ケジメ《ヴィンセント side》
「私はまだやりたいこと、たくさんあるのに……こんなのあんまりだわ」
悔しそうに眉を顰め、シエラ様はシーツを強く握り締める。
真っ青な瞳に悲嘆を滲ませる彼女の前で、僕は『結局、本題は何なのか』と首を傾げた。
というのも、今日はあちらから個別で会いたいと言われて来たため。
シエラ様直々に招待されるのもセシリア抜きで交流するのも初めてだから、ちょっと身構えていたけど……もしかして、愚痴を言う相手として呼ばれただけ?
いや、それはそれで全然構わないんだけど、なんだか拍子抜けかな。
てっきりエーデル公爵の暗殺でも頼まれるのかと思っていたため、僕は内心肩を竦める。
────と、ここでシエラ様が天井へ向かって手を伸ばした。
「せめて、セシリアの成長をこの目で見届けたかった────なんて、弱音を吐いていてもしょうがないわよね」
不意に明るい声を出して、シエラ様は自身の胸元に手を添える。
まるで、自分の中にある願いを……想いを封じ込めるみたいに。
「どう足掻いても、『もうすぐ死ぬ』という運命からは逃れられないんだから。嘆くよりも先に、娘の未来を保証しないと」
半ば自分に言い聞かせるように呟き、シエラ様はこちらを見た。
真っ青な瞳に、強い意志と覚悟を宿して。
「ねぇ、クライン令息……いえ、もう小公爵だったかしら?」
「呼び方は何でも構いませんよ」
特にこだわりはないためそう答えると、シエラ様は小さく相槌を打つ。
「そう。じゃあ、クライン令息────私と取り引きをしてちょうだい」
取り引き……?一体、何故そんなことを……。
あまりにも唐突すぎる申し出に驚き、僕は頭を捻った。
すると、シエラ様は少しばかり表情を引き締めてこう言う。
「さんざん貴方を邪険にしてきた私が、こんなの……虫のいい話でしょうけど、どうかお願い」
おもむろに身を起こし、シエラ様はこちらへ向き直った。
かと思えば、
「────セシリアを守って」
深々と頭を下げる。
取り引きの筈なのに懇願するような素振りを見せるのは、きっと僕以外に頼める人が居ないからだろう。
「クライン令息ならもう把握しているかもしれないけど、ローガンは私やセシリアのことを嫌っているの。だから、今後どのような対応に出るか分からない。ただこちらに無関心なだけならまだいいけど、もしセシリアに危害を加えるようなことになったら……」
最悪の事態を想像しているのか、シエラ様は表情を曇らせた。
と同時に、こちらを真っ直ぐ見つめる。
「ローガンの暴走を止められるのは、同じ公爵家の人間か皇族だけ……でも、セシリアのためにわざわざ火中に飛び込むような者は居ないでしょう────貴方を除いて」
確信の籠った声色でそう断言し、シエラ様はそっと目を伏せる。
『はぁ……』と深い溜め息を零しながら。
「正直、危険なことも平気で行えるような人間にセシリアの命運を託したくないけど……でも、背に腹は代えられないわ。それに貴方なら、セシリアを裏切るような真似はしないでしょうし」
『ある意味、信用出来る』と主張し、シエラ様はスッと表情を引き締めた。
自分の中にある迷いを捨て去るように。
「もちろん、『タダで』とは言わないわ。きちんと対価は支払う。けれど、物に残るような形ではローガンに見つかりそうだから────情報提供なんて、どうかしら?」
『これなら、バレる心配はない』と語り、シエラ様はゆるりと口角を上げる。
真っ青な瞳に、自信を滲ませて。
「私の情報は結構役立つと思うわよ。皇室のことも色々把握しているから」
「皇室のことも、ですか?」
反射的にそう聞き返す私に、シエラ様は小さく頷く。
「ええ、ロジャー皇帝陛下やイライザ皇后陛下とは旧知の仲だから……まあ、本当は友人を売るような真似したくないのだけどね。でも、貴方だけにリスクを負わせるのは違うでしょう?それに私の覚悟を貴方に知ってもらいたくて」
『これだけ、真剣かつ切実にセシリアの幸せを願っているんだ』と訴え、シエラ様は居住まいを正した。
「それで、どうかしら?取り引きに応じてくれる?」
緊張した面持ちでこちらを見つめ、シエラ様は唇を引き結ぶ。
不安と期待が入り交じる彼女の視線を前に、僕はスッと目を細めた。
僕とセシリアの将来を不本意ながらも認めてくれたことが、嬉しくて。
『まあ、最後の抵抗か結婚を許可するとは明言してくれなかったけど』と思いつつ、僕は顔を上げた。
「もちろん、応じます。もっとも……取り引きなど持ち掛けられなくても、僕はセシリアを守るつもりでしたが」
────と言い放った瞬間、僕は現実へ意識が戻る。
『シエラ・ソフィ・エーデル』と掘られた墓石を見つめ、少しばかり肩を落とした。
「正直、あのときの取り引きを完璧に履行出来たとは思っていません。セシリアは体こそ無事ですが、心の方は……少なからず、傷を負っているので」
入れ替わり事件から始まり……何かと騒がしかったここ最近の出来事を振り返って、僕は嘆息する。
「貴方にいただいた貴重な情報まで使って、この体たらく……申し開きのしようも、ございません」
『情けない』と己を恥じて、僕は小さく頭を振った。
守ることの大変さと、自分の力不足を痛感しながら。
「心より、謝罪申し上げます」
『申し訳ありませんでした』と頭を下げ、僕はしっかりとケジメをつける。
セシリアを産み育て愛してくれたこの人には、筋を通したかったから。
「今後はセシリアの心も含めて、きちんとお守りします。なので、どうかもう一度だけチャンスをください」
『もう二度と失敗はしない』と告げると、僕は真っ直ぐ前を見据えた。
その刹那、どこからともなく強い風が吹き、髪や服を乱す。
でも、お墓へ添えた花は散ることもなく、綺麗なままだった。
「……シエラ様の仕業かな?」
有り得ないと思いつつも、何となく……何となくそんな気がして、僕はフッと笑みを漏らす。
『仕方ないわね、もう一度だけよ』と肩を竦めるシエラ様の姿が、目に浮かんで。
「では、今日のところはそろそろ失礼します」
僕は胸元に手を添えて一礼し、『次はセシリアも連れてきますね』と述べる。
と同時に、踵を返した。
どこまでも続く青空を眺めながら。




