お先真っ暗
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ん……あれ?ここは……なんか、懐かしい夢を見ていた気がするけど。
朦朧とする意識の中、私はそろそろと顔を上げる。
そして、薄暗い周囲を見回した。
確か、さっきお父様が“均衡を司りし杖”を使って……それで────
「魔法は成功したのか!?おい、どっちがアイリスだ!?」
床に片膝をつき、こちらを見つめる父はガシッと肩を掴む。
『お前はどっちだ!?』と尋ねる彼を前に、私は目を白黒させた。
────と、ここで下から人の呻くような声が聞こえる。
「お、重い……」
聞き覚えのある声が耳を掠め、私は反射的に下を向く。
と同時に、戦慄した。
だって、そこに居るのはどう考えても────私だったから。
胸の下辺りまである銀髪に、アメジストの瞳。顔立ちは父親譲りで、綺麗め。
ここまではアイリスと同じだが、違う点は主に二つ。
前髪をセンター分けではなく、左へ流す形で編み込みしていること。
また、右耳にゴールデンジルコンをあしらったピアスを身につけていること。
父の言動から、何となく予想はしていたけど────本当にアイリスと入れ替わるだなんて……嘘でしょう?
にわかには信じ難い現実を前に、私は視線を右往左往させる。
『アイリスのフリをする?それとも……』と悩んでいると、私の体に入ったアイリスが拳を振り上げた。
「ちょっと!どいてよ!本当に重いんだけど!お父様もお母様も見てないで、助けてよ!」
力いっぱい私……というかアイリスの体を叩き、彼女は『早く!』と急かす。
到底セシリアとは思えない行動に、父と継母はパッと表情を明るくした。
「おお!魔法は成功したみたいだな!」
「これでヴィンセント様の婚約者になれるわね!」
『良かった!』と目を輝かせる継母に、父はうんうんと大きく頷いた。
かと思えば、私の襟首を引っ張ってアイリスの上から下ろす。
が、勢い余って壁に叩きつけてしまった。
思い切り背中を強打して尻餅をつく私に、父は一瞬ギョッとするものの……直ぐに平静を取り戻す。
恐らく、アイリスの体だから少し動揺してしまったのだろう。
私を心配した訳ではない。
「行こう、アイリス……いや、セシリア」
入れ替わりがバレてしまったら大変なので、父は呼び方を改める。
『これからはセシリアとして生きるんだぞ』と言い、私の体を優しく抱き起こした。
夢にまで見た光景だが……実際にその優しさを受けているのは私じゃない。
惨めね……。
未だ嘗てないほどの孤独感と疎外感、それから絶望感を覚え、私は泣きそうになる。
『これから、どうなるのだろう……?』と嘆く私を他所に、彼らはさっさと地下室から出て行った。
私のことなど、目もくれずに。
……とりあえず、私もここから出よう。
いつまでも、こうしちゃいられないし。
『うっかり鍵でも閉められたら大変』と考え、私は立ち上がる。
でも、体の節々が痛くて……階段を一段一段踏み締めるようにして、登っていくしかなかった。
おかげで、かなり時間が掛かってしまい……地下室を出た頃には、もう夕方。
そして、食堂からは賑やかな笑い声が……。
お父様とお母様とアイリスは確定として……他にも誰か居るわね。
十数人規模の賑やかさに、私は内心首を傾げる。
────と、ここで二階から侍女達が降りてきた。
「ようやく、旦那様がセシリアお嬢様を認めてくださったわ!」
「きっと、もうすぐ家を出ることになるから改心したのよ!」
「お部屋も旦那様の書斎の隣に移すそうよ!」
「えっ?でも、そこって確かアイリスお嬢様の部屋だったんじゃ……?もしかして、愛情の比重が傾いたのかしら?」
侍女の一人がそう呟くと、彼女達は顔を見合わせる。
喜びを隠し切れないといった様子で表情を和らげ、手を取り合った。
『良かったわ!』と若干涙ぐみながら、彼女達は一階へ降り立つ。
と同時に、こちらへ背を向けて歩き出した。
そのため、こちらの存在には恐らく気づいていない。
そっか……傍から見れば、セシリアはお父様と和解したように見えるんだ。
まあ、中身が入れ替わっているなんて普通思わないものね。
「……そうなると、使用人達の協力を得るのはちょっと難しいかも」
グッと両手を握り締め、私は廊下に一人立ち尽くす。
思ったより悪い状況であることを察して。
いや、落ち込んでいる暇はないわ。私に残された時間はあと僅かなんだから。
セシリアは来週からクライン公爵家へ行き、花嫁修業を受ける予定だ。
本来であれば、正式に籍を入れるまで婚家に身を置くことはないのだが……ヴィンセントの計らいにより、こうなった。
実際、クライン公爵夫人として学ばないといけないことも多いため。
当初の予定通りに行けば、そのまま一度も実家へ帰ることなく結婚式を挙げ、正式に嫁入りする手筈となっている。
なので、止めるなら今しかない。
『まだ私の手の届く位置に居るうちに何とかしないと』と奮起し、食堂へ足を向ける。
が、急に肩を掴まれた。
「アイリスお嬢様、こちらにいらっしゃったのですか」
「お部屋へ戻りますよ」
そう言って騎士達は私の身柄を拘束し、どこかへ向かい始める。
それも、ほぼ私を引き摺る形で。
「ちょっ……!何を……!?」
突然の蛮行に目を剥いていると、騎士達は冷ややかな目でこちらを見下ろした。
「旦那様からの命令ですよ。アイリスお嬢様をしばらく部屋に閉じ込めておけ、とのことです」
「なっ……!?」
早速先手を打ってきた父に、私は思わず目を剥く。
『私に何もさせないつもりなんだ……!』と考え、唇を噛み締めた。
幸か不幸か、アイリスたる私を謹慎に追い込む理由はたくさんある。
しかも、使用人達は皆セシリアたるアイリスの味方……完全に詰んだわね。
『どうしよう……』と困り果てる私は、少し泣きそうになった。
お先真っ暗すぎて……。
そんな私を見兼ねてか、騎士の一人が慰めの言葉を口にする。
「心配せずとも、一週間程度で謹慎は解けるそうですからご安心ください」
それじゃあ、ダメなの……クライン公爵家へ行く日までに、何とかしないといけないから。
『真面目に謹慎していたら、間に合わない』と危機感を覚え、私はクシャリと顔を歪めた。
どんどん悪化していく状況を憂いていると、ついにアイリスの自室へ辿り着く。
と言っても、ここは『狭くて日当たりも悪いから』と言ってあまり使ってなかったけど。
『基本、二階の一番大きな部屋を使っていたのよね』と思い返す中、部屋へ押し込められる。
不味い……!このまま閉じ込められたら、身動きを取れない……!
「お願い!お父様に会わせて!一度、お話がしたいの!」