第2章 香妃の血脈
―リュシオン王国・現代調香師リネアの真実―
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Ⅰ.香りの中の“名前”
夜。
研究院の書庫には、静かな紙の音だけが響いていた。
リネアは埃を払いながら、古い記録をめくっていく。
――《王妃ミナ・リュシオン》
――《香草の法典 第十二章》
どれも何百年も前の文献。
だが、一冊だけ妙に新しい羊皮紙が紛れていた。
触れると、かすかに香草の匂いがした。
「王妃の血は、香りとともに受け継がれる。
その者、香を編みし時、光の風が起こる」
その文を読んだ瞬間――
リネアの胸の奥が、なぜかざわめいた。
「……光の風?」
先日の実験。
あの時、瓶の中に確かに“光”が生まれた。
偶然ではない。
なにかが、繋がっている。
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Ⅱ.王宮への招待
翌週。
王宮から正式な召喚状が届いた。
王家の紋章入り――“至急面会願う”とある。
「……王家が、私を?」
胸の鼓動が早まる。
香りの研究は、ここ数十年王宮の監修下にある。
けれど、研究員が直々に呼ばれることは滅多にない。
案内されたのは、王宮の奥、
“香妃の間”と呼ばれる古い礼拝堂。
石造りの壁に、
ミナ王妃とエリアス王の肖像が静かに並んでいる。
「ようこそ、リネア・アルシェ殿」
玉座の前で、年配の侍従長が口を開いた。
「貴女の作った香り――“想いの風”を拝見した。
それは、我が国が失った“王妃の香り”に酷似している」
リネアは息を呑む。
「私の……?」
「確認したい。――貴女の家系を、調べさせていただけるか」
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Ⅲ.血に眠る記憶
数日後。
王立記録局にて、家系調査の結果が届いた。
リネアは封を切る手が震えていた。
文書には、こう記されていた。
《アルシェ家は、かつて王妃ミナの妹の末裔とされる。
“香草の血”は、母系に薄く続いていた可能性が高い》
紙を見つめるうち、
頭の奥で“風の音”がした。
――さわ、さわ……。
幼い頃、祖母が夜な夜な語ってくれた言葉がよみがえる。
「リネア、風の匂いを感じるかい?
それは、昔この国を救った“香りの人”の声なんだよ」
その声が、今、はっきりと胸に響いた。
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Ⅳ.香妃の夢
その夜、リネアは夢を見た。
満月の下、古井戸のそばに立つ女性。
白い服、柔らかな微笑み。
彼女はリネアを見つめ、
静かに言った。
「あなたが“次の風”なのね」
「あなたは……ミナ王妃様?」
問いかけた瞬間、風が吹いた。
白い花びらが舞い、香りが全身を包み込む。
ミナは微笑んだ。
「香りは、心。
心は、時を越えるの。
だから――迷わないで」
その声が消えると同時に、
リネアは目を覚ました。
頬に一枚、白い花びらが落ちていた。
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Ⅴ.継承
春の終わり、王都の広場。
香草祭の開幕を告げる鐘が鳴る。
リネアは中央の祭壇に立ち、
小瓶をそっと開けた。
風が吹く。
香りが舞う。
光の粒が空に昇り、
城壁の上空を白い光が包み込んだ。
人々が息を呑む中、リネアは目を閉じる。
胸の奥に、確かに誰かの声があった。
「ありがとう。これで、もう大丈夫」
涙が頬を伝う。
それは悲しみではなく、確かな誇りの涙だった。
――香妃の血脈は、今も生きている。
香草の風とともに、この国を包みながら。




