切羽詰まった状況《マーティン side》
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────同時刻、皇城の一室にて。
私は意味もなくテーブルの周りをグルグルと回り、苛立っていた。
というのも、カイル・サム・シモンズが捕まってしまったため。
いけ好かない奴ではあったが、皇位継承権争いにおいてかなりいい働きをしてくれていた。
ハッキリ言って、今あいつを失うのは痛手だ。
『神殿からの援助はもう望めないだろうし』と考えつつ、私は前髪を掻き上げる。
と同時に、近くのテーブルを蹴り上げた。
ガシャンと大きな音を立てて倒れるテーブルを前に、私は奥歯を噛み締める。
その瞬間、
「────マーティン、落ち着きなさい」
と、声を掛けられた。
反射的に顔を上げる私の前で、声の主である女性はソファから立ち上がる。
その際、腰まである金髪がサラリと揺れた。
「暴れたところで、事態は好転しないわよ」
真っ赤な瞳でこちらを見つめ、彼女はゆっくりと私の方に向かってくる。
床に散乱したテーブルの破片やティーカップには目もくれない彼女の前で、私は大きく息を吐いた。
「それはそうですが、この状況で『冷静になれ』という方が難しいです、母上」
────皇妃メリッサ・フィーネ・イセリアル。
現状たった一人の皇帝の妻にして、社交界を支配する大輪の花。
元はしがない男爵家の娘だったらしいが、皇帝の子供……つまり、私を身篭ったことでその名を世間に轟かせた。
まるで、ロマンス小説の主人公のように。
まあ、現実は本の物語よりずっと残酷なものだけど。
母の本質をよく理解している私は、後宮で巻き起こった数々の事件を思い返す。
────と、ここで母が私の喉を軽く突いた。
「逆よ、こういう時こそ冷静になるの。恐らく、私達に残された時間はそう多くないから」
「えっ?」
『時間?』と疑問に思い、私は目を白黒させる。
確かに皇位継承権争いの結果が出るまで、もうあまり猶予はないが……そこまで切羽詰まった状態でも、ない筈。
『少なくとも、今すぐどうこうなるレベルでは……』と思案していると、母が表情を引き締めた。
「実は最近、第二皇子派の貴族達が────第一皇子に粛清され始めているのよ」
「なっ……!?」
「とは言っても、末端の……それこそ、没落寸前の貴族や新興貴族ばかりだけど」
『筆頭貴族はまだ残っている』と語る母に、私はホッとする。
なんだ、それなら大丈夫じゃないかと思って。
「末端であれば、何人消えようと問題ありませんよ。なので、気にする必要は……」
「マーティン、よく聞きなさい。これは第一皇子からの警告……いいえ────狼煙よ」
母はいつになく真剣な面持ちでこちらを見据え、私の肩に手を置いた。
かと思えば、グッと握り締める。
「あちらはもう第二皇子派を潰す算段がついたから、仕掛けてきたの。単なる小競り合いで終わらせるつもりは、ないと思うわ」
『用心しないといけない』と主張しつつ、母は足元にあるティーカップを踏みつけた。
「しかも、あちらは恐らく第三皇子と手を組んでいる……そうでなければ、カイル・サム・シモンズが潰れたこのタイミングで仕掛けてこない筈よ」
『あまりにも、タイミングが良すぎる』と指摘し、母は眉間に皺を寄せる。
と同時に、ティーカップが音を立てて割れた。
「近いうち、必ず動きを見せるわ。それまでに、何か手を打っておかないと……私達、確実に終わりよ」
これでもかというほど警戒心を露わにする母に、私は危機感を煽られる。
彼女がここまで焦りを見せるのは、初めてだったため。
『本当に切羽詰まった状況なんだ』と実感し、私は強く手を握り締めた。
「……具体的に何をどうすれば、いいんですか?」
「それは私にも分からないわ。時間も人材も制限された中で、出来ることなんて限られているから」
────そもそも、この状況を打破出来る一手なんてないのかもしれない。
とは言わずに、母は口を噤む。
弱音を吐いたところで得られるものは何もない、と分かっているからだろう。
「この際、多少リスクの高い方法でも構わないわ。何か切り札を……」
額に手を当てて考え込み、母はゆらゆらと瞳を揺らした。
その傍で、私も必死に解決策を探す。
が、やはり何も思いつかない。
「……あの男は隙が無さすぎる」
どんな手段に出ても平気でやり過ごしそうな兄を思い浮かべ、私は歯軋りした。
「せめて、ルパートが相手なら……」
こんなことを言ってもしょうがないのは分かっているものの、ついつい口を滑らせる。
すると、母がハッとしたように目を見開いた。
「そうよ……貴方の言う通り────第一皇子じゃなくて、第三皇子を狙えばいいんだわ」
真っ赤な瞳に希望の光を宿し、母は顔を上げた。
『どうして、こんなことに気づかなかったのか』と呟き、頬を緩める。
「第一皇子と第三皇子が手を組んでいるのなら、どちらかにダメージを入れればもう一方も影響を受けるわ。少なくとも、無視は出来ない筈。ただ、第三皇子に直接危害を加えるのは難しいから……」
母は少し悩むような素振りを見せると、銀製のティースプーンを軽く蹴った。
「────最も綻びの大きい場所へ、一石を投じましょう」
宙を舞って床へ落ちていくティースプーンを前に、母は『ふふっ』と笑みを漏らす。
と同時に、こちらへ向き直った。
「マーティン、耳を貸して」
そう言うが早いか、母は少し顔を近づけて作戦を説明する。
私にしか聞こえないほど、小さな声で。
「なっ……!?それはさすがに……!成功しても、失敗しても不味いことになるんじゃ……!」
『あまりにもリスクが高すぎる!』と反発する私に対し、母はスッと目を細めた。
「でも、短期間で出来ることなんてこれくらいよ」
非情なまでに現実を突きつけ、母は『他にいい案なんて、ないでしょう』と述べる。
それに対し、私は何も反論出来なかった。
「っ……!なら、せめて私を作戦の実行メンバーから外してください!」
「無理よ、人手が足りないのだから」
間髪容れずに首を横に振り、母はこちらの要求を跳ね除けた。
堪らず顔を顰める私の前で、彼女は大きな溜め息を零す。
「私だって、出来ることならマーティンを危険な目に遭わせたくないわ。けれど、貴方は魔法も剣もある程度使いこなせるでしょう?なら、作戦の成功率を上げるために活用すべきよ」
『出し惜しみなんて、してはいけない』と説く母に、私は言葉を詰まらせた。
感情を抜きにして考えれば彼女の言い分は正しい、と理解出来るから。
ここで二の足を踏んで、困るのは結局自分だ……正直気は進まないけど、やるしかない。
どの道、失敗すればもっと酷い目に遭うんだからな。
これくらい、許容するべきだろう。
自分の中にある“迷い”を捨て去り、私は母の目を見つめ返す。
と同時に、少しばかり背筋を伸ばした。
「分かりました。作戦に参加します」




