パーティーの準備
◇◆◇◆
────神殿の騒動から、一ヶ月半ほど経った頃。
私は建国記念パーティーに向けて、準備を進めていた。
と言っても、やることは大体ドレスの手配くらいだが。
でも、
「教えた通りにやってみて」
アイリスの場合は違った。
社交ダンスの習得や礼儀作法の復習、話術の応用などなど……やらなきゃいけないことが、たくさんある。
今回は狩猟大会の時と違って、他の貴族とも交流する羽目になるだろうから。
『ここできっちり威厳を示さないと、侮られる』と確信し、私はレッスンに力を入れた。
────その結果、社交ダンスと礼儀作法は概ねマスター。
あとは、話術の応用だけなんだけど……苦戦しているみたいね。
難しい顔で参考資料を読み漁っているアイリスに、私はそっと眉尻を下げる。
元々言葉の裏を読み取るというのが苦手な子のため、覚悟はしていたが……思ったより難航していることに、焦りを覚えて。
『パーティーまでに何とかなるかしら?』と思案する中、アイリスは顔を上げた。
「話術って、面倒ね。覚えることも多いし」
手に持った参考資料をテーブルに置き、アイリスはソファの背もたれへ寄り掛かる。
と同時に、自室の天井を見上げた。
「言いたいことがあるならハッキリ言えばいいのに、わざわざ比喩表現や難しい言葉を使う意味が分からないわ」
「貴族にとって、あからさまな悪口は下品な行為に当たるのよ。それに曖昧な言葉で誤魔化しておけば、相手から文句を言われた時のらりくらりと躱せるしね」
『要するに逃げ道を作っているの』と説明する私に、アイリスは怪訝そうな表情を浮かべる。
「相手に詰め寄られるのが嫌なら、そもそも悪口を言わなければいいだけの話じゃない?」
「それはまさにその通りだと思うわ」
苦笑いしながら肩を竦め、私はおもむろに手を組んだ。
「でも、社交界というのは言葉を武器にした戦いの場。時には、相手の悪口を言う必要だってあるわ。もちろん、その逆もね」
ゆっくりとソファから立ち上がり、私は向かい側の席に座るアイリスのところへ足を運ぶ。
そして、少しだけ身を屈めた。
「大事なのは、どうすることで自分の……もしくは家の利益を得られるか、よ。言葉は所詮、手段に過ぎないのだから」
貶すのも煽てるのも突き詰めれば、相手を自分の思い通りに動かすため。
と言ったら悪女みたいだけど、社交界で生き残るには必要なスキルだった。
「とはいえ、あまり気分のいいものじゃないからそういう手法を使うかどうかはアイリスの裁量に委ねるわ。ただ、相手の言葉に乗せられて損だけはしないように話術を覚えてもらいたいの」
自分と同じアメジストの瞳を見つめ、私は懸念を明かした。
正直、直情型のアイリスだと貴族達のオモチャにされそうだったので。
簡単に騙されるアイリスの未来を想像する中、彼女はもう一度資料を手に取る。
「分かった。頑張る────けど、そろそろお腹空いた」
『何か食べたい』と要請するアイリスに、私は少しばかり目を見開く。
と同時に、掛け時計へ視線を向ける。
あら、もう夜の十時を回っているのね。なら、お腹が空いてもおかしくないわ。
『すっかり、講義に夢中になってしまった』と反省しつつ、私は視線を前に戻した。
「じゃあ、今日はここまでにしましょうか」
『夕食にしよう』と提案すると、アイリスはすかさず首を縦に振る。
「お祖父様も誘って食堂に行こう、お姉様」
ゆっくりとソファから立ち上がり、アイリスは扉の方へ向かっていった。
その道すがら、机の引き出しに資料を仕舞う。
「アイリス。残念だけど、お祖父様は今日皇城に行っているから一緒に食事出来ないの」
『多分、泊まり掛けになると言っていたわ』と話し、私はこのまま真っ直ぐ食堂へ向かうよう促した。
────と、ここで部屋の扉が勢いよく開く。
まだ私もアイリスも、ドアノブに触れていないのに。
ビックリして扉の方に視線を向けると、紺髪の男性が立っていた。
「あ、貴方は……」
「ヴィンセント様の部下のアルマンです」
警戒している私達に気づいたのか、紺髪の男性────改め、アルマンは自己紹介を行った。
自身の胸元に手を添えて一礼する彼を前に、私はハッとする。
「ヴィンセントの?じゃあ、貴方がエーデル公爵家に配置された護衛の方?」
「はい、その通りです」
『話が早くて、助かります』と言い、アルマンは一歩後ろへ下がった。
かと思えば、いきなり懐から短剣を取り出す。
「時間がないため、お話はこれくらいで」
そう言うが早いか、アルマンは一瞬だけ私達の視界から消えた。
いや、廊下の奥へ行ったと言った方が正しいか。
『えっ?何?』と困惑する私達を置いて、彼はそこで何かする。
音だけじゃ断定は出来ないけど、多分────廊下で、誰かと戦っている。
怒号や悲鳴、衝突音が僅かに聞こえるから。
『一体、何が起こっているの?』と戸惑いを覚える中、アルマンが戻ってきた。
手や短剣に返り血を付けた状態で。
「お二人とも、早くこちらへ。安全なところまで、お連れします」
『ここは危険です』と主張するアルマンに、私とアイリスは直ぐに返事出来なかった。
だって、あまりにも唐突で……何がなんだか、分からないため。
「あの、まずは状況を説明していただけませんか?」
『概要だけでもいいので』と要請すると、アルマンは少し無言になる。
が、直ぐに口を開いた。
「一刻を争う事態なので、率直に申し上げます────屋敷に侵入者が現れました」
「「!?」」
ハッと大きく息を呑む私とアイリスは、互いに顔を見合わせる。
『侵入者!?』と視線だけで、問い掛け合いながら。
「現在、エーデル公爵家の騎士や私の部下が応戦しているものの、あまりいい戦況とは言えません。なにせ、あちらはところ構わず魔法を使っているので。建物の保全や味方の安全など、色々と制約の多い我々では対処し切れません」
アルマンは自身の額に手を当てて、小さく頭を振った。
と同時に、こちらを見据える。
「ですから、お二人には万が一のことを考えてここから脱出してほしいんです。もし、あなた方に何かあれば……」




