皇位継承権争いの結末
「詳しいことはルパート殿下から、どうぞ」
『僕から話せるのは、ここまでです』と告げ、ヴィンセントは紫髪の美丈夫を見据えた。
その途端、ルパート殿下が席を立つ。
「回りくどい言い方は苦手なので、結論から申し上げます」
そう前置きしてから、ルパート殿下は硬い声色で言葉を紡ぐ。
「私は────エレン兄上と平和協定を結べるのであれば、皇位継承権を放棄しようと考えています」
「「はっ……?」」
ロジャー皇帝陛下とエレン殿下は困惑のあまり、目が点なった。
驚きすぎて声も出ない様子の彼らを前に、ルパート殿下はこちらへやってくる。
そして、アイリスの近くに立つと、おもむろに肩を抱き寄せた。
「実は先日、こちらのアイリス・レーナ・エーデル公爵令嬢と恋仲になりまして。いずれは結婚を考えているのですが、今の立場では……次期皇帝を志したままでは、難しく」
青い瞳に僅かな葛藤と苦悩を滲ませ、ルパート殿下は自身の手のひらを見つめる。
「正直、皇帝という地位そのものに自分はあまり執着がないんです。ただ、生き残るためにその道を選択しただけで。ですから、身の安全さえ保証していただければ、皇位継承権争いから手を引きます。というか、引かせてください」
『お願いします』と言って、ルパート殿下は頭を下げた。
“好きな人と結ばれたい”という純粋な想いを前面に出す彼の前で、ロジャー皇帝陛下とエレン殿下は顔を見合わせる。
『どうする?』と問い掛け合うように。
「私としては、当事者同士がそれでいいなら全然構わない」
「えっと……私も異論はないよ。むしろ、凄く有り難い話だね。平和協定を結ぶだけで、君達と争うことなく次期皇帝の地位を獲得出来るんだから」
『苦戦を覚悟していたので、助かった』と安堵し、エレン殿下は肩の力を抜いた。
すると、ヴィンセントがパンッと手を叩く。
「では、決まりですね」
ニッコリ笑って場を取り仕切り、ヴィンセントは立ち上がった。
かと思えば、自身の胸元に手を添えてお辞儀する。
「ロジャー皇帝陛下、こういう話は早い方が良いかと思われます。今すぐ、会場に行って次期皇帝の選出を発表されるのはいかがでしょう?」
『そうすれば、貴族達の不安や不満も収まる筈ですよ』と語り、ヴィンセントはスッと目を細めた。
何かの話を広めるにあたり、建国記念パーティー以上にいい舞台はない。
『ヴィンセントはそれも考えた上で……?』と驚く中、ロジャー皇帝陛下は重い腰を上げた。
「そうだな。皆にも、この良き報せを早く伝えるとしよう」
────という言葉を合図に、私達はさっさと控え室を出て会場へ戻った。
そこでルパート殿下の皇位継承権放棄およびアイリスとの婚約、エレン殿下の立太子を発表。
当然、貴族達は呆気に取られた。
「えっ?つまり、第三皇子派は皇位継承権争いに敗れたってこと?」
「いや、それならわざわざ皇位継承権を放棄したなんて言わないだろう」
「それに両者の様子を見る限り、仲は良好みたいだし……」
「どちらかと言うと、円満解決したような雰囲気よね」
貴族達は困惑を示しながらも、正確にこちらの状況を読み取る。
おかげで、細かく説明したりアピールしたりする手間を省けた。
「正式な発表はまた後日行うが、全員納得した上で出した結論だ。各自、胸に留めておいてほしい」
玉座に座った状態で会場を見下ろし、ロジャー皇帝陛下は話を切り上げる。
と同時に、オーケストラへ向かって合図を送った。
その途端、最初のワルツが流れる。
「セシリア、僕と一曲踊ってくれる?」
そう言って、こちらに手を差し伸べるのは言うまでもなくヴィンセントだった。
黄金の瞳をうんと細めてこちらの返事を待つ彼に、私は少しばかり眉尻を下げる。
「気持ちは嬉しいのだけど、アイリスが……」
まだ社交界に慣れていない妹を一人にするのは気が引けて、ダンスの申し出をやんわり断ろうとした。
すると────先程までロジャー皇帝陛下の傍に居たルパート殿下が、手袋を嵌めながら現れる。
そして、アイリスの前で足を止めると、跪いて手を差し伸べた。
「アイリス・レーナ・エーデル公爵令嬢、私と一曲踊ってほしい」
私の嘆きを聞いたからか、それとも元々誘う予定だったのか、ルパート殿下はダンスを申し込む。
じっとアメジストの瞳を見つめる彼の前で、アイリスはスッと目を細めた。
「はい、喜んで」
『一曲と言わず、何曲でも』と言い、アイリスはルパート殿下の手を取る。
どことなく柔らかい笑みを浮かべる彼女を前に、ルパート殿下は立ち上がった。
「では、また後で」
私達にそう声を掛けると、ルパート殿下はアイリスを伴ってこの場から離れる。
すぐ人混みに紛れて見えたくなった二人を前に、私はヴィンセントへ視線を移した。
「えっと……先程のお誘いはまだ有効かしら?」
アイリスを一人にする不安がなくなったため、私は『まだ間に合うなら、申し出を受けたい』と考える。
さすがに虫が良すぎるかと悩む私を前に、ヴィンセントは小さく笑った。
「もちろん、有効だよ」
迷わずそう答えるヴィンセントに、私はホッと胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、先程のお誘い謹んでお受けするわ」
ヴィンセントの手を優しく握り、私はダンスの申し出を受け入れた。
アメジストの瞳に歓喜を滲ませる私の前で、彼はゆっくりと立ち上がる。
「ありがとう。久々にセシリアを独り占め出来て、嬉しいよ」
『最近、二人の時間なんて取れなかったから』と語りつつ、ヴィンセントは会場の中央付近へ足を運んだ。
と同時に、ステップを踏み出す。
とても、軽やかな足取りで。
「ふふっ……ダンスなんてもう何百回とこなしているのに、セシリアが相手だとまるで子供のようにはしゃいでしまうな」
『楽しくて、しょうがない』といった表情を浮かべ、ヴィンセントはターンした。
それに合わせて、私も手足を動かす。
「それは私も同じよ、ヴィンセント。ダンスに限らずだけど、貴方と一緒なら何でも幸せに感じるの」
嘘偽りのない本音を明かすと、ヴィンセントは目を剥き────花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「セシリアは本当に僕のことを喜ばせるのが、上手いね。そんなことを言われたら、今すぐ我が家に連れて帰りたくなるよ」
『離れたくない』という気持ちを前面に出し、ヴィンセントは思い切り私の腰を抱き寄せる。
おかげで、お互いの吐息を確認出来る距離にまで近づいた。
「ゔぃ、ヴィンセント……?」
『ここの振り付け、こんな感じだったっけ?』と困惑しながら、私は身を固くする。
ふわりと香るヴィンセントの匂いも、じんわりと伝わってくるヴィンセントの温もりも……なんだか、全部気恥ずかしくて。
『ヴィンセントでいっぱいになって、どうにかなりそう……』と思っていると、彼がそっと体を離した。
「なんてね。冗談だよ」
『まあ、そうしたいのは本当だけど』と述べ、ヴィンセントはおもむろに足を止める。
多分、最初のワルツの演奏が終わったからだろう。
「今はこれで我慢する」
そう言うが早いか、ヴィンセントは私の額に唇を落とした。
かと思えば、うっそりと目を細めて私の口元に触れる。
「ここは結婚式のときまで、取っておくね」
『楽しみだなぁ』としみじみ呟くヴィンセントに、私は何も言えなかった。
ただ、頬を紅潮させて俯くだけ。
こ、こんなのズルいわ……。
完全に不意打ちだったこともあり、平静を保てない私はしばらくヴィンセントの顔をまともに見れなかった。




