均衡を司りし杖で願ったこと
「────一縷の望みに懸けて、転移を試みているのかも。本来なら空間属性に適性のある魔導師にしか出来ない芸当だけど、“均衡を司りし杖”を使えば可能になるだろうから」
『要するに奥へ逃げたのは、詠唱の時間稼ぎ』と語り、ヴィンセントはおもむろに腕を組む。
トントンと指先で肘あたりを叩きながら。
「まあ、かなりの魔力を消費するから本当に一か八かだけどね。前公爵も無茶なことだと分かっていたから、今の今まで正面突破を試みていたんだろうし」
『仮に成功しても、魔力空っぽじゃ今後に差し支えるから』と述べ、ヴィンセントは小さく肩を竦めた。
かと思えば、手に持ったままの“混沌を律する剣”を見下ろす。
「とはいえ、成功する確率は0じゃない。念のため、発動は止めるべきだろう」
家宝を握る手に力を込め、ヴィンセントは少しばかり表情を引き締めた。
「あちらが詠唱を終える前に、捕らえよう」
追い掛けることを宣言し、ヴィンセントは直ぐさま走り出す。
なので、私達もそのあとに続いた。
お父様の足なら、まだそんなに遠くへは行っていない筈……何より、この逃亡はあくまで時間稼ぎだから。
私達と距離を取るに越したことはないけど、そこまで必死に走り回る必要はないわ。
などと考えていると、父の背中を視界に捉える。
「良かった、まだ血統魔法は発動してないみたいね」
ブツブツと何かを呟く父の声に、私はホッと胸を撫で下ろした。
すると、彼がこちらを振り返って少し目を剥く。
が、取り乱すことはなかった。
むしろ、どこかホッとしているような気さえする。
「まさか────今、詠唱を終えた?」
思ったことをそのまま口走ると、父は不敵に笑った。
その刹那、大量の血を吐き出す。
もはや立っていることも出来ないのか床に膝をつき、荒々しい呼吸を繰り返した。
「「「お父様……!」」」
どう見ても死にかけている父の姿に、私達は瞳を揺らす。
転移が成功する心配よりも先に、父の身を案じてしまって……。
万が一のときは殺す覚悟で、ここへ来たのに。
「ヴィンセント……!」
縋るような気持ちで彼の名前を呼び、私は少しばかり身を乗り出す。
と同時に、“均衡を司りし杖”が眩い光を放った。
かと思えば、先端の宝玉から半透明の手が伸び、天井へ触れる。
えっ?何でわざわざ、そんなところに接触を?転移に必要なプロセスなのかしら?
────と疑問を抱く中、ヴィンセントが“混沌を律する剣”を投げた。
恐らく、詠唱していては間に合わないと考えたのだろう。
なんせ、あちらはもう発動中だから。
こうなると、もう“均衡を司りし杖”に“混沌を律する剣”を接触させて止めるしかない。
『それでも、ギリギリ間に合うかどうかだけど……』と思案していると、“混沌を律する剣”が“均衡を司りし杖”にぶつかった。
その途端、先端の宝玉から伸びていた半透明の手は消え去り、光も収まる。
「何とか逃亡は防げたみたいね……!」
ホッと胸を撫で下ろし、私は僅かに表情を和らげた。
アイリスや祖父も同様に安堵した素振りを見せ、『良かった』と言い合う。
でも、ヴィンセントだけはどこか難しい顔をしていた。
「……何かおかしい」
口元に手を当ててそう呟き、ヴィンセントは“均衡を司りし杖”をじっと見つめる。
────と、ここで建物の軋む音が鳴り響いた。
「「「!?」」」
反射的に顔を上げる私達は、少しばかり表情を強ばらせる。
と同時に、天井へ亀裂が入った。
「不味い……!このままでは、崩れるぞ!」
思ったより大きい割れ目を前に、祖父は焦りを露わにする。
『早く避難しなければ……!』と呼び掛ける彼を前に────父は頬を緩めた。
「はははっ……お前ら全員……道連れだ」
痛みに顔を歪めながらも、父はこちらを嘲笑う。
ピンチなのは、彼だって同じなのに。
もう瀕死の状態だから達観しているのか、それともこうなることを事前に知っていたのか……あまり動揺してなかった。
「────やはり、これは貴方の仕業ですか」
そう言って、僅かに眉を顰めるのは他の誰でもないヴィンセント。
黄金の瞳に確信を滲ませ、嘆息する彼はおもむろに普通の剣を構えた。
「“均衡を司りし杖”の効果が天井へ向かっている時点で、嫌な予感はしていましたが……まさか、こんなことになるとは」
「ど、どういうこと?」
思わず口を挟む私に対し、ヴィンセントは神妙な面持ちでこう言う。
「つまりね、前公爵が最後の力を振り絞って“均衡を司りし杖”に願ったのは────転移じゃなくて、僕達への攻撃なんだよ」
「!?」
ハッと大きく息を呑み、私は床に倒れている父を見下ろした。
まさか、“均衡を司りし杖”をそんな風に使ってくるとは思ってなかったため。
『しかも、あれだけの魔力を消費して……』と驚愕していると、ヴィンセントが前髪を掻き上げる。
「多分、成功確率の低い転移を万全じゃない状態で行うより、自爆して僕達に一矢報いる方が合理的だと判断したんじゃないかな」
『転移に失敗して、無駄死にだけはしたくなかったのだろう』と主張し、ヴィンセントは肩を竦めた。
その傍らで、祖父はアイリスから剣を借りる。
「いや、仮にそうだとしても……攻撃にシフトしたとしても、“混沌を律する剣”が“均衡を司りし杖”に触れた時点で効果は切れているのではありませんか」
『何故、今になって崩壊が起きているのか』と問いつつ、祖父はチラリと後ろを見た。
出口まで安全に行けるか、と思案するように。
「確かに“均衡を司りし杖”の効果はもう消えていますが、その効果によってもたらされた弊害までは“混沌を律する剣”じゃ打ち消せません」
ヴィンセントは壁にまで広がった亀裂を見やり、スッと目を細める。
「例えば、皇城一階の重量を十倍にするよう“均衡を司りし杖”に願ったとして……その重量を元に戻すことは出来ても、重さによって壊れた床や壁などを直すことは出来ないんです」
『所謂、二次被害は“混沌を律する剣”の対象外なんですよ』と語り、ヴィンセントは慎重に歩を進めた。
移動した際の振動などで崩壊を早めないよう、気をつけながら。
そして、手前側に落ちていた“混沌を律する剣”を拾い上げると、“均衡を司りし杖”にも手を伸ばす。
が、私の頭上に大きな亀裂が入るなり手を引っ込めてこちらへ向かってきた。
かと思えば、大きく割れて落ちてきた瓦礫を通常の剣で切り裂く。
「各自、防御態勢を整えて。恐らく、他の箇所もそろそろ崩れるよ」




