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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
三章 葉月みのり
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葉月みのり③

 マコちゃんの職場のことは彼女のSNSでよく知っていた。

 海沿いのダイビングセンターに、場違いな喪服代わりの制服姿で現れた私を、職員たちはいたく歓迎した。

 突然で、葬式もなかったからと、彼らは代わる代わる、私の持つ木箱に手を合わせた。まるで教祖様にでもなった気分だ。

「急に仕事に来なくなって、それで手紙が届いたのよ」

 二十代後半くらいの女性が、骨壺の入った箱を撫でながら、涙をこぼして言った。

 濡れた髪をパイナップルみたいに結んだ、日に焼けた肌の女性だった。

 その健康的な体は、イルカを見れば泳ぐのに適しているのだと想像できるように、彼女が海を愛する人だと連想させた。

「最初は何の冗談かと思ったけど、きっと手遅れだったのね」

 そう言うとその女性は、涙を乱暴に拭った。

 そして、パチンと日に焼けた頬を叩いて気を取り直すと

「あなた、みのりちゃんでしょ?」

 とほんのり赤くはれた目で、明るく言った。

 突然名前を呼ばれて驚いていると

「私は町田理名。詩織ちゃん、育った施設のことを楽しそうに話していたから、あなたの名前もよく聞いたの。岐阜からはるばるようこそ。若いのに偉いわ」

 私は言った。

「遺書に名指しで遺灰を取りに来いって言われまして」

「それは勝手ね!」

「うん」

 私たちは笑った。

「ねえ、せっかくだから潜っていかない」理名さんはいいことを思いついたとばかりに言った。「せっかく観光地に来て、こんなお使いだけじゃもったいないでしょ? 詩織ちゃんの好きだった海を見ていってよ」

「ええ、そんな、私やったことない」

「大丈夫大丈夫。浅い所を泳ぐだけなら誰でもできるよ。せっかくだし、お金も取らないから」

 せっかくだし。という言葉に私は魔が差してしまった。

 この夏はボランティア尽くしで大して遊びにも行けず、かと思えば突然呼び出されてこんな遠くまで乗り物酔いでやってきて、灰を持って帰るだけじゃバカらしい。

 せっかくだし。せっかくだし。


 私は講習を受けて、理名さんと海に潜った。

 ベストシーズンより少し早いとのことだったが、はじめてのダイビング体験に私は夢中になった。

 エメラルドグリーンというには少し濁ったその海の浅いところを、私はハイハイをするように泳いだ。

 魚たちは南国のそれより地味な色をしていたが、人懐っこく私の前を旋回して、彼らを追い回しているうちに、制限時間の30分はあっという間に過ぎてしまった。

 着替え終わると、理名さんは水中で撮った写真を見せてくれた。ウェットスーツに身を包み、タンクを背負ってピースサインを送る私は、どこからどうみても間抜けな観光客だった(輝美さんが見たら怒鳴りそうだ)。

「今日はどこに泊まるの?」

 テラスでお茶を飲んでいると、Tシャツに短いジーンズ姿の理名さんが言った。

「日帰りのつもり……てゆうか何も決めてないっす」

「うちに泊っていきなよ」理名さんは簡単に言った。「疲れてるだろうし、夏休みでしょ?」

「でも、多分、というか確実に怒られる……」

「怒られちゃえばいいじゃん。同じ夏は二度と来ないのよ」

 私は迷った。理名さんのどこかできいたような陳腐なセリフの数々は、いちいち私のやわらかい部分に触れてくる。

 べつに、ここに残りたい、理由はない。

 ただ、もうバスには乗りたくないし、鉄道だってまあまあ嫌だ。長い帰り道がとにかく億劫だった。

 こんなに遠くまで来てしまった。

 いまさらながら心が青ざめていく一方で、海中で冷えたはずの体は妙に熱く、心臓がうるさいくらいにバクバク言っていた。

 私は海を見た。

 沈みかけの太陽が、ほんのり赤みを帯びた海の上に浮かんでいた。

 私は目を皿にして、ぼんやり眺めた。太陽は先のとがったスプーンで熟れた果実をえぐるみたいに容赦なく、私の火照ったまなこをとろとろになるまで焼いた。

 あとはただ波の音がしていた。

 私をここまで向かわせた、あの膨大なエネルギーはもうなかった。

 一過性の嵐のように過ぎ去って、ぽつんと私だけが残った。

 私はまるで炭酸の抜けたコーラだった。

「どうして私にこんなによくしてくれるの?」

 私は理名さんにたずねた。

「それはきっと私たち三人が似ているからだよ」理名さんは答えた「だから、もう少しあなたとお話したいと思ったの。迷惑だったでしょ?」

 私は言った。

「マコちゃんはどうして死んだのかな」

「付き合いの長いあなたならわかるんじゃない?」

 私は言った。

「孤児にだって人生にはいろんな楽しみがあるのに、海がきれいだからなんてバカみたい」

「そうだね、本当にそう」

 理名さんはタバコに火をつけた。

「海そのものは生でも死でもなくて、こんなに生き物があふれているのに、その暗い側面だけを切り取って美しいなんて言うのは間違ってるよ」

 そう言うと理名さんは、まためそめそと涙を流した。

 確かに、確かにこうゆうところはマコちゃんと似ているな、と思った。


 結局、私は疲労に勝てず(ダイビングなんてするからだ)理名さんの家に一泊することに決めた。

 問題は……スマホ画面に映る『河野輝美』の文字だ。

 私は遠方から彼女のご機嫌を占いながら、思い切って通話ボタンを押した。

 輝美さんはお仕事中のはずなのに2コールで出た。店も暇な時間だったんだろう。

「みのりか? いつ帰ってくる?」

 もしもしも言わずに輝美さんは切り出した。彼女にはそういった野生の勘じみたものがある。

「いやいや、聞いてよ、輝美さーん」

 私は道化を演じ、朝から私の身に起きた出来事を大袈裟にひとつひとつ話した。もちろん「ダイビングしちゃいましたイエーイ」とは言ってない。

「それで、もうくたくただって言ったら、マコちゃんの職場の人が泊めてくれるって話で」

「まだ間に合うだろ、帰って来い」

 有無を言わさず輝美さんは反対した。

「いや、本当に、疲れ切ってるんだって。それに私が乗り物酔いするの知ってるでしょ? 誰かと喋ってないとまた酔って大変なことになるから、せめて疲れをとってから」

 とスマホを理名さんにひょいっと取り上げられた。

「お電話変わりました。私、真琴詩織さんの同僚の町田と申します」

 理名さんは余所行きの口調で、私がいかに疲れているか、知人の死にまいっているかということを熱心に輝美さんに訴えかけた。

「ちょっといま一人で帰らせるのは心配です」

 ほい、っとスマホが帰ってくると、輝美さんは

「泊るのは分かったが、絶対明日帰って来いよ」

 と言った。

 隣で理名さんがピースサインを作った。

 私は言った。

「それとお願いなんですけど……一孝にはまだ黙ってて。帰ってから全部私から話すから」

 一孝はまだマコちゃんの死を知らない。私は何も言わないで出てきたし、輝美さんにも緘口令を敷いていた。

 一孝はマコちゃんのことが好きだった。

 年齢差的には憧れと言ったほうが近いかもしれない。

 その思いが今も継続しているとは思わないが、心の底に残った小さな恋のかけらは、私が回収しなければならない。使命感にも似た思いがあった。

「一孝は怒らないと思う」

「……わかった。あまり背負いこむなよ」

 ああそれと、と輝美さんは電話を切る前に言った。

「ビールに合うお土産を買ってきてくれ」


「どっか寄りたいところある? せっかくだから観光しちゃえ」

 仕事を少し早く抜けてきた理名さんの運転で、私たちはあてもなく走っていた。

「それよりコンビニとかでもいいから何か食べたい」

 私は自分のおなかをさすった。よく考えたら朝から何も食べていなかった。

「いいよ。夕ご飯にはまだちょっと早いけど、なににする? やっぱり海鮮? 人気のハンバーガーショップとかもあるけど」

「ハンバーガー」

 私は即答した。お刺身より、ハンバーガーのほうが生きる力にあふれている感じがしたのだ。

「詩織ちゃんもよくつれってったとこだよ。あの子も刺身とかあんまり食べなかったな。海に魅入られたくせに変な奴」

 

 注文したハンバーガーのセットが届くまでのあいだ、私はマコちゃんのSNSを見ていた。

 手紙が来てから幾度となくチェックしたそこには、職場の風景や、様々な顔をした海でいっぱいだった。

 華やかな海での生活に彩られた投稿たちは、これから死ぬ者のものとは思えなかったが、同時にすごく『ハイ』でまぶしく、作り物のようでもあった。

 最後の投稿は、きれいな海を臨む、崖の上の写真だった。投稿されたのは私に手紙が届いたその日。なにも文面はなく、ただ画像だけが残されていた。

「ここがどこかわかりますか?」

 私は理名さんにスマホを見せた。

 理名さんはああ……と知った顔で

「私も見たよ。××峠。詩織ちゃんの見つかった場所だね。私宛の手紙にもそう書いてあった」

 すると店員さんが巨大なハンバーガーの乗ったおぼんを持ってきた。

 私は習慣でそれをスマホのカメラで撮影し、SNSに投稿した。もう外泊許可もとっていることだし、輝美さんに見られても大丈夫だろう。

「行ってみる?」

 ハンバーガーを口いっぱいにほおばりながら理名さんが言った。

「もう遅いし、明日になるけど」

 私は

「うん」

 と答えて、ハンバーガーにかじりついた。

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