アイリスの懇願
◇◆◇◆
────同時刻、エーデル公爵家にて。
私はアイリスと共にもてなしの準備や家の後始末を行い、あちこち動き回っていた。
正直物凄く忙しいけど、気が紛れていいわね。
お父様達のことを考えなくて、済む。
まだ心の奥に残っている蟠りや悲しみを思い浮かべ、私は嘆息する。
『でも、本当に辛いのは最期を看取ったアイリスよね』と考える中、使用人より客人の到着を知らされた。
なので、一緒に居たアイリスも引き連れてヴィンセント……とルパート殿下を出迎える。
「突然、来て悪いな」
「いえ、驚きはしましたけど、ルパート殿下ならいつでも大歓迎ですわ」
お世辞でも何でもなく本当にそう思っているため、私は笑顔で応対した。
隣に立つアイリスも、快くルパート殿下の訪問を受け入れて応接室へ案内する。
「どうぞ、お掛けになってください」
三人掛けのソファを手で示し、アイリスは着席を促した。
すると、ヴィンセントとルパート殿下が揃って腰を下ろす。
それに続く形で、私達もソファに座った。
「さてと、早速で申し訳ないけど────用件を聞いてもいいかしら?ヴィンセント」
真向かいに居る婚約者を見据え、私は話を切り出す。
『お互い、何かと忙しいから手短に行きたい』と考えていると、ヴィンセントが手を組んだ。
「もちろんだよ」
おもむろにこちらを見つめ返し、ヴィンセントはスッと目を細める。
「じゃあ、簡潔に言うね────そろそろ、エーデル公爵家を出てクライン公爵家に来てほしい」
「「「!?」」」
私達はハッと息を呑んで固まり、ヴィンセントのことを凝視した。
まさか、そのようなことを言われるとは思ってもなかったため。
『てっきり、仕事関連の話かと……』と動揺する中、ヴィンセントはそっと眉尻を下げる。
と同時に、室内を見回した。
「エーデル公爵家にとって今が大事な時期なのは、重々承知している。そんなときにセシリアが抜けるなんて、かなりの痛手だろう。でも、アイリス嬢はもう何も知らない子供じゃないし、一人でやって行けるんじゃないかな?」
『今後も必要とあらば、サポートするし』と語りつつ、ヴィンセントはこちらの理解を求めようとする。
でも、すんなり受け入れられることではなく……私もアイリスも黙ったままだった。
すると、ヴィンセントはちょっと言いにくそうにこう言う。
「それにね、こちらとしてもさすがにもう待てないんだ。そろそろ結婚に向けて動き出さないと、色々不都合が生じるからね」
『両親にも催促されているし』と言い、ヴィンセントは小さく肩を落とした。
多分、彼もエーデル公爵家とクライン公爵家の間で板挟みになって辛いんだと思う。
ヴィンセントがここまで明確に『時間切れ』を主張してきたということは、もう本当に限界なのだろう。
もし、まだ輿入れを先延ばしに出来るならそうしている筈だから。
『むしろ、よく耐えてくれた方よね』と思い、私は反論の言葉を呑み込む。
当初の予定を滅茶苦茶にしてワガママを聞いてもらった手前、もう無茶は言えなくて。
『使用人やアイリスには申し訳ないけど、ここは受け入れるしか……』と考え、私は顔を上げた。
その瞬間────隣に座っていたアイリスが、私の手を掴む。
「ぃ、行かないで……」
か細く、小さな声で……絞り出すように懇願し、アイリスは小刻みに震えた。
「お姉様まで居なくなったら、私……」
目にいっぱいの涙を溜め、アイリスはこちらを見つめる。
と同時に、酷く不安そうな素振りを見せた。
「私の家族はもうお姉様しか居ないの……お願い……ここに居て……」
イヤイヤと駄々っ子の如く首を横に振り、アイリスは掴んだ手を握り締める。
それはもう痛いほどに。
「私を……一人にしないで」
ハラハラと涙を零し、アイリスは少しばかり顔を歪めた。
いつになく小さく見える彼女を前に、私は大きく瞳を揺らす。
ここまで弱っているアイリスを目の当たりにするのは、初めてだったので。
きっと、立て続けに家族を亡くした影響で心に大きな傷が……いや、穴が出来ているのね。
それを埋められるのは家族だけだから、私を失いたくないのだろう。
『他の誰かではいけない』ということを念頭に置き、私は判断を迷う。
先程、覚悟を決めた筈なのに……すっかり、決心が鈍ってしまった。
『ダメね、私ったらどっちつかずで……』と悩んでいると、ルパート殿下が席を立つ。
そして、真っ直ぐこちらへ……というか、アイリスの元へやってきた。
「アイリス嬢」
真剣味を帯びた声で話し掛け、ルパート殿下は膝を折る。
着席したままのアイリスと、目線を合わせるように。
なっ……!皇族が一貴族に跪くだなんて……。
出会った時から上下関係など気にしない人だったけど、これはさすがに……。
『不味いんじゃないか』と危機感を覚え、私は口を開いた。
が、こちらが声を発するより先にルパート殿下が言葉を紡ぐ。
「────私がお前の新たな家族になる訳には、いかないか?」
「「……えっ?」」
思わずアイリスと同じ反応をしてしまう私は、パチパチと瞬きを繰り返した。
ルパート殿下の口にしたセリフを、脳内で何度も反芻しながら。
あ、新しい家族……新しい家族って、言ったわよね?
それはつまり、アイリスと結婚したいという意味よね?
友人や師弟関係の延長線上としての家族……じゃないわよね?
ルパート殿下なら後者も有り得そうで、私は頭を悩ませる。
もし、プロポーズじゃなかったら更にアイリスを傷つける結果になりそうで怖かったから。
『ここは慎重に見極めないと……』と思案する中、ヴィンセントが小声で私の名前を呼んだ。
かと思えば、
『大丈夫だよ、ちゃんとプロポーズだから』
と、口の動きだけで伝えてくる。
こちらを安心させるように柔らかく微笑むヴィンセントを前に、私は肩の力を抜いた。
ヴィンセントのお墨付きなら、信用出来る……よって、口は出さない。
ルパート殿下が本気でアイリスとの結婚を望んでいるなら、外野があれこれ言う問題じゃないもの。
あとは────アイリスの気持ち次第よ。




