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喫茶店の上のレフュジーズ  作者: 木須柄はきわ
二章 一ノ瀬一孝
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一ノ瀬一孝⑦完

 俺は夏期講習を昼に戻して、ダイニングでの勉強を再開し、本当に集中したいときだけ部屋にこもった。

 いぶきは俺が以前のようにテーブルにいることについて、コーヒーを持って急な階段を登らなくていいと喜んでいた。

 ボランティアは園長先生の正式な命が下り、塾が休みの日にだけ行くことになった。そのかわり、行く日は朝から晩まで、しっかり働いた。

 塾が終わるとみどりの夕食が楽しみだった。毎月予定表で出るものが決まっていた施設と違い、我が家のシェフの気まぐれで決まるメニューは、まるで宝箱を開けるようでわくわくする。

 日課になっていた洗い物はいぶきに奪われてしまい、夏のあいだ中、俺はキッチンに立たせてもらえなかった。

 俺が夜間講習を受けていたあいだも、レトロゲームブームは去っていなかったようで、ダイニングで勉強していると、テレビの前から騒ぎ声が聞こえた。

 いつのまにか、そこにはみどりやいぶきも参加するようになっており、二人のへたくそなプレイを眺めていると、輝美さんもビールが進むようだった。

「一孝」

 みのりが俺を呼ぶ。

 俺は冷蔵庫に張り付けてあるタイマーを設定して(みどりが若干嫌がるが)そのあいだだけみのりに付き合う。

 そうして、タイマーが鳴るとまた、ダイニングに戻った。

 そのタイミングでいぶきがコーヒーを淹れ始める。苦いコーヒーの香りは、俺を誘惑から引きはがしてくれる。

「いぶきは将来喫茶店やるの?」

 俺はいぶきにたずねた。

「うん」といぶき。「ここをもらうの」

「あげんぞ」とリビングから輝美さんの声がした。

「通うよ」

 俺は笑った。

「一孝はなんになるの?」

 いぶきは言った。

「俺は公務員になるよ。具体的にはまだ迷っているけど孤児を支援できるような場所がいい」

「立派だ」

 といぶきが言い

「しんどいぞ」

 とリビングから、輝美さんがこちらを見ずに言った。

 施設を出た日のように、いづれここを出る日が来る。

 俺はコーヒーを飲むたび、ここでの日々を思い出すだろう。参考書の山々に、ひょうたんの様なガラス器具、みどりの大きな中華鍋、毎日のように洗った皿の数々。そこには輝美さんの持ち込んだ、あのレトロゲーム機もあるだろう。


 ところで俺はいま危機的状況にいる。

 俺は住人たち全員が洗濯を終えたであろう夜更けを見計らって、自分の洗濯をする。

女所帯のつらい所だ。だが参考書や英単語帳を片手に、ひとり脱衣所で洗濯物が洗い終わるのを待つのは、特別な時間に思えて好きだ。皿洗いをする感覚と似ているかもしれない。

 さて、その神聖な時間はいともたやすくぶち壊された。

 そのブラジャーは誰のものかは不明だが、ドラム式洗濯乾燥機の中で、またしても静かに鎮座している。

 どうしたものか、神も悪魔もこの世にはいない。前回は運よく難を逃れたが、結局のところ、冴えた回答というやつは見つかってない。

 誤解を生むかもしれないが、俺は女性の下着に触れることには慣れている。施設で散々洗濯をしたからだ。だから俺は顔色一つ変えずに、このブラジャーを脱衣かごに投げ入れることができる……と考えていた。

 だが、施設と違いここに居る女子たちは、みな年が近い。子どものそれとは違う、女性の、異性の下着だ。きっかけは春美の下着姿を見たことだ。それまで施設の延長という具合で感覚を麻痺させて彼女たちに接してきたが、それもそろそろ限界のようだ。

 ひとつ学びがあるとすれば、これが春美の下着ではないとわかることくらいだろう。彼女のものならサイズがもっと大きいはずだ。本当にどうでもいいことだ。

 などと出口のない迷路に迷い込んでると、またしても誰かが階段を降りる音が聞こえた。

 俺は心境の変化からか、以前よりも後ろめたく、まずいと感じた。しかし同時に、前回と同様に助かる可能性を見出した。

 同じことだ、足音の彼女に下着をどけてもらえばいい。前回はみどりだったが、実にクールに業務を遂行してくれた。

 問題は、足音の主が彼女が下着の持ち主だった場合だ。

 確率は五分の一。

 俺はロシアンルーレットを突き付けられた心境で、足音の君の来訪を待った。

 春美。やはり春美がいい。おそらくだがこの下着の持ち主でない可能性が高いし、最悪の事態でも笑って許してくれるだろう。……毎度のことながら俺はなにを許されなければならないんだろう。

 降りてきたのはまたしてもみどりだった。冷蔵庫のチェックだろうか。

「なあ、みどり」

 前回の成功例もあり、俺は安堵して彼女を呼び止めた。

「なに?」

 と彼女は足を止めた。

「実はこれを取ってほしくて」

 俺は洗濯乾燥機の中のにっくきブラジャーを指さした。

「んー」

 彼女はドラム式洗濯乾燥機の中を覗き込むと、突如として素早くブラジャーを刈り取った。

 そして、ありがとう、と言いかけた俺の頬を思い切り叩き、走り去った。

 俺はひりひりと痛む頬を撫でながら、思春期の女子は漫画のように平手打ちをするものなのだなと学んだ。

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