第3章 香妃の誓い
―香草の風は、時を越えて―
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Ⅰ.王宮の朝
白い霧が、王宮の塔を包んでいた。
リネアは静かに階段を上る。
手には、銀糸で刺繍された礼服。
今日、この国の“香り”を背負う日だった。
広間の扉を開くと、王と王妃、そして大臣たちが並んでいた。
侍従が一歩進み出て、声を張る。
「王国調香師リネア・アルシェ、入場!」
足元の赤絨毯が、やけに長く感じた。
祭壇の上には、古代の香炉。
その中には、ミナ王妃の時代から伝わる“風の香草”が焚かれている。
ほのかに甘い、どこか懐かしい香り――。
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Ⅱ.王の言葉
若き王は、柔らかな声で語りかけた。
「リネア・アルシェ。
貴女は香りによって、人々の心を繋ぎ、
この国に再び“風”をもたらした。
王家として、その功を称え、
貴女に“香妃”の称号を授ける」
ざわめきが広がる。
“妃”という名が授けられるのは、
血縁を超えて王に仕える者への最大の栄誉だった。
リネアはそっと頭を下げ、
小さな声で囁く。
「……畏れ多く存じます。
けれど、私はただ――香りに導かれただけです」
王は微笑む。
「導きもまた、天の意志だ」
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Ⅲ.香妃の儀式
侍女が白い花弁を撒く中、
リネアは祭壇の前に跪いた。
香炉から上がる煙が、ゆるやかに形を変えていく。
まるで、ひとりの女性の姿のように。
その幻の中で、
リネアは確かに“彼女”を見た。
――ミナ王妃。
柔らかく微笑み、
風に溶けるように声を発する。
「ありがとう。
あなたが継いでくれたから、
この国は、もう大丈夫」
涙が一筋、頬を伝った。
王がそっと近づき、
リネアの首に銀の香袋をかける。
「香妃リネア・アルシェ――
その香りとともに、この国を見守れ」
瞬間、風が吹いた。
白い煙が光を帯び、王宮の天井を駆け抜ける。
人々が息を呑む中、
リネアはただ、祈るように目を閉じた。
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Ⅳ.風の祝福
儀式が終わったあと、
王宮の庭に出ると、穏やかな風が吹いていた。
香草の花が一斉に揺れ、白い花びらが空に舞う。
リネアはそっと微笑む。
「ねえ、ミナ様。
貴女の香り、確かにここに残っていますよ」
風が優しく頬を撫でた。
まるで返事をするように、柔らかく。
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Ⅴ.時を越える香り
それから数年――。
リネアの調香は王都だけでなく、
隣国にも広まり、国と国を繋ぐ“風の架け橋”となった。
けれど、彼女は決して驕らず、
ただ静かに、王宮の一室で香を調え続けた。
「香りは、心。
心は、時を越える」
その言葉を胸に。
そして今日もまた、
白い風が城下町を包み込む。
リリィ堂の前で、花を摘む少女の髪を揺らしながら。




