地田春美①
目を閉じると、おばあちゃんの足踏みミシンの音が聞こえた。
夏休みを目前に控えたある夏の日、私は教員室に呼び出された。
なんと、コンテストに応募した私のデザイン画が、審査を通過したのだ。
そのコンテストは服飾デザイナーの登竜門的なもので、私は高校のときから毎年デザイン画を応募していた。
本戦は10月。
デザイン画ではなく、実際に衣装を製作しての審査になる。
それはある意味、夏の終わりを意味していた。
私は夏休みを返上し、夏だと言うのに定期券を買いなおし、学校の実習室にこもることになった。
同居人が一気に増えたはじめての夏。この夏くらいは彼らとめいっぱい遊ぼうと思っていたのにあてが外れた。
もっとも同居人たちも、ボランティア、夏期講習、喫茶店の手伝い、炊事と部活、などと忙しそうで、どのみちなところではあった。
デザイン画をにらみつけ、型紙に線を引き、仮縫いをする。納得がいくまでその作業を繰り返し、ああでもないこうでもないとしているうちに、私のアルバイト代はすっかり生地代に化けてしまった。
父親の結婚式に参列する、いぶきのドレスのデザインを考えるのが、いい息抜きになった。
10月。
私はモデルさんに衣装を着せ、その隅々までチェックし、最後の最後まで調整した。
舞台袖で、ランウェイへと歩き出そうとするモデルさんの背中を見届け、私は目を閉じた。
祖母が足を踏むペースで駆動するミシン。電動ミシンより控えめで、キーンとしない、あのガタンガタンガタンと小刻みになるその音を、私はつい昨日のことのように思い出せた。
私の執念や情熱。
あのミシンの音が私をここまで連れてきた。
いくつかある賞のうちのひとつを受賞した私は、会場で、あるデザイン事務所の人から名刺を戴いた。専門学校の卒業を待たずに、実社会で働きながら勉強をしたらどうかという誘いだった。
ちょっとだけ断るのはもったいなかったかな。
帰りの電車の中で、少しだけ後ろ髪が引かれる思いだった。
悪い話ではない。だが専門学校の卒業まで残り1年と4、5か月。私はまだあの喫茶店の上で過ごしていたかった。
私は急激なさみしさに襲われた。
いつも考えないようにしていた別れの日。それを唐突に突き付けられてパニックを起こしていた。
一刻も早く彼らに会いたかった。会ってなにかを話したかった。
受賞とスカウトから来る高揚感、そしていづれ来る別れという名の現実。
その二つが同時にやってきて、もうどうにかなっていしまいそうだった。
帰宅したのは夜11時過ぎだった。
私は玄関と階段を音もなく通過し、リビングを右に抜けて、夫婦の部屋を小さくノックした。
しばらくして、ドアが1ミリだけ開いた。
「無断外泊だぞ」
ドアの隙間から、不機嫌そうな輝美さんの声がそう言った。
私はそれだけでうれしくなってしまった。びしょ濡れの子どもに、タオルと毛布が必要なように、その声は私にとっての救いだった。
私は言った。
「もう里子じゃないからいいじゃない。開けてよ。お話しましょ」
「もう遅いから明日な」
そう言ってドアを閉じられそうな気配がしたので、私は無理やりドアを押し開けた。
「お前なあ、何時だと思ってる。私は明日もモーニングがあるんだぞ」
輝美さんはそう言いながら、私がスーツでビシっときめているのを見ると
「どこに行ってたんだ?」
とたずねた。
「まあまあまあ」
私はその隙に、キャリーケースごと部屋に入り込み、化粧台前の椅子に陣取った。
「里親って儲かるんですか?」
私は、私を里子に取るつもりだと言う奇特な夫婦にたずねた。
嫌味のつもりはなかった。
ただ私を預かることで重荷になるなら、それは居心地がよくない。せめて儲かってほしいと思ったからだ。
祖母が死んでから、私は親戚中をたらいまわしにされた。
はじめは慈愛の心で受け入れてくれた人たちも、いづれひねくれ者の私を持て余す。
捨てられないためには、なにかメリットが必要だ。
「それは俺たち次第かな。きみに金を使わなければ、少しは儲かるかもしれない」
河野草太と名乗った男性は、まっすぐにそう言った。
名前に見合った土臭いたくましさを持つ男性だった。
「ちょっと」
と、その妻の輝美さんが、彼の小脇を肘でつついた。
「高校は服飾の専門だったね?」
草太さんは言った。
「なら、なにかと入り用だろうね」
「はい」
と私は答えた。
「アルバイトならしています」
彼は言った。
「信じてもらえるかどうかは、これからの俺たちにかかってくるけど、お金が欲しくてきみを預かるわけじゃない。俺は両親がいなくていろいろと苦労したし、妻は以前児童相談所で働いていたんだ」
「お子さんは作らないんですか?」
「きみみたいな子の支援に人生を尽くしたいんだ。二人で話し合って決めたことだよ」
草太さんは笑った。
「安心して。こう見えて俺は稼ぎがいいし、この喫茶店も持ち家だ」
「そうか、よく頑張ったな」
私がコンテストのことを話し終えると、輝美さんはそう言って立ち上がり、私の頭を両腕で抱きしめた。
自分が言葉足らずだと自覚している彼女は、こうゆうとき肉体的な表現をとる。私の場合は口が悪いからだが、そのあたりに共感を覚える。
私は
「わーい」
と言って、椅子に座ったまま、彼女の腰に抱き着いた。
輝美さんが離れようとしても、私は腕を離さなかった。
「おい、もういいだろ、離せ」
「なんで? もっと『お前は自慢の娘だ』とか言ってよ」
輝美さんは黙った。
私は彼女にしがみついたまま、そのおなかに話しかけた。
「輝美さんって、家族とか、娘とか、子どもって単語避けるよね? でも娘じゃないとも言わない」
「それはお前、たった数年面倒見ただけで、母親面するのはずうずうしいだろ」
「じゃあただの大家さん?」
私は言った。
「私、輝美さんの養子になってもいいよ。私たちの面倒で子どもが作れないなら、義理でもいいから親子になろうよ」
輝美さんはまた黙った。
でも、さっきと違って、真剣に言葉を探している様子だった。
もう十分だ。
私は彼女がこうやって困ってくれるだけで満足だった。
「はい、おしまーい」
私は輝美さんから腕を離した。
「そんな感じの気分でした」
私はキャリーケースの中から東京ばな奈の箱を取り出し、包装紙を雑に破ると、中身をひとつ輝美さんに渡した。
「春美」
輝美さんは私の名を呼び、なにかを言おうとした。
私は
「いいからいいからー」
と言ってキャリーケースとともに、足早に夫婦の部屋をあとにした。




