一ノ瀬一孝②
輝美さんの家への入居の話が来たのは、受験モード真っただ中の2月のはじめだった。
当時の施設は、未就学児から小学生を中心にあふれかえっており、高校生はおろか最年長の中学三年生も、俺とみのりの二人だけだった。
俺たちは最年長者として日々、子供たちの世話で忙殺されていた。学校にいるときだけが、唯一、心休まる時間だった。
特にみのりは子供たちのリーダーだった。大人たちの言うことを聞かない子を、時にやさしく、時に厳しく、見事にコントロールした。
親のない子供たちは、みのりを母親のように慕った。ある意味では、俺もその寵愛を受けた一人なのかもしれない。
彼女は子供たちの世話を引き受けるだけ引き受け、進学校への進学を希望していた俺に、勉強の時間を作った。
しかし、どれだけ大人たちやみのりが手を焼こうとも、面倒ごとはいつも湯水のように湧いてきて、俺も勉強ばかりしていられなかった。
施設の応接間で、俺たちははじめて、輝美さんと対面した。
「現在うちには中学一年生と、高校三年生の里子がいます。どちらも女の子です。高校生のほうはもうじき里子の枠組みから外れますが、志望している専門学校を卒業するまで、下宿という形で面倒を見るつもりです。中学生の子も、手のかかる子ではありませんし、充実した高校生活が送れる環境かと」
彼女の語る生活環境は、喉から手が出るほど恵まれていた。
「ハーレムじゃん」
みのりが、俺の脇を小突いて言った。
そんな下心はなかった。ただじっくり勉強できる環境だと思っただけだった。
だが同時に、施設のチビたちのことも、気にかかっていた。俺はともかく、みのりを失えば、大人たちの負担は増えるだろう。
望んでここに居る子供など一人もいない。自分たちだけ抜け出してしまっていいのだろうか。ふつふつとこみ上げる罪悪感から、俺はあまり輝美さんの顔を見ることができなかった。
「受験で忙しいとは思いますが、いつでも見学に来てください」
最後にそう言い残して、その女性は、施設を後にした。
彼女の持ってきた、小分けされたいっぱいのお菓子を、子供たちはとても喜んだ。
その日の夕方、みのりにちょいちょいと連れ出された。
俺たちは示し合わせたわけでもなく、園内の通称『内緒話のブランコ』に並んで座った。
肌寒い風の吹く日で、木々のざわめきが、秘密の相談にはぴったりだった。
「私は行くよ」
前置きもなく、彼女ははっきりと言った。
意外だった。
てっきり俺に行かせて、自分は残ると言い出すものかと思っていた。
言いたいことはいっぱいあった。でも、そのどれもが陳腐に思えて、俺は口が開けなかった。
「そんだけ。じゃあね」
そう言って彼女はブランコから立ち上がり、一人で建物の中に戻っていった。
あんたも来なよ。その一言があればどれだけ楽か。だが彼女はそう言わなかった。暗にそう言いながら、最後の最後は俺自身に委ねた。
次の日、俺は一人で園長室に行き、入居について前向きに考えたいと伝えた。
物心つく前から施設を離れることには、恐怖に近い不安はあったが、どうせ三年後には出る予定だったのが早まっただけだと割り切ることにした。
こんなことを言うと信じてもらえないかもしれないが、ここで中途半端に勉強するより、ちゃんとした環境で勉学にいそしみ、立派な大人になって、ここや、俺たちのような孤児たちを、支援できる大人になりたい。神に誓って、そう思っていた。
俺の独白に、園長先生はなぜか、ほっとした顔をした。
「あなたが行かないなら自分もいかないと、葉月さんからそう言われていたの。でも決心してくれて良かったわ」
俺は言った。
「なにかお手伝いが必要なときはいつでも読んでください。ここは俺の家です」
彼女は微笑み
「しっかり勉強なさってください」
と言った。




