逃げ果せるためには《マーティン side》
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────時は少し遡り、エーデル公爵家から逃げ帰った直後のこと。
私は母の居る寝室を訪れ、襲撃に失敗したことを告げた。
と同時に、視線を逸らす。
せっかく何十人もの裏の人間を雇ったのに、結果がコレなんて……あまりにもバツが悪くて。
まさか、あんなに腕の立つやつが居るなんて思わなかったんだよ……。
包帯で目元を隠した男のことを思い出し、私は『あいつさえ、居なければ……』と考えた。
────と、ここで母がベッドから立ち上がる。
「失敗は残念だけれど、貴方が生きて帰ってきただけでも良しとしましょう」
『身柄を拘束されていたら、厄介なことになっていたから』と語り、母は黒のローブを羽織った。
かと思えば、腰まである金髪を結い上げる。
「それより────さっさと逃げるわよ」
「えっ?」
やっとの思いで逃げ帰ってきたばかりだというのにまた逃げないといけないと知り、私は愕然とした。
『何故だ?』と疑問に思う私の前で、母はベッドの下からトランクを引っ張り出す。
「恐らく、あちらは今回の襲撃に私達が絡んでいることを察知している筈」
「それは……そうかもしれませんが、証拠はありません。たとえ、抗議されても問題は……」
「ないでしょうね。でも、第一皇子をせっついて私達の粛清を早めるくらいは出来るわ」
「!」
僅かに目を見開き、私は表情を強ばらせた。
先日、母が言っていた通りこちらを叩き潰す準備がもう出来ているのなら……今すぐ、粛清することだって可能だろうから。
ようやく事の重大さに気づいて震撼する私を前に、母はトランクへ衣類や書類を詰める。
「とにかく、逃げるなら今しかないの」
「それは分かりました。でも、逃げたところで直ぐに捕まるのでは?」
第一皇子派と第三皇子派から……イセリアル帝国から逃げ果せる未来を想像出来ず、私は苦悩した。
国を出ることさえ出来れば何とかなりそうだが、国境へ辿り着く前にこちらの逃亡はバレるだろう。
それで指名手配なんかされたら、一巻の終わりだ。
「ええ、だから────コレで時間稼ぎをするつもりよ」
そう言って、母は懐からあるものを取り出した。
細長い形状のソレを前に、私はハッと大きく息を呑む。
何故なら、それは……
「エーデル公爵家の家宝、“均衡を司りし杖”……!」
皇城の宝物庫で保管されている筈のものが何故ここにあるのか分からず、私は動揺を示した。
すると、母は唇に人差し指を当てつつ、『静かに』と述べる。
「侍女に命令して、こっそり持ち出してきたの。今日の警備は私の息が掛かった者達ばかりだったし」
『運が良かったわ』と言い、母は手に持った“均衡を司りし杖”をこちらへ差し出した。
「とりあえず、この封印を解いてもらえる?」
「それは構いませんが……“均衡を司りし杖”を使って、どうするんですか?まさか、セシリア・リゼ・エーデルやアイリス・レーナ・エーデルに『家宝を渡す代わりに逃亡を手助けしろ』などと持ち掛ける気じゃないですよね?」
“均衡を司りし杖”を受け取りつつ、私は疑問を並べる。
今しがた襲ってきた相手に、そんな取り引きを持ち掛けるのは無謀すぎて。
第一、交渉に成功したとしても今のエーデル公爵家では何の役にも立たなかった。
弱体化した家門の力を思い浮かべる私の前で、母は小さく肩を竦める。
「取り引きなんかに使わないわよ。ただ────エーデル公爵家の前当主に渡すだけ」
「はっ?あのボンクラに、ですか?」
地下牢に囚われた銀髪の男を思い返し、私は眉を顰める。
あんな奴に“均衡を司りし杖”を渡して、何になるのか?と思って。
「ねぇ、マーティン。貴方はお先真っ暗の状況で、全てを破壊出来る道具をもらったらどうする?」
突然おかしなことを尋ねてきた母に、私は怪訝な表情を浮かべた。
『一体、何の話だ?』と戸惑いながら。
でも、一応質問には答えておく。
「そりゃあ、迷わず使いますけど……」
「そうよね。多分、エーデル公爵家の前当主も同じように全てを破壊出来る道具を……“均衡を司りし杖”を使うと思うわ。そして、現状を打破しようとする筈」
「!」
そこまで言われてようやく母の考えを理解し、私は大きく瞳を揺らした。
と同時に、“均衡を司りし杖”をギュッと握り締める。
「なるほど……エーデル公爵家の前当主に大暴れしてもらい、周囲の注意を逸らす作戦ですか」
「ええ。騒ぎに乗じて逃げ出せば、しばらく誰も私達の逃亡に気づないだろうし。たとえ察知しても、エーデル公爵家の前当主のことで手一杯になってあまり人員を避けない筈よ」
『これで確実に逃亡の成功率は上がる』と語り、母はトランクの蓋を閉めた。
かと思えば、そっと持ち上げる。
「だから、準備が出来次第エーデル公爵家の前当主の元へ行くわよ」




