最後の尻拭い《アイリス side》
◇◆◇◆
────同時刻、地下牢にて。
私は一緒に落ちてきた祖父と共に、休む間もなく瓦礫を打ち砕いていた。
どうしよう?このままじゃ、生き埋めになっちゃうわ。
どんなに細かく砕いても、瓦礫の質量そのものは変わらないから。
いずれ、限界が来る。
『その前に崩壊が止まってくれれば、いいんだけど……』と思いながら、私は鞭を振るう。
隣に立つ祖父も剣を使って、瓦礫を粉砕した。
「アイリス、穴を塞ぐアレを破壊……いや、やめておくか。上手く逃げ道を確保出来ても、瓦礫を避けながら一階に上がるのは至難の業だ。ましてや、こいつの妨害もあるとなると……」
足元に居る父を見下ろし、祖父は一つ息を吐いた。
もう虫の息とはいえ、火事場の馬鹿力みたいな原理で動けるかもしれないから。
『実際、さっきはそうだったし』と考え、私は手を握り締める。
父を同行させたのは間違いだったかもしれない、と思って。
私が余計なことを言わなければ、今頃は……でも、もう家族を見捨てるような真似はしたくない。いや、出来ない。
地下に落ちた直後、咄嗟に父を抱き留めたことを思い出し、私は悶々とする。
『考えるよりも先に、体が動いていたのよね』と思案する中、祖父が自身の顎を撫でた。
「セシリア達の救助を待つのが、無難か……だが、この状況ではあちらも直ぐに動けない筈」
『救助出来るなら、とっくにしているだろう』と語り、祖父は剣を握り直す。
その瞬間、床が嫌な音を立てて割れた。
と言っても、表面だけだが。
でも────
「────救助をゆっくり待っている暇は、なさそうだな」
渋い顔をしながら床を一瞥し、祖父は『自力で何とかするしかない』と主張した。
と同時に、真上に降ってきた瓦礫を切り裂く。
「一か八か、最初に提案した方法で突破するか……あるいは────」
手に持ったままの“均衡を司りし杖”を見つめ、祖父はそっと目を伏せた。
かと思えば、嫣然と顔を上げる。
「まあ、息子の旅立ちに付き合ってやるのも悪くないか。どの道、儂も先が長くないしな」
小さく肩を竦めてそう言い、祖父はフッと笑みを漏らした。
「最後の息子の尻拭いと行こう」
アメジストの瞳に確かな意志と覚悟を宿し、祖父は“均衡を司りし杖”を構える。
どこか、凛とした表情を浮かべながら。
「アイリス。悪いが、あとのことは頼んだぞ。セシリア達にも、よろしく伝えておいてくれ」
「えっ?それって、どういう……?」
まるでもう自分は姉達と会えないかのように振る舞う祖父に、私は戸惑いを覚えた。
すると、彼はただ一言
「すまない」
とだけ、口にする。
ますます訳が分からくて混乱する私を前に、祖父は困ったように笑った。
そして、手の甲で優しく私の頬を撫でる。
「お祖父様……」
なんだか物凄く嫌な予感がして、私は縋るように名前を呼んだ。
が、祖父はそれに応えることなく目を閉じる。
手に持った家宝を強く握り締めて。
「“均衡を司りし杖”────エンドレ、我が名はフランシス・ジェフ・エーデル。そなたの仕えしアダムの血を引く者。もし、この声を聞いているのなら世界の理を覆し、物事を塗り替え、事象を曖昧にする力を分け与えたまえ。そなたにのみ許された権能を、権限を、権利を委ねたまえ。我が願うは」
詠唱の終盤でおもむろに目を開け、祖父は顔を上げた。
「イセリアル帝国の皇城を……その建物を、一時間前の状態に戻すことなり」
「!?」
ここに来てようやく祖父の狙いが……謝罪の意味が分かり、私は大きく瞳を揺らした。
お祖父様は自分の命を代償にして、私を助けるつもりなんだ。
だって、こんな滅茶苦茶になった皇城を元に戻すなんて……一体、どれだけの魔力が必要になるか。
さすがの私でも無茶だと分かる行動に、衝撃と不安……それから、僅かな怒りを覚える。
命が懸かった選択を勝手にするなんてあんまりだ、と。
感情が昂るあまり泣きそうになる私を前に、祖父はそっと眉尻を下げた。
かと思えば、血を吐いて倒れる。
十数分前の父みたいに。
「お祖父様……!」
悲鳴に近い声色で叫び、私は慌てて駆け寄ろうとした。
その瞬間────“均衡を司りし杖”が眩い光を放ち、皇城の再建……いや、逆行を始める。
「な、なにこれ……」
まるでパズルのピースが嵌るかのように元の位置へ戻っていく瓦礫を前に、私はたじろいだ。
その凄まじい力に、圧倒されてしまって。
ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない私を他所に、父はギシッと奥歯を噛み締める。
「っ……!あともうちょっと……だった、のに……!」
悔しそうにそう吐き捨て、父は眉間に皺を寄せた。
────と、ここで皇城の修復が完了する。
すっかり元通りになった地下牢の通路を前に、彼はより一層機嫌を悪くした。
「これでは……私の、命を……削っ、た意味が……」
自身の胸元を握り締め、父は道連れが失敗したことを嘆く。
『無駄死に』という事実を受け入れられずに居る彼の前で、祖父が床に肘をついて上体を起こした。
もう動く力なんて、ほとんど残っていない筈なのに。
「儂一つの……命で我慢……しろ……」
半ば這うようにして父の傍へ行き、祖父は横に寝転ぶ。
「と言っても……おま、え……は昔から……欲張りだっ、たから……納得し、ない……かも、しれないが……」
アメジストの瞳に僅かな憂いを滲ませ、祖父はおもむろに手を伸ばした。
すると、父は反射的に身を固くする。
『殴られる』とでも思ったのかもしれない。
でも────祖父がしたのは暴力行為なんかじゃなくて、
「!」
親子のスキンシップだった。
ハッとしたように息を呑む父は、撫でられた頭に自身の手を当てる。
と同時に、戸惑いを露わにした。
「な、ぜ……こんな……怒っ、て……いない、のか……?」
「いや、怒っては……いる……ぞ」
祖父はすかさず反論し、一つ息を吐く。
言動の端々に、複雑な気持ちを滲ませながら。
「こんな無茶……子供にさせ、たい……親、など居る訳……ない、だろう……」
「なっ……!?」
父は思わずといった様子で大きな声を上げると、途端に咳き込む。
多分、肺か喉を痛めてしまったんだと思う。
苦しそうに息をする彼の前で、祖父はそっと目を伏せた。
「あと、多くの人々を……巻き込ん、で……しまっ、たことに……関して、も……怒って……いる……」
何人か死んでいてもおかしくない事態のため、祖父は少しばかり眉を顰める。
地上の様子が気になるのか天井を見上げ、ちょっと物々しい雰囲気を放った。
「だが……それ、以上に……腹が立つ、のは……儂自身だ」




