのままにはしておけない。

 助手席に乗り込むと、この間の輝美さんとのドライブが、ずいぶん遠い出来事のように感じた。

「それじゃあ出発!」

 後部座席にはなぜかみのりがいた。出掛けに捕まったのだ。

「せっかくだから名古屋まで行こうよ」みのりはすっかり買い物気分だった。

「遠いし、うちと逆だよ」私があきれて言って

「みどりの家とニトリに行くだけだ」輝美さんが言った。

「イオンの横じゃん。寄っていこうよ」

「言われなくても寄るよ」

「やった」

 車は川を北に越えて懐かしのわが家へ向かった。喫茶店からうちへは来るまで30分とかからない距離だった。

 ところが、たったそれだけの距離なのに、私は気分が悪くなってしまった。

 はじめは少々ブレーキの下手な輝美さんの運転のせいかと思ったが、それならば山登りまでした前のドライブはもっと大変だったはずだ。

 私は助手席で冷房にさらされながら、必死に吐き気を隠した。

呼吸が速く、視界のふちがどんどん白く埋まっていき、現実感が遠のいていった。

 もうすぐ着くから。

 窓の外が、どんどんと見慣れたものに変化していけばいくほど、それらの症状はひどく私をさいなめた。


 無口な性格と、みのりと輝美さんが仲良く話していたおかげで、なんとかうちまでやり過ごせた。

 急いで車を降りると、今度はあたり一面の田んぼの青臭いにおいが、一気に流れ込んできた。懐かしいはずの景色が、猛毒となって私に襲い掛かった。故郷を捨てた罰なのだと思った。

 私はうっとなって口を抑えた。

 そのとき、みのりと目が合った。

 見られた。

 ばつの悪さを感じていると

「ここがみどりちゃんのおうち?」

 そう言ってみのりは、自然な仕草で私の背中をさすりはじめた。

「私は所長さんと話してくるから、落ち着いたら部屋に行ってな。鍵はまだもってるんだろ?」

 輝美さんは私をみのりに任せ、社屋のほうへ歩いて行った。

「へー、集積所っていうの? の横についてるんだ」

 みのりはゆっくりと話し始めた。

「私の育ったところはねこんなにおっきくないけど幼稚園みたいな建物で、0歳児から私たちくらいの年の子まで一緒くただったんだー。ちっちゃい子も多いから、もううるさくてうるさくて。大人の人の手も足りてないからさ、私も一孝も大きくなっていくにつれて、ちっちゃい子の面倒見なきゃいけなくて、もう大変。だから門限ギリギリまで外で時間をつぶしたりもしたけど。うちが大変なことになっているかと思うと、あんまり遊びに行けなかったなー。ま、私なんかちゃらんぽらんだからいいけど、一孝なんて特待生で大学に行きたいっていうんだから相当やきもきしたと思うよ。それでいよいよ施設も定員オーバーってくらいのときに輝美さんに拾ってもらったの。施設を出た先輩がそうゆう仕事についてて、その紹介でね。施設のことは嫌いじゃないよ? いまの生活は楽しいけど、私の実家はあそこだけだし本当に感謝してるの。この前ね、一孝と一緒に久しぶりに帰ったんだよね。いまは楽しくやってますよって報告に、お菓子いっぱい持って。私たちはほら、脱走兵だから、行くまで結構気まずかったんだけどなんか職員さんも、チビ共もすごい喜んじゃって。私たちが帰ろうとすると泣き出したりしちゃって。なんかちょっぴり帰りたくなくなっちゃったりして。またここでって考えちゃったりね。まあ三日もいたら出ていきたくなると思うけど。……私は捨て子だし、葉月みのりって名前も施設でつけられたものだし、本当の誕生日もわからない。からだ以外は全部あそこでもらったもの。そう考えるとなんか生かされてるって感じがするのね。私生きてるぞーって。いまのんきにテレビ見ていられるのも、全部あそこのおかげって、そう思うことにしたんだ。だから、もしあの施設がなくなっちゃう、なーんてことがあったら私きっと泣いちゃうんだろうね。でもそれが普通だよ」

 話をしている最中、彼女はずっと私の背中をさすり続けていた。


「なんかちょっとうちと似てるね」

 私がカギを開けると、みのりは部屋を覗き込んで言った。

 彼女がうちとか言うと一瞬どちらのことかわからなくなるが、この場合は輝美さんの家のことだろう。親子の二人暮らしにちょうど良い広さの懐かしき我が家は、喫茶店の三階にある部屋たちと同じで、畳張りで窓の位置もそっくりだ。

 私は玄関に靴を揃えて、部屋の中に入った。たった数週間空けただけなのに、中はずいぶんほこり臭かった。まるで父と私が住んでいたことなど、すっかり忘れてしまったかのように、部屋は他人行儀で、私を歓迎しなかった。

「私、入っていい?」みのりが言った。

 そのほうがいい。彼女がいたほうが私も、むせかえるような思い出の数々に、押し潰されずに済みそうだ。

 私は「どうぞ」と答えた。

 さて、感傷に浸っていては、いくらでも時間が流れてしまう。私は大掃除のようにせわしなく、必要なものを段ボールに詰めた。電気スタンド、手鏡、卒業アルバム、小型のブルートゥーススピーカー。引っ越しの際に零れ落ちたそれらを、私は丁寧に箱の中に並べた。

 本命は台所用品だった。輝美さんの台所には、使いやすくも洒落た器具が揃っていたが、やはり使い慣れたものがいい。中でもこの中華鍋。いつだったか父が酔っ払ってどこからか買ってきた、二人暮らしには手に余る巨大な鉄の塊。それはきっといまの暮らしには役立つだろう。

 箱いっぱいに荷物を詰め込んで、最後に包丁の刃に新聞紙を巻いていると、開きっぱなしのドアがノックされた。

 所長さんだった。少し後ろに輝美さんの姿も見えた。

「次の入居者が決まるまでは残しておくが、持って行かないものがあるならこちらで処分するから、いま必要なものだけ持っていきなさい」

 玄関先から所長さんは言った。

「はい。ありがとうございます。でも多分これで全部です」

 私は包丁を段ボールに放り込むと、彼の前に立ち、部屋のカギを差し出した。

「いままで大変お世話になりました」

 手を差し出したまま、深く頭を下げていると、しばらくして手の平から鍵の感触が消えた。

 私は重たい段ボールを抱えて、玄関から部屋の中を見渡した。物はずいぶん減ったが、部屋の真ん中には裸の炬燵が残っていた。あそこでいろんなものを食べた。自分が作ったものも、父が作ったものも、そうでないものも。私はあの炬燵机の上で作られた。

 白いカーテンが風を巻き込み、膨らむ。舞い上がったほこりの粒がキラキラと部屋に光のベールをかける。段ボールの中で、包丁がカタッと音を立てる。

 行かなくては。

 私は靴を履き廊下に出た。みのりが段ボールの反対側を持ってくれた。

「ちゃんとお話ししなくていいの?」

 子供にたずねるように、みのりは言った。

「大丈夫」私は言った。「先週、店で会ったばかりだし、どっちも喋るの得意じゃないから」

 階段をおっかなびっくり降りていると、遠くで

「何かあったら必ず連絡しますので」

 そんな輝美さんの声がかすかに聞こえた。


 車は運送会社から南へ五分ほど行った先にある、大型家具店の駐車場に止まった。

「生活費は支給されるからなんでも好きなもの買いなー」

 運転席のドアを閉めながら、輝美さんが言った。

 私は

「小さなちゃぶ台みたいなものがほしいです」

 と言った。

「それだけか?」

 うーんと悩んでいると、さっそくみのりが大きなショッピングカートをガラガラ引いてきた。

「まあ見ながら決めよう」

「そうですね」

 新品の家具がそこかしこにディスプレイされた店内は、新築の家のように清潔感にあふれていた。思い出がないからだ。私たちは目の前の寝具売り場から順番に店内を見て回った。現在使っている布団は少々傷んできてはいたが、まだ同じ布団でないと眠れない気がした。はじめて部屋を訪れた時にはなかったカーテンも、入居時にはすでにあったので必要ない。

 私が最初に手に取ったのは、ちょうどいいサイズのシンプルなゴミ箱だった。値段も400円程度とやさしい。いままではちょっとしたごみでも二階まで下りていかねばならず、チラシを箱型に折ってごまかしていた。

「こっちのほうがかわいくない」みのりが提案したのは、海外のマスコットキャラクターがプリントされたゴミ箱だった。

「高い。ゴミ箱なんて使えればいいの」私は自分で選んだゴミ箱をカートに入れた。

 それから目当てだった小さなちゃぶ台と、三段のカラーボックス、ブックスタンドを巨大なカートに放り込んで、私の買い物は終わった。

「キッチン用品は見ないの?」

 その悪魔のささやきを、私はきりがなくなるからと却下した。うちからいろいろと持ってきているし、そもそもいまだって不便はしていない。


 それから私たちは、隣接するショッピングセンターのフードコートでソフトクリームを食べた。

 ご機嫌な午後だと思う。

 それだというのに、私はボロボロと泣き出していた。

 不意な雨のように、胸に落ちた水滴が、私にそれを教えた。

 二人の顔が見れなかった。気が付けば、もうなんの言い訳もできないくらい、私はぐしゃぐしゃだった。

 溶けかけのソフトクリームが、涙をぬぐうのに邪魔だった。

 輝美さんが、ハンカチで私の頬ををやさしく拭いた。

 父が休みの日、ここにはよく来ていた。父とラーメンを食べ、私はデザートにソフトクリームをねだった。

 それを振り払うかのように、私はソフトクリームに、コーンごとかじりついた。

 いまはただ、早くあの喫茶店の二階にある台所で何かを作りたい。少なくとも、そのあいだだけは、私は丈夫だ。


 家に帰ると、私は持ち出した調理器具をコンロの下などに収納し、部屋で無心でカラーボックスを組み立てた。

 持ってきたものたちを並べると、殺風景だった私の部屋はちょっとだけマシになった。ちゃぶ台のサイズも部屋と合っている。

 私はどっと疲れていた。しかし、悪くない疲労だった。

 父の死からずっと、私の体は鉛をぶら下げたように重かった。精神的なものだろうか。私の体はいつも疲れていた。

 疲れが疲れで上書きされて、また今日も台所に立てそうだった。

 少しだけ狭くなった部屋で、私はしばし横になり、晩御飯のメニューを考えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ