ゲレル神官の打算
「驚くのも、無理ありません。ただ、これは事実です。信じてください」
ゲレル神官は嘘じゃないことを必死に訴え、手を強く握り締める。
真剣かつ切実な態度を見せる彼を前に、私は顎に手を当てた。
「分かりました。一先ず、信じましょう。私達にこのような嘘をつく理由は、ないでしょうから」
おもむろに顔を上げ、私はオレンジの瞳を見つめ返す。
「ただ、一つだけ教えてください。何故、神殿の重大機密とも言える情報を提供してくれたのですか?」
『何か裏があるんじゃないか』と勘繰る私に、ゲレル神官は
「────遺族のあなた方には、知る権利があると思ったからです」
と、即答した。
その瞬間、私もアイリスも目が点になる。
『えっ?それだけ?』と言いそうになるのを堪えながら。
「まあ、打算が全くない訳ではありませんが……」
ゲレル神官は不意に視線を逸らし、口元に力を入れた。
まるで、己を恥じるように。
「正直に白状しますと、アナスタシア様の死の真相を知ったとき────神殿の上層部の粛清にエーデル公爵家のお力を借りられるのでは、と考えました」
「「!!」」
思いもよらないゲレル神官の打算に、私とアイリスは思わず顔を見合わせる。
『一体、どういうこと!?』と困惑する私達を前に、ゲレル神官は小さく肩を落とした。
「ここだけの話、神殿の内部は腐り切っています。権力者との癒着も激しく、もはや神の信徒たる姿はどこにもありません。なので、私は密かに上層部の粛正を企てていたのですが……仲間も資金も権力も心許ない状況でして」
「な、なるほど」
ようやく見えてきたゲレル神官の考えに理解を示しつつ、私は姿勢を正す。
と同時に、白いローブの胸元へ刺繍された神殿のエンブレムを見た。
よく考えてみれば、神殿全体が悪という訳ではないわよね。
いい神官だって、もちろん居る筈。
ゲレル神官の話を鵜呑みには出来ないけど、協力関係を築くのは悪い話じゃないかもしれない。
少なくとも、一考してみる価値はある。
『とりあえず、ヴィンセント達に相談かな』と判断し、私は
「お話は分かりました。一度よく検討してみたいと思いますので、時間をください」
と、返事を保留にした。
『なにせ、突然の話だったので』と苦笑する私を前に、ゲレル神官は少しだけ難しい顔をする。
彼としては、早めにこちらの意向を確認したいのだろう。
でも、即断即決出来るような話じゃないのもまた事実。
「そうですか。では、今日のところはお暇させていただきます」
『色良い返事をお待ちしております』と言い、ゲレル神官はソファから立ち上がった。
かと思えば、最後にもう一度お悔やみの言葉を口にして去っていく。
どうやら、継母の死を弔いたい気持ちに嘘はないようだ。
『単なる建前かと思ったのに』と思案しつつ、私は一つ息を吐く。
「予想外の方向へ話が転んだわね」
「そうね。私、神殿の関係者は全員敵だと思っていたけど……そうやって、一括りにしてはいけないと学んだわ」
隣に座るアイリスは、どこか憑き物が落ちたかのような表情で前を見据える。
先程より明らかに澄んでいるアメジストの瞳を前に、私は少しだけ表情を和らげた。
ゲレル神官はアイリスにいい刺激を与えてくれたようね、と感じて。
『同席を許可して、正解だった』と頬を緩める中────不意に応接室の扉をノックされた。
『ゲレル神官が忘れ物でもしたのかしら?』と思い、直ぐに入室の許可を出すと、扉が開かれる。
「やあ、二人とも」
そう言って、こちらに片手を上げるのはヴィンセントだった。
祖父より連絡を受けて駆けつけてくれたのか、少し髪が乱れている。
『神殿の者はもう帰った後かな?』と首を傾げる彼は、キョロキョロしながら室内へ足を踏み入れた。
すると、その後ろからルパート殿下や祖父も姿を現す。
「邪魔するぞ」
「無事に面会は終わったようだな」
『入れ違いになったか』と肩を竦め、祖父は奥に歩を進めた。
かと思えば、ヴィンセント達の着席を待ってから自分も腰を下ろす。
「して、話し合いはどうなった?」
どことなく緊張した面持ちで本題を切り出し、祖父は『何か失礼なことでも言われたか』と心配した。
ヴィンセントやルパート殿下も同じようにこちらの身を案じ、じっと見つめてくる。
「えっと……それがちょっと変な方向へ進みまして」
私はどう説明しようか迷いつつ、髪を耳に掛けた。
と同時に、顔を上げる。
「実は────」
ゲレル神官の言動を出来るだけ細かく……また、自分の感情抜きで語り、私は男性陣の反応を窺った。
三人とも、先程の私達みたいな反応をしているわね。
まあ、無理もないわ。
いきなり神殿の人間が、内部告発の協力を仰いできたのだから。
などと考えていると、ヴィンセントがおもむろに足を組む。
「ゲレル神官、か。聞いたこともない名前だね。恐らく、かなりの下っ端だと思う。でも……だからこそ、信用は出来そうだ。腐敗した上層部に毒されていない訳だから。ただ、身辺調査は必要かな」
『まだ結論は出せない』と主張し、ヴィンセントは天井を見上げた。
「それで、もし白なら────結託するのも一つの手だと思うよ。どの道、悪に染まってない神官とは接触を図りたいと考えていたからね。粛清後の神殿を任せるために」
「さすがに神殿内部を荒らすだけ荒らして、放置は出来ないからな」
『アフターケアは必要だろう』と語るルパート殿下に、私と祖父は共感を示す。
神殿の権威が失墜したままだと、様々な弊害を生むため。
民の混乱を鎮めるという意味でも、早めに復活してほしかった。
「────えっ?神殿を丸ごと潰す訳じゃないんですか?」
思わずといった様子で声を上げ、唖然とするのは妹のアイリス。
困惑気味に瞳を揺らす彼女を前に、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
「いいえ、神殿という組織そのものは残すわ。ただ、内部……主に上層部の人間を入れ替えるだけ。神殿はなくてはならない存在だから」
「……そう」
アメジストの瞳に少し落胆を滲ませ、アイリスは俯いた。
多分、理解は出来ても納得は出来ないのだろう。
『あんなに酷い組織なのに……』とでも言いたげな態度を取る彼女の前で、私はそっと眉尻を下げる。
割り切れ、と言うのはあまりにも酷な気がして。
でも、だからと言って神殿の完全崩壊に賛同も出来ない。
『どうしよう?』とすっかり困り果てていると、不意にルパート殿下が口を開く。
「悪いのはあくまで上層部の人間であり、組織そのものじゃない。敵を見誤るな」
「!」
ハッとしたように目を見開き、アイリスは手を握り締めた。
ルパート殿下の鋭い指摘に、感銘を受けているのだろう。
先程までの暗い雰囲気が嘘のように霧散していく中、ヴィンセントは
「それに、君は神聖力のおかげで狩猟大会の一件を切り抜けられたんだろう?なら、その力の源である神の城には多少の情けを掛けてもいいんじゃないかい?」
と、最後のダメ押しを行う。
すると、アイリスは観念したかのように肩の力を抜いた。
「そうですね。報復の対象は、神殿の上層部のみに絞るとします」
おもむろに顔を上げ、アイリスは心からの納得を示した。
『良かった』と安堵する私と祖父を他所に、彼女はヴィンセントの方へ目を向ける。
「ところで、上層部の粛清はいつ頃になりそうなんですか?まだ時間、掛かります?」
調査の進捗状況を尋ねるアイリスに対し、ヴィンセントはスッと目を細めた。
かと思えば、人差し指を立てる。
『あと一ヶ月ってこと?』と疑問に思う私達の前で、彼はニッコリ笑った。
「上手く行けば、あと────一週間で終わるよ」




