エピローグとプロローグ 河野輝美⑤
私はその日、大学のボランティアサークルの忘年会に参加していた。OBと現役生の混じったその会の参加者は、毎年総勢30名にも上った。
たかが学生の暇つぶしと侮るなかれ、サークルは体育会系で時間の拘束も長く、バイトを入れるのも一苦労だった。学校が教育系だったこともあり、そのまま福士方面へ就職する人も多く、忘年会では仕事の話であふれていた。
福祉関係への就職を希望する現役勢が、OBの話を熱心に聞いていたりして、無礼講の楽しい飲み会というより、毎年勉強会のような雰囲気だった。
その年の会には珍しい人物も参加していた。河野草太。一学年上の先輩で、私が二年に上がったころから付き合っていた。自身も孤児である草太は、明るく力持ちで、どこへ行っても子供たちの人気者だった。私もそんな彼を愛した。どこにでもいる学生カップルだった。別れたタイミングは明確にはなかった。私が就職し、仕事に追われ、現実に打ちのめされているあいだに、私たちは疎遠になっていった。よくある話だ。
私は当時仲の良かった同級生たちに押し出されるように、彼の前に座らされた。
「お疲れ様」
と言って、草太はあのころとまったく変わらぬ笑顔で、ジョッキを差し出した。
「お疲れ様です」
私はおずおずとジョッキを差し出した。
カンっと控えめな乾杯を交わしたが、私はなにを話していいのかわからなかった。別れてしまった原因は主に私にある。
「何年ぶりかな?」
彼は言った。
「10年は経ってないと思うけど」
私は答えた。
「変わってないね。でも少し瘦せたんじゃない?」
おしぼりで顔を拭きながら彼は言った。付き合っているときはその仕草が恥ずかしくて、何度もやめてと言ったが、今はただ懐かしかった。
「仕事が忙しいのよ」
私は言った。
「今も児童相談所なんだってね。俺も昔はずいぶんお世話になったし、立派な仕事だ」
「あなたは相変わらず車を売ってるの?」
「まあね」
「福祉関係に就くと思っていたから当時意外だったわ」
「まあ、何をするにもお金はあるに越したことないからね。ってこんな話何度もしたよね」
彼は笑った。
「仕事つらそうだね」
少しの沈黙ののち彼は口を開いた。
「なにを根拠に?」
私はキッと彼をにらんだ。
「まわりに頼まれたんだ。つらそうだから慰めてあげてくれって」
彼は簡単に白状した。この人はなにかを誤魔化すことを嫌う。
「実際つらいわね」私は言った。「まるで警察か探偵みたいに、よその家庭のことを調べ上げて、心が沈むわ」
「そうだね、人が目を向けたくないものを見続けるのはつらいだろうね」
あの頃のような、やさしいまなざしで、彼は言った。
「私向いてないのよ。他の人はもっとドライにやれているわ」
「輝美は感傷的だからなあ」
そう言って彼は、なにかを懐かしむように、小さく笑った。
「そうよ、悪い?」
そう言って私はジョッキを半分ほど空けた。
「悪くないよ。でも君の場合もっと子供たちに近い職場があっていたのかもね。児童養護施設とかさ」
「わかってる。本気で転職を考えてるの私」
「いいと思うよ」と草太。「人には向き不向きがあるからね。それに君が……」
隣の卓からどっと大きな笑い声の波が起きて、草太の言葉をかき消した。みなストレスを抱えている、仕事に、家庭に、だから時々集まって大騒ぎをして学生の頃の気持ちにタイムスリップを試みる。
私はそんな気分じゃなかった。酒が悪いところに入っていた。
「どんな仕事に就きたい? やっぱり福祉関係?」
仕切り直して草太は言った。
「そうね」私は答えた。「このサークルに入るまではボランティアとか福士とか無縁だったのに、今じゃ、そうゆうのが自然になってると思う」
「でもなにも必ず仕事にする必要はないと思う。余裕をもって別の仕事をしながら、このサークルみたいにボランティアに参加するとかさ。そうだ、うちの里親の親がさ、喫茶店やってたんだけど、もうやる人いなくなっちゃったから、よかったらあげるよ」
草太は明るく言った。
「そんな、物みたいにいただけないわよ」
私は小さく笑った。最近の私は酒が入れば管を巻くばかりで、まわりから迷惑がられていたが、草太となら前向きな話ができる。
「俺の里親がそうしてくれたみたいに里子を取るって手もあるぞ」
「仕事も決まってないのに、女の独り身で里親なんて、それこそやっていけないわよ」
「そうだよな……」
草太は腕を組んでなんだか考え込んでいた。
そのとき私は隣の卓に呼ばれた。まだしっかりとふらつかない足で立ち上がり、席を移動しようとすると
「ちょっと待った」
と草太が身を乗り出して私の腕を取り、引き留めた。
「え、なに?」
私が驚いていると草太は
「待って。いま、すごいいいことを思いついたんだ」
「なによ」
中腰で私はたずねた。
「本当に点と点が繋がったというか、うん、すごくいいアイデアだ」
「だから、なに?」
そして、草太は驚くほど真剣な顔で、私の目を見て言った。
「結婚しよう」
朝はモーニングの支度があるので、誰よりも早く起きる。長年の習慣ですっかり慣れてしまった。シャワーを浴びて、着替えて一階へ降りる。パートさんたちと共に仕込みをして、開店の準備をする。時間を見て入り口のカギを開け、札をOPENに変える。朝の冷え込んだ風が、頬を叩く。日当たりの良くない駅前で、ビル群の隙間から低い太陽がもやのようにかすかに通り抜けてくる。徐々に席が埋まり、暖房の効いた店内は少し暑いくらいになる。給仕をパートさんに任せ、私は調理とコーヒーを淹れることに専念する。両手を伸ばせば、端から端に届きそうな、カウンターの中が私の職場だ。
客足がピークを迎える手前の時間、背後からどかどかと階段を歩く足音が聞こえてくる。五人はそうゆう決まりでもあるかのように、大抵五人そろって階段を降りてきて、勝手口ののれんから全員で顔を出す。
そして
「行ってきます」
と声を揃えて言う。
私は仕事の手を休め
「いってらっしゃい」
と言う。
一孝と、みのりと、みどりは顔を引っ込め、玄関から自転車で学校へ向かう。
春美といぶきは店内を通り過ぎて、店の入り口からそれぞれ駅とバス乗り場の方角へ向かう。カランカランと扉のベルが鳴る。
私は仕事に戻る。
彼らの三学期がはじまる。
春美は来年いなくなってしまうが、しばらくこの日々が続く。
上に戻ればジュンにも会える。
私は仕事に戻る。淹れたてのコーヒーの香りが、やめたタバコの煙の代わりに私を包み込んでいく。




