一ノ瀬一孝⑤
みのりが、俺たちの育った施設で、ボランティアをしていると知ったのは、それから間もない閉塾日のことだった。
午後、俺は休みの日くらい遊んでやるかと、みのりを探していた。
どこにも見当たらないので、店に顔を出し輝美さんに聞くと、彼女はあっさりと話した。
聞けば、夏休みに入ってからほぼ毎日、みのりは施設へ行っているらしい。
俺が夏期講習を受けている時間だ。
夕方、素知らぬ顔で帰ってきたみのりを、俺はリビングで問い詰めた。
「なんで俺に黙ってそんなことしているんだ」
「そんなことってなに?」
みのりは返す刀に、ぞっとするほど冷たい口調で言った。彼女の本当に怒っているときの言い方だ。
「どうして言わないとだめなの?」
「俺とお前が育った施設の話だろ」
こんなに熱くなるのはいつぶりだろう。言いながらそんなことを考えた。俺は自分でも制御できないくらい頭にきていた。
「聞けば、俺もやるって言い出すからか?」
「そうだよ。勉強、するんでしょ?」
こともなげにみのりは言った。
「夏期講習のお金、前借りしてるんでしょ?」
「じゃあなんでゲームに誘ったりするんだ。俺は俺に勉強してほしいのか、してほしくないのかどっちなんだよ」
「バカじゃないの?」とみのり。
「バカだから勉強してるんだろ」
「バカじゃないよ。あんな環境で進学校受かって、テストも学年三位だって自慢してたじゃない」
「いまそんな話はしてない」
「じゃあなんの話をしてるの?」
「お前が黙って施設に行ってる話だろ」
視界の隅ではみどりの料理が着々と品数を増やしていた。いぶきがそれを、こちらを気にした様子で運んでいた。
「バカは私のほうだよ。勉強だってできない」
「だったら遊んでいてくれよ。お前が好きなことしてくれないと、俺だけ一人で勉強なんかできない」
「私は好きでやってるよ。なのにやめろっていうの?」
「そうは言ってない」
「はい一旦そこまで」
輝美さんが手を叩いて俺たちの間に割り込んだ。
「とりあえず飯。言い足りないことあったら、そのあともう一回言い合いな。このままやってても堂々巡りになるよ」
その一声で、俺たちは喧嘩をやめて、無言で夕食を食べた。
みのりと声を荒げて喧嘩をするのなんて、小さいころ以来だった。
小さな諍いは大きくなってからもあったが、周りの子供たちが泣くので、俺たちはいつも囁くように喧嘩していた。
俺はその夜も部屋でヘッドフォンを付けて勉強したが、みのりのセリフがいちいちよみがえってきて、手につかなかった。
「くそっ」
俺はヘッドフォンを投げ捨て、畳に大の字になった。
それから、また、しばらくして、ヘッドフォンを付けて勉強をはじめた。
みのりが部屋を訪ねてくるかもと思ったが、その夜、彼女が現れることはなかった。
身銭を切って受けている夏期講習のさなかも、俺は俺たちの育った児童養護施設のことを考えていた。
夏の施設の壮絶さは、身をもって知っている。
学校が長期休暇に入る代わりに、施設に子供たちがあふれかえる。
大人たちが「もうすぐ夏休みよ」「げぇ」と愚痴を言うのを聞くのも、一度や二度じゃなかった。
子どもたちの数だけ、膨大な時間がある。
俺が在園中も、長期休暇には、よくボランティアのお兄さんやお姉さんが来てくれていた。彼らが遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりするのを、俺は楽しみにしていた。
今になって、冷えた頭で考えれば、みのりがボランティアを買って出るは、ごく自然なことだと思える。口では清々したと言いながら、彼女は施設を深く愛していた。
もしかしたら、施設を出るときにはもう、決めていたことなのかもしれない。
思い返せばゴールデンウィークも、みのりはいつも家にいなかった。
「何かお手伝いが必要な時はいつでも呼びつけてください」
施設を出ると決めたとき、俺は園長先生に言った。
それを口だけだったと、卑下するつもりはない。
同時に俺は、施設を出るとき、たくさん勉強すると誓った。立派な大人になって孤児たちを支援する。長期的に見て、それが施設や孤児たちのためになると信じている。
やり方は違うが、俺とみのりは同じ方向を見ている。
だからこそ、みのりの『ぬけがけ』がショックだった。
俺はいつも彼女の手の平の上、あるいは腕の中だ。
俺はただ、みのりに腹を立てている自分自身が、まぬけで、腹が立って、仕方がなかった。
施設の大人たちと同じ、大人のエプロンを付けたみのりは、同じエプロンをした俺の姿を見つけると
「なにしにきたのー?」
と子ども達が怖がらないよう、満面の笑みで言った。
俺は言った。
「授業を夜間に移してもらった」
「じゃあ、昼に邪魔されず勉強できるねー」
「いじわる言うなよ」
そう言うと俺は、子どもたちが感づく前に会話を切り上げ、彼らの輪の中に入っていった。




