才能ゼロと追放されたけど、古代魔法で世界を救ったら土下座されました
「ユリウス・グレイ。魔力量、測定不能。——よって、退学処分とする」
その一言で、全てが終わった。
魔法学院の中央広場に集まる学生たちの間に、ざわめきが走った。
「測定不能」などという言葉は、魔力量ゼロの婉曲表現に過ぎない。事実上の「無能」宣告だった。
「ふん、やっぱりね。あんな地味な男、最初からおかしいと思ってたのよ」
笑ったのは、元婚約者のミレーユ・アーデルハイト。侯爵家の令嬢で、学院内でも派手な美貌と権勢で知られている。
「婚約破棄して正解だったわ。こんな無能と結婚なんて、人生の汚点だったもの」
「ははっ、測定不能だってさ。伝説だよな」
隣で薄ら笑いを浮かべたのは、ユリウスの元級友、ガレス。
「お前さ、いつも黙って本ばっか読んでてさ、何様のつもりだったんだよ?」
ユリウスは黙って立っていた。何か言い返したかった。けれど、喉がひどく乾いて、言葉が出てこなかった。
彼は知っている。確かに、自分には一般的な魔力の感覚がなかった。
訓練でも劣等生扱いだったし、呪文もまともに発動できなかった。
だが……自分の中に、何かがあることもまた、確信していた。
目に見えず、測定できない。
けれど、ある“気配”を感じることがあった。誰にも理解されない、微細で古びた揺らぎのようなもの。
誰もそれを魔法とは呼ばない。けれど、それは確かに——力だった。
「……はい。わかりました」
それだけを告げて、ユリウスはゆっくりと一礼した。
「お、おい。何だよ、その態度……もっと取り乱せよ!」
「無能のくせに、カッコつけんなよ!」
声が飛んだが、彼は一度も振り返らなかった。
怒りも、悔しさも、不思議と湧いてこなかった。
ただひとつ——静かに、遠くへ行こうと決めた。
この世界のどこかに、自分の力を必要とする場所があると信じて。
ーーーーーーーーー
魔法学院を追放されたユリウスが向かったのは、辺境中の辺境、フォルデンの森だった。
王都から数週間。道は険しく、誰も彼を止めはしなかった。
かつての級友も、教師も、家族でさえも、ユリウスのことを“過去の失敗作”として記憶から削除していた。
だが、彼の中には確かな執念があった。
(あれは、確かに……力だった)
学院では誰も理解してくれなかった、あの違和感のようなもの。空気の揺れ、魔法とは異なる感触。
それを探しに、彼は一人、森へ入った。
*
祠の中で見つけた古文書。
そこに記されていたのは、呪文も印も使わない、“意志と自然の共鳴”による魔法——かつて存在した古代術式だった。
「もしこれが、本当に魔法なら……ぼくにも、できるかもしれない」
そう思ったユリウスは、さっそく試した。
——しかし。
何も起こらなかった。
風は吹かず、火は灯らず。木々は沈黙したまま。
次の日も、またその次の日も、彼の“願い”は自然に届かなかった。
(やっぱり……ぼくには、無理なのか)
何度も膝をついた。
指先は擦りむけ、声が枯れ、眠る場所も食料もまともではなかった。
けれど、ユリウスはそれでも諦めなかった。
(もしこれが、本当に“力”なら……誰かに証明してもらう必要はない)
誰かに否定されても、自分だけは、自分の感覚を信じてみよう——それが、学院で失ったものの代わりに彼が得た“軸”だった。
*
十七度目の失敗の夜。
満月の光が祠を照らし、風が静かに吹いた。
ユリウスは、最後の力を振り絞り、そっと手をかざす。
——風よ、来たれ。
何の力も込めず、ただ穏やかに願った。
……その瞬間。
空気が震えた。木々がざわめき、草が揺れ、風が巻き起こる。
埃と落ち葉が舞い、祠の中を一陣の風が駆け抜けた。
「……やっと……」
ユリウスの瞳が、淡く光る。
「やっと、届いた……」
それは、誰にも証明されない、ひとりきりの成功だった。
けれどその手応えは、学院の誰かに褒められるよりも、何倍も確かなものだった。
*
それから数年。
ユリウスは森で隠れるように暮らし、古代魔法を研ぎ澄ませていった。
失敗は数えきれなかったが、そのたびに彼は、自分と自然に向き合った。
やがて、風と話し、雨を導き、火を灯し、獣の傷を癒せるようになった。
魔法というより“調和”に近いその術を、彼はただ黙々と積み重ねた。
そして——世界が揺れた。
空を裂く紫の稲妻。大地を喰う魔物の群れ。
運命の呼び声は、遠く森にまで届いていた。
ーーーーーーーーーー
「このままじゃ、王都が……!」
紫雷が空を裂き、魔物たちが地を這い進む。王都は陥落寸前だった。
人々は逃げ惑い、魔導士たちは防衛線を維持できずに崩れ落ちる。
魔法学院の塔では、あのとき「才能なし」と笑っていた教師たちが、今は震える手で書類を投げ捨て、泣きながら名を呼ぶ。
「ユリウス・グレイ! どこだ……!」
「すまなかった、誤解だったんだ……! 頼む、助けてくれぇ……!」
その声はかつてのあの日とまったく同じだった。ただ、立場が逆転しただけ。
王都近くの森の丘。
風の流れが狂い、空気は重く、木々はうめくように震えていた。
ユリウスは立ち尽くしていた。
(助けるべきなのか? “あの人たち”を……)
当然のように自分を切り捨て、冷笑し、才能がないと追い払った彼らを。
怒りはなかった。けれど、迷いはあった。
(ぼくの魔法は、誰かを守るための力。けれど、その“誰か”に彼らは含まれるのか……?)
——そのとき、記憶の底から、ひとつの光景が浮かび上がった。
*
それは、まだ学院にいたころ。
誰からも相手にされず、練習にもついていけず、ひとり中庭で落ち込んでいたユリウスに声をかけてくれた老人。
腰が曲がった、古びた庭師。名も知らない老人だったが、彼はそっとユリウスに座布団を差し出し、こう言った。
「誰が君をどう言おうと、君は優しい。
優しさは力になるんだよ。時間はかかっても、な。
……だから、誰かを助けるかどうかは、自分で決めなさい。君が、君自身でね」
——あの言葉に、救われた。
たった一人。たった一度。
誰もが見向きもしなかった自分に、敬意と優しさをくれた“力のない”人。
あの言葉がなかったら、自分はとっくに折れていた。
(だったら——)
「今度は、ぼくが誰かを守る番だ」
決意とともに、ユリウスが手を広げると、風がうなり、土が震え、空が光った。
魔法陣ではない。既存の理論で説明できない、“共鳴”の領域。
「ぼくは、誰かの評価で動かない。
でも、“守りたい”と願う心には、ちゃんと応えたいんだ」
——彼の声に応じ、世界が動いた。
紫雷が弾け飛び、魔物の咆哮が空に吸い込まれる。
風が一つに収束し、轟音を立てて王都の空を包み込む。
光柱が立ち上がり、結界が新たに築かれた。
そして、すべての魔物は、ユリウスの力によって、一体残らず消滅した。
*
王都の中央広場。
残骸と瓦礫の中、教師たち、貴族たちが呆然と立ち尽くしていた。
誰もが口を開け、そしてつぶやいた。
「彼が……世界を……」
その瞬間、ユリウスが姿を現す。
誰もが頭を下げた。誰もが震えていた。
だが、ユリウスの目に宿るのは怒りではなかった。
ただ、静かで、凪のような眼差し。
彼は言った。
「謝罪や弁解は、もう要りません。
ぼくは、ぼくのために、やるべきことをやっただけです」
——静かなる勝利の言葉だった。
ーーーーーーーーーーー
王宮の大広間。
ユリウス・グレイは、王国を救った功績により、国王から「伯爵位」を授けられた。
──その瞬間、全王国が沸いた。
貴族も平民も、彼の名を称えた。
だが、その栄光のなかで――
「……グレイ伯爵様」
元婚約者ミレーユ・アーデルハイトが、場違いなまでに震えながら彼のもとへ近づく。
「わたくし、あの頃のこと……深く後悔しておりますの。
どうか、やり直す機会を……」
ドレスの裾を握りしめ、懇願するように土下座した。
周囲は静まり返る。
ユリウスは一瞬黙り、やがて静かに微笑んだ。
「もう、僕たちは違う世界にいる。
あの頃の僕じゃないし、あなたも――選び直すことはできない」
「でも、わたくしは侯爵家の……っ!」
「地位や家柄で人を測るのは、もうやめました」
ミレーユの表情が凍りつく。
その様子に、周囲の令嬢たちが一斉に距離を詰める。
「ユリウス様、式のあと、ご一緒にお茶でも」
「いえいえ、私が先にお声がけを――!」
「も、もしよければ……魔法研究の件、ご相談したくて……」
女騎士、文官、公爵令嬢……次々と美しい令嬢たちが、彼の隣に現れる。
もはや、ミレーユが入り込める隙はなかった。
──そして、ユリウスは言った。
「僕はまだ、一人で歩きたい。
でも――誰かと肩を並べて歩く未来も、悪くないかもしれないですね」
そう微笑む彼の背中は、静かで、誇り高く、誰よりも美しかった。