謹慎
「お願い!お父様に会わせて!一度、お話がしたいの!」
必死の形相で頼み込み、私は後ろに立つ彼らを振り返る。
が、彼らの目にはセシリアの幸せを邪魔する厄介者にしか見えないのか、随分と冷たい反応だった。
「申し訳ありませんが、それは自分達の判断で決められることじゃありませんので」
「セシリアお嬢様がこの家を立つまでの辛抱だと思って、我慢してください」
「セシリアお嬢様と旦那様が同じ家で過ごせる、最後の時間ですから」
「旦那様の愛情を取られたように感じるかもしれませんが、この一週間だけはどうか静かにお過ごしください。セシリアお嬢様のために」
『最後に家族の思い出を作ってあげたい』と考えているのか、騎士達は頑なだった。
本当に私のことを思っているんだと伝わってきて嬉しいが、今はそれが仇となっている。
『なんと言って、説得すればいいの……?』と途方に暮れる私を前に、彼らはさっさと扉を閉めた。
かと思えば、カチャリと鍵を掛ける音が耳を掠める。
結局、部屋に閉じ込められてしまった……これから、どうすればいいの?
花やピンクで彩られた室内を前に、私はヘナヘナと座り込む。
使用人達は完全にお父様が改心したと思っている……そんな時に『実は私がセシリアなの!』『アイリスと入れ替わったの!』と言ったところで、信じてくれないだろう。
むしろ、反感を買うかもしれない……。
なら、当分の間はアイリスとして生き、使用人達の信頼を勝ち取るしかないわ。
『全てを明かすには、まだ早い』と判断し、私は今後の方針を改めた────のだが……
「これからは甘やかさず、徹底的に家門の仕事を覚えてもらうそうです」
侍女長はそう言って、書類の山をドンッと積み上げた。
その大半は教科書やら参考書やらだが、実務関係の書類も混ざっている。
恐らく、また私に仕事を丸投げするためだろう。
朝起きるなり、仕事の山とご対面なんて……参ったわね。
『今はそれどころじゃないのに……』と項垂れるものの、放っておくことは出来ない。
何より、私が本物のセシリアだと明かした時、信じてくれる材料になるかもしれないので一先ず机へ向かった。
『きちんと仕事をこなせば、使用人達も不審がる筈』と考えながら、私は書類へ手を伸ばす。
「分かったわ。それじゃあ、朝食代わりのサンドウィッチと紅茶を用意してくれる?」
「えっ?あっ、はい」
おずおずといった様子で首を縦に振る侍女長は、『拍子抜けだ』と言わんばかりに瞬きを繰り返す。
恐らく、怒ったり拗ねたりすると考えていたのだろう。
本物のアイリスは直情的で、気に入らないことを徹底的に避ける傾向にあるから。
書類仕事なんて押し付けられた日には、癇癪を起こすに違いない。
「旦那様の関心がセシリアお嬢様に向いたことを悟って、大人しくしているのかしら……?」
困惑気味に独り言を零し、侍女長はいそいそと部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送り、私は一先ずやりかけの書類を手に取った。
────そして、書類仕事に明け暮れること三日。
使用人達の態度は少し軟化してきた。
と言っても、まだ警戒心は解けていないが。
あくまで、アイリスたる私に同情しているだけなのよね。
急に両親の関心を奪われ、孤立して可哀想……みたいな。
そのせいか、どれだけ書類仕事を頑張ってもテーブルマナーや礼儀作法を完璧にしても、『あぁ、両親の気を引きたいのね』という風に見られて……アイリスたる私の変化をあまり不審がっていない。
どちらかと言うと、セシリアたるアイリスの方を訝しんでいるみたい。
お父様達が何とかフォローしているとはいえ、かなりワガママを言っているようだから。
でも、大半の者は『今まで構ってもらえなかったから、赤ちゃん返りしているのだろう』と捉えていて……多少のワガママには、付き合っているらしい。
『優し過ぎるわよ、皆……』と嘆息しつつ、私は溜まった仕事を粗方片付ける。
と同時に、顔を上げた。
「ねぇ、今日もお父様に会えないの……?」
壁際へ立つ監視役の侍女へ問い掛けると、彼女は小さく肩を竦める。
「恐らく。一応聞いてはみますが、断られると思いますよ」
「そう……」
まあ、お父様からすれば私と接触する必要なんてないものね。
それよりも、セシリアたるアイリスとの時間を優先したいだろうし……一度、仕事を放棄してみようかな?
いや、ダメよ。そんなことをしたら、更に罰を与えられるし……いざとなったら、お父様自身でこなせばいいだけだもの。
私にしか出来ない事という訳ではないから、結果自分の首を絞めるだけになる。
『冷静に局面を見なさい』と己を律し、私は逸る気持ちを抑えた。
まだ時間があることを念頭に置きながら過ごし────クライン公爵家へ行く前日を迎える。
もうすっかり暗くなった空を一瞥し、私は使用人達と向き合った。
「こんな夜中に集まってもらって、ごめんね。ちょっと話があって」
やれるだけのことはやった。一朝一夕で信頼関係を築けることは思ってないけど、お父様達の企みを阻止するにはこれ以上待てない。
使用人達のことを……そして、今日まで積み上げてきたものを信じよう。
『夜が明けるまでに皆を説得するのよ』と言い聞かせ、私は大きく深呼吸した。
「これから話すことはきっと、直ぐに信じられないと思う。それでも、どうか最後まで聞いてほしい」
そう前置きしてから、私はそっと胸元を手を添える。
「あのね、私はアイリスじゃなくてセシリアなの。地下室に呼び出された日のこと、覚えている?実はあのとき、中身を入れ替えられて────」
意を決して全ての真実を話すと、使用人達は呆然とする。
まじまじとこちらを見つめ、困惑気味に眉を顰めた。
かと思えば、
「あの……冗談にしては────ちょっと、度が過ぎていませんか?」
「セシリアお嬢様を羨ましく思う気持ちは分かりますが、このような嘘はいけません」
「とりあえず、今の話は聞かなかったことにするのでゆっくりお休みください」
「明日はセシリアお嬢様が出立する日ですから、くれぐれも騒ぎを起こさないように」
呆れ気味にこちらの言い分を一蹴し、使用人達は退室していった。
『待って……!』と声を掛けるものの……誰も振り返らず、扉は閉められる。
おかげで一人ポツンと取り残されてしまった。
誰も……信じてくれなかった。
悲壮感に満ちた表情で崩れ落ち、私はポロリと涙を零す。
それだけセシリアと使用人達の絆が深いと考えれば、嬉しくなるものの……それ以上に孤独と絶望を感じた。
最後の頼みの綱だった使用人達が、そっぽを向いた訳だから。
『このままじゃ、本当に……』と戦慄し、私は顔を両手で覆う。
────そうこうしている間に夜は更けていき、出立当日の朝となった。
外から微かに聞こえてくる人々の話し声を前に、私は『もう迎えに来たのか……』とぼんやり考える。
私はこのままアイリスとして、生きるしかないのかな……?
家族同然である使用人達の温もりも、婚約者であるヴィンセントの愛情も全部取られて……孤独に生きるの?
「────そんなの絶対に嫌……!」