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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
五章 地田春美
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地田春美②

 私は部屋でパジャマに着替えた。

 そして、東京ばな奈を4つポケットに入れて廊下に出た。

 人生は心の旅だ。今夜は漕ぎだすにはいい夜だ。


 ドアの下の隙間から光が漏れていたので、まだ起きているのだろう。

 こっそりドアを開けると、みどりちゃんは窓辺に座りながら、ヘッドフォンで音楽かなにかを聞いていた。

 目を閉じているので、寝ているかもしれない。

 私はそーっと彼女に顔を近づけた。彼女の頬には虫の這ったような涙の跡があった。愛する人を思っていたのだろうか、それは触れがたく、不謹慎だがこの世のどんなものよりも美しいと感じた。

 と、気配に感づいたのか、彼女の目が開いた。

 みどりちゃんは、鼻と鼻がこすれあいそうなほど接近していた私に驚き、ドンッと窓に後頭部をぶつけた(窓が割れなくてよかった)。

 痛がるみどりちゃんを笑っていると、彼女は無言で近くにあった教科書を、力なく私に投げつけてきた。

「なんなの?」

 みどりちゃんは弱々しくヘッドフォンを外した。

「ごめん、寝てた?」

「寝てないよ。どうしたの?」

 私は「まあまあまあまあ」と彼女の隣に座って、その肩に頭を乗せた。背の高いみどりちゃんの肩は、頭を預けるにはちょうどいい高さだった。

 みどりちゃんは抵抗しなかった。

 彼女の熱い体温を感じながら私は言った。

「私も今日はなんだか眠れないの。なにかお話しましょ」

「なにそれ。今日の春美少しへんだよ」

「そうゆう気分なの。なんだか眠れなくて無性に誰かと話したい。そうゆうことってない?」

「あんまりない」

「じゃあ、私のお話を聞いて。それならいいでしょ?」

 ややあって彼女は

「いいよ。私もなんか眠れないし」

 と言った。

「どんな話がいい?」

「べつになんでもいいけど……じゃあ春美がここに来る前の話」

 そんな話でよければ。私は話しはじめた。

「私はねー小さい頃は特に性格が悪くって、親戚中をたらいまわしにされてたんだけど、その前はおばあちゃんのうちに居たの。両親が早くに亡くなってから、ずっと二人。私の一番古い記憶はね、おばあちゃんが足踏みミシンを使ってるのを見上げているところ。ガタンガタンガタンって音がしていて、おばあちゃんは老眼鏡をかけているの。顔もいつものおばあちゃんじゃなくて、怒ったみたいなまじめな顔で、しわに濃い影が出るの。でも、私が見ているのに気付くと、すぐにいつものやさしいおばあちゃんに戻って、でもまたちょっとすると怖い顔に戻ってるの」

「春美がミシンをやるのもおばあさんの影響?」

 みどりちゃんが言った。くっついているので肩越しに彼女の声の振動が届いた。ミシンみたいだった。

「うん、そうだね。小学校に入るときに、おばあちゃんが小さいミシンを買ってくれたの。へたくそだったけどいろんなものを作ったよ。ハンカチとか、エプロンとか、名札の縫い付けとかも全部自分でやった。親戚中たらいまわしされているときもこのミシンは手放さなかった。もう動かなくなっちゃったけど、今でも持ってる」

「私にもある。ギターとか、楽譜とか、中華鍋とか」

「そう、私にとってそうゆうもの」

「おばあさんは亡くなったの?」

「うん。私が8歳のときにね。朝、おばあちゃんがいつまでたっても起きてこないから、私は起こしに行ったの。おばあちゃんはいつも通り仰向けで横になってて、私は肩をゆすったの。そうしたらすごく硬くて、冷たかったの。本能的にわかったんだろうね。私はおばあちゃんの頬にそっと触れてみた。すごく冷たかった。氷でも触ってるみたいだと思った。それで110番した。119番じゃなくてね。小さいし、バカだったけど、死者の冷たさってことはわかったんだ。……ずっと考えないようにしてたんだと思う。おばあちゃんは永遠に元気でいるって思い込んで。そんなわけないのにね。でもね、通夜でお坊さんが泣いてる私に言ったの。きみのおばあちゃんは一番幸せな安らかな旅立ちをしたんだよって」

「私も言われた」

 声でわかった。彼女は再び涙を流していた。それは決して私の話が感動的だったからじゃない。つついて刺激しただけだ。彼女は父の死からまだ数か月。傷はまだ閉じてすらいない。むきだしのままだ。

「お父さんは即死だったから死んだことにも気づいていないだろうって、苦しまずに逝った、それがせめてもの救いだって」

 私は話を続けた。

「お葬式は最悪だったわ。見たこともない親戚たちがやってきて、私の面倒を誰が見るかで揉めているの。こどもに耳がないとでも思っていたのかしらね。そのあとは、あっちへいったりこっちへいったり、二年くらい居たところもあれば、一か月もたなかったところもある。ここは最長記録ね」

 私は言った。

「私、自分でもよくわからないんだけど、結構、不気味な奴なんだと思う。私の何気ない一言でこどもが泣いたり、大人が顔を真っ赤にして怒ったり、どうしてそうなってしまうのか理解できなかったの。昔からそうなのよ、私のことを好いてくれる人も中には居るけど、それを信じることが苦手だし、ダメな人にはぜんぜんダメ。きっとミシンの中に善良な魂みたいなものを置いてきちゃったのね」

「まだ、おばあちゃんのこと、かなしい?」

 鼻声でみどりちゃんは言った。

「平気だよ。かさぶたみたいなもの」

 私はうそをついた。

 このかなしみは一時的なものなんだよ。だから泣いてしまうのもいまだけよ。

 嘘でもそう伝えたかったが、私の方が耐えきれなかった。

「ごめん噓。今でも時々、おばあちゃんを起こしに行く夢を見るよ。すごくかなしい。ミシンの前でもこれはおばあちゃんならどうしたかなってたまに考えてる。でも時々だよ。これは本当。みどりちゃんも少しづつ楽になっていくよ」

「私は楽になんかなりたくないって思ってた。かなしい気持ちも手放したくなかった。立ち直ることが悪いことみたいに思ってた」

「愛されていたのね。今は違うの?」

「多分まだそんなに変わっていないんだと思う。でも変わりかけてきている気もする。ちょっとづつだけど」

「ここに来て良かったかもね」

「うん。でもここの人たちも、学校の友達も、父の会社の人も、みんなやさしいから時々お父さんのことを忘れそうになる。それはいけないことじゃないってわかってるのに、いけないことしてるみたいで時々ハッとする。四六時中思っていなくたってたまに思い出せばそれでいいはずなのに」

「そうだよ。私のように図太く生きよう。生きてる方が偉いんだから」

「春美は繊細だよ」

「え?」

「そうやって死んでいった昔のミュージシャンがいたの。『ハイ』と『ロー』が心の中で混在していて、明るいまま落ち込んだり、暗いまま動き回ったり。今日もそう」

「もしそうなら、周りはさぞ迷惑だろうね」

「春美、わざといっぱいバイト入れてるんじゃない?」

「欲しいものがいっぱいあるだけだよ」

「嘘。私たちと距離を取ってる。私は一番新入りだから余計にそうゆうことが見えるの。私は春美が好きだよ。みんなも。ここを出ていくのが一番早いんだから、もっと一緒にいて。迷惑なんかじゃないから」

「みどりちゃんはよくしゃべるようになったね。はじめはあんなに無口だったのに、でもこっちが素のみどりちゃんに近いんだね」

「春美は自分が嫌い?」

「そうかもしれないけどわかんないな。厄介者でたらいまわしにされた刷り込みなのかも」

「私は春美になりたいよ」

「私が二人もいたらますます面倒だよ」

 私は笑った。

「あ、お土産忘れてた、はいどうぞ」

 私はポケットから東京ばな奈を取り出し、みどりちゃんの太ももの上に置いた。

「なにこれ? 東京行ってたの?」

「明日にでも話すよ。それよりなにか私にしてほしいことある?」

 私は彼女にたずねた。

「お邪魔しちゃったお詫びに」

 彼女は鼻をすすって言った。

「夕食いらないときは前もって連絡してください」

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