ヴィンセント
「────ヴィンセント……」
母の葬式以来会ってなかった幼馴染みを見つめ、私は呆然とした。
『どうして、ここに……?』と狼狽える私を前に、彼はそっと眉尻を下げる。
が、直ぐに表情を引き締めた。
「エーデル公爵、これは一体何の真似ですか?────僕の婚約者の髪を掴んで、引き摺るなんて」
「なっ……!?婚約者!?縁談なら、断って……!」
焦った様子でヴィンセントを凝視し、父は私から手を離す。
恐らく、それどころではなくなったのだろう。
「ええ、確かに断られましたね。なので────皇帝陛下に婚約を承認するよう、頼んできました」
「なんだと……!?」
カッと目を見開き、父は堪らず身を乗り出した。
『う、嘘だ……!?』と騒ぐ彼を前に、ヴィンセントは懐から一枚の紙を取り出す。
そして、ソレを高く掲げた。
「つい先程、陛下より承認をいただきました。こちらがその証拠となります」
セシリアとヴィンセントの婚約を認め、自分が証人となる旨の書類に、父は唖然。
だって、皇帝が貴族の……それも公爵家の婚姻に口を出すなど、基本有り得ないから。
一応命令出来る立場ではあるものの、反感を買う可能性の方が高いためこのような手は使わない。
それなのに、私とヴィンセントの婚約を承認したのは政治的思惑と────陛下なりの慈悲。
陛下は昔、私の母と仲が良かったみたいだから。
まあ、それでも説得するのは骨が折れたでしょうけど。
ヴィンセントったら、随分と無茶をしたみたいね。
というか────婚約を申し込まれていたこと自体、初耳なのだけど。
父がヴィンセントからの手紙をこっそり処分していたのは、使用人達の報告で知っていたものの……そのような理由があったとは。
『単なる嫌がらせじゃなかったのね』と思案する中、ヴィンセントは一歩前へ出る。
その際、青みがかった黒髪がサラリと揺れた。
「エーデル公爵、僕と彼女の仲を引き裂こうとしても無駄ですよ。いい加減、諦めてください」
「くっ……!」
悔しげに顔を歪める父は、『この若造が……!』と小声で呟く。
が、皇帝陛下からの承認も貰った以上どうしようもないのか諦める姿勢を見せた。
「分かり、ました……詳細については、後日話し合いましょう」
「そうですね。今日は急に押し掛けてしまった形ですし、日を改めた方がいいでしょう。何より、僕の婚約者は疲れ切っている様子だ。部屋まで連れて行っても?」
「……どうぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で頷く父に、ヴィンセントは『ありがとうございます』と礼を言う。
そして、床に座り込んでいる私のところまで来ると、そっと手を差し伸べた。
「行こう、セシリア」
「え、ええ」
促されるまま彼の手を取り、私は自室へ戻る。
そこで使用人達に軽く髪を整えてもらい、ヴィンセントと向かい合った。
紅茶を飲んでお互い一息つき、ようやく肩の力を抜く。
「今日はその……ありがとう、ヴィンセント」
「いや、これくらいなんてことないよ。それより、ずっと会いに来れなくてごめんね。君が辛い思いをしているのは、分かっていたのに……」
申し訳なさそうに眉尻を下げ、ヴィンセントは黄金の瞳に憂いを滲ませた。
『心細かったよね』と気遣う彼に、私は小さく首を横に振る。
「いいのよ。当主たるお父様が、貴方を拒んでいたんだから。その状況じゃ、どうしようもないわ。今日こうして会いに来てくれただけでも、嬉しいわ。それに婚約だって……」
『陛下を動かすのに一体、どれだけの対価を払ったか』と心配になり、私は胸元を握り締めた。
きっと、安くはないだろうから。
「ねぇ、今からでも陛下に言って婚約をなかったことに出来ない?」
ヴィンセントの負担が大きすぎるように感じて、私は思わず無神経なことを言ってしまった。
本人の努力を無駄にするようなものなのに。
「セシリアは……僕との婚約、嫌なの?」
光を失った目でこちらを見つめ、ヴィンセントは途端に真顔になった。
どことなく重苦しい雰囲気を放つ彼に、私は瞬きを繰り返す。
「えっ?嫌じゃないわよ。ただ、陛下の手を借りるとなるとそれなりの対価が必要になるでしょう?だから、心配で」
負担になってないか尋ねる私に、ヴィンセントは少し目を見開いた。
かと思えば、ふわりと柔らかい笑みを零す。
「なんだ、そんなことか」
「『そんなこと』って……」
「ふふふっ。ごめん、ごめん。僕はてっきり、セシリアが嫌がっているのかと思ったんだよ。勝手に婚約を結んだ訳だからさ」
当事者の意向を確認してなかった……いや、正確に言うと出来なかった訳だが、とにかくヴィンセントはそのことを気にかけていたようだ。
「今回ばかりはしょうがないわよ。それに、私のことを思って取った行動でしょう?感謝こそすれ、嫌がるなんて有り得ないわ」
「なら、良かった」
『その言葉を聞けて安心したよ』と表情を和らげ、ヴィンセントは席を立つ。
「それで、えっと陛下への対価だっけ?」
「ええ」
「それは別に気にしなくていいよ。本当に些細なものだから」
「……本当に?」
『痩せ我慢してない?』と案じる私に、ヴィンセントはスッと目を細めた。
「本当だよ。これまでのクライン公爵家の功績に免じて、大分譲歩してくれたんだ。だから────」
そこで一度言葉を切ると、ヴィンセントは私の隣に腰を下ろす。
と同時に、私の手を優しく包み込んだ。
「────婚約を拒まないで。受け入れてくれないと、僕……」
若干言い淀み、ヴィンセントは顔を歪める。
今にも泣きそうな表情を浮かべる彼の前で、私は慌てて手を握り返した。
「分かったわ。受け入れる。だから、そんな顔しないで」
空いている方の手でそっとヴィンセントの頬を撫で、私は眉尻を下げる。
すると、彼は花が咲くような笑顔を見せた。
「婚約を受け入れてくれて、ありがとう。本当に嬉しいよ」
黄金の瞳をうんと細め、ヴィンセントはコツンと額同士を合わせる。
「これからは僕が一生リアを守るね」
初めて私のことを愛称で呼び、ヴィンセントはちょっと照れ臭そうに笑った。