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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
四章 川島いぶき
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川島いぶき④

 10月。

 いつも時間きっかりに来るお父さんのために、私は二杯分のコーヒーを淹れて喫茶店で待っていた。

 カップにコーヒーを注いでいると、ピッタリにカランカランと扉の開く音がして、お父さんは喫茶店に入ってきた。

 後ろに、女性を携えて。


 自分の分の三杯目のコーヒーを持って、私はお父さんの向かいの席に座った。

「驚かそうとしたわけじゃないんだ。ただなんと言っていいかわからなくて」

 お父さんは釈明した。

 その可能性をまったく考えなかったかと言われれば嘘になる。

 結婚をするなら必ず相手はいるわけで、式場でいきなりはじめましてもないだろう。

「LINEでもいいからひとこと言ってよ。私、断らないよ」

「ごめん」

「あの、私が早く会いたいって言ったんです」

 親子の会話に入り込んできた、私の義母になるであろうその女性は美しかった。

 細身の体に、肩まで伸びた髪を真ん中で分けて、瞳は大きかったけど、少し鋭い印象を受けた。

 どうやらお父さんは面食いみたいだ。

 お母さんとはまた違う美人。写真のお母さんはもっとやわらかく、女性的なフォルムで、いつも微笑んでいた。

「気にしないでください」

 私はにっこり笑えていたかはわからないけど、にっこり笑ったつもりで

「黙っていたことが気になっただけですから」

 とその女性に言った。

 女性は浮かせかけていた腰を椅子に下ろし

「いぶきさん」

 と学校の先生みたいに、私をさん付けで呼んだ。

「私は誠二さんの会社の同僚で、宇佐美由衣と言います。28歳です。誠二さんとは昨年から真剣にお付き合いさせていただいています」

 私は姑か。

 と思いながら、先日の春美ちゃんとの会話を思い出した。

 確かに私は、お父さんの保護者みたいだった。

 由衣さんは言った。

「実は私も初婚じゃないんです。子どもはいないですけど、それでよく誠二さんに相談に貰って」

「はあ」

 のろけ話ならよそでやってほしかった。事務的にことを運べばいいじゃないか。

「この人は『どこまで』知ってるの?」

 私は自分の席で小さくなっているお父さんにたずねた。

「……全部知っているよ。……これもきみに相談してからが良かったね」

「ふーん」

 と私は言った。

 そして、神に誓ってそんなつもりはなかったのだけど、気が付くと由衣さんに


「娘と寝た人と良く結婚できますね」


 と言っていた。あちゃー。

「いぶき!」

 と言ってお父さんは立ち上がった。

 次の瞬間には、平手打ちが私の顔に炸裂していた。

 これには驚いた。

 お父さんが私に手を上げることなど、天地開闢から一度たりともなかったのだ。

 これじゃ、まるで、普通の親子みたいじゃない?

 由衣さんはすがりつくようにお父さんを抑えた。

 仕事中にすっ飛んできた輝美さんが、お父さんの胸倉を掴んだ。

 私は泣きじゃくってみせてもよかった。

 でも、それは、あまりに卑怯な気がした。

 私はじりじりと痛む頬を撫でることもできず、ただ石のように嵐が去るのを待った。


 二階に上がると、上からかすかにギターの音が聞こえた。

 私はみどりちゃんの部屋を訪ねた。

 勝手にドアを開けると、みどりちゃんは窓にもたれかかってギターを弾いていた。

 クールでミステリアスな顔をしていたつもりだったけど、みどりちゃんは私を見るなり演奏をやめて

「どうしたの? 大丈夫?」

 と言った。

 私は言った。

「お父さんと初めて喧嘩しちゃった」

「そっか」

 とみどりちゃんはやさしい顔になった。

「うちはしょっちゅうしたよ」

 父を失ったばかりのみどりちゃんは少し懐かしそうに言った。

「どうやって仲直りするの?」

 私はたずねた。なぜだかみどりちゃんの前だと、私は年相応の少女になれる。

「なにもしなくていい。時間が解決してくれるよ」

「そうかな?」

 世の中には最後の最後までいがみ合う事例がいくらでもある。

「そのタイミングが来るのを待つの。私は世の中のすべてのことはタイミングだって思ってる。それが一生やって来ないこともあるけど、結婚式、行くんでしょ?」

 私はうなづいた。

「なら大丈夫」

 私よりもずっと傷だらけの、この人が言うなら、そうなんだろう。

 私はぐっと涙をこらえた。

「ねえ、なにか、演奏して」

 私は言った。

「ええー?」

 みどりさんは両手をぶんぶん振った。

「いやでも、私古い曲しか弾けないよ」

「それでもいいから」

 と身を乗り出すと、みどりちゃんはしぶしぶ抱えていたエレキギターをアコースティックギターに持ち替えて、年季の入ったコード表をちゃぶ台の上に広げた。

「はあー」

 みどりちゃんは大きくため息をついて

「…イ………ド」

 とボソッと曲のタイトルを口にし、弦をはじき始めた。

 暗くも、明るくもない、でも少しさびしい不思議なメロディだった。古くても有名な曲だったので、私もうっすら耳にしたことがあった。

 やさしく子どもに訴えかけるようなその曲と、みどりちゃんの歌声は、私の体にしみこんで、同化し、溶けていった。

「悲しいときは悲しい曲を聴くといいよ、なんとか効果って言ってそのほうが精神が安定するんだって、だから無理に明るくしようとしちゃだめだよ。心と体がびっくりしちゃう」

 演奏を終えるとみどりちゃんが言った。

 心配そうなみどりちゃんを尻目に、私は自分のことを棚に上げて、どうかこの人に幸せななにかが待っていますようにと、神に祈らずにいられなかった。


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