貧民街
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────狩猟大会の事件から、早一ヶ月。
捜査関係はクライン公爵家に一任され、皇室は手を引くことになった。
というのも、神殿を相手取る状況になったため。
下手に動けば民の反感を買い、暴動が起きかねない。
なので、箝口令を敷いて秘密裏に調査する事となった。
そのおかげか、神殿はまだ事実を把握し切れていない。
公表された情報が少なすぎて、自分達のことをどこまで知っているのか見当もつかないようだ。
だから、今のところは大人しい。
まあ、何度かエーデル公爵家やクライン公爵家に探りを入れてきたけど。
『もちろん、全部適当に受け流したわ』と肩を竦め、私はアイリスと共に貧民街へ赴く。
────継母の遺言に従い、とある場所を掘り起こすために。
そこに、彼女の知っている情報を全て記した手紙があるらしいから。
今後のことを考えるなら、情報は多いに越したことはないわ。
お継母様が神殿の暗部の人間というなら、尚更。
アイリス経由で聞いた継母の身元を思い浮かべ、私は顎に手を当てる。
正直報告を受けた当初は信じられなかったが、牢屋から抜け出したことや皇室の追跡を撒いたことを考えると信じざるを得なかった。
『ただの一般人にそんなこと出来ないから』と考えつつ、私は前を見据える。
と同時に、先頭を歩いていた人物がこちらを振り返った。
「セシリア、出来るだけ顔を伏せて。周りと目を合わせないようにしてね」
そう言って、警告を促すのは今回護衛として同行してくれたヴィンセント。
『ほら、ローブのフードをしっかり被って』と指示する彼は、心配そうにこちらを見つめる。
なので、言われた通りに行動すると、ヴィンセントは満足そうに微笑んだ。
「ちょっと窮屈かもしれないけど、我慢してね。ここの治安の悪さはセシリアも、知っているだろう?」
「────まあ、そこまで警戒する必要はないがな。たとえ、絡まれても返り討ちにしてやる」
そこかしこに居る浮浪者を見回し、ルパート殿下は剣の柄に手を掛ける。
ヴィンセントと同じく護衛という名目でここに来ているからか、ちょっと血の気が多かった。
最後尾から周囲を威嚇する彼を前に、ヴィンセントは小さく頭を振る。
「いえ、返り討ちは不味いです。もちろん、万が一のときはそうしますが、基本は騒がず目立たず穏便に対処すべきです。僕達が何故騎士を連れずにここへ来たか、お忘れですか?」
神殿に警戒されていることを指摘し、ヴィンセントは表情を引き締めた。
『もし、貧民街に行ったことを知られたら確実に怪しまれる』と思っているのだろう。
今はとにかく、神殿を刺激せず……あわよくば、油断させたい。
その方がこちらも動きやすいから。
などと考えていると、ルパート殿下が手を下ろした。
「ちゃんと覚えている」
『無闇に暴れるつもりはない』と主張し、ルパート殿下は腕を組む。
事前の打ち合わせ通り動くことを示す彼の前で、ヴィンセントは少しばかり表情を和らげた。
かと思えば、前を向く。
そして、郊外のある方向へ進むと、不意に足を止めた。
「恐らく、彼女の言っていた所はこの辺りだと思うよ」
すぐそこにある防壁を一瞥し、ヴィンセントは周囲を見回す。
すると、アイリスやルパート殿下もつられて視線をさまよわせた。
「お母様は郊外に一番近い木の根元と言っていたけど……」
「案外、木が多いな」
今にも枯れてしまいそうなものや既に伐採されたものも含めて二十を越える候補に、私達は目眩を覚える。
最悪の場合、全ての根元を掘り起こさないといけないため。
『とんでもない重労働になりそう……』と思い悩む中、アイリスはとある木の根元へ足を運んだ。
防壁にピッタリくっつく形で生えるソレを前に、彼女は
「多分、これだと思う」
と、呟いた。
既に伐採されて木目を晒すソレをまじまじと見つめ、アイリスは土へ手を伸ばす。
恐らく、掘り起こすつもりなのだろう。
「手伝おう」
ルパート殿下は素早くアイリスの隣に回り、腰を下ろした。
かと思えば、汚れることも厭わず素手で木の根元を掘る。
黙々と土を掻き分ける彼の前で、ヴィンセントはこちらへ手を差し伸べた。
「じゃあ、僕達は見張りでもしようか」
『この現場を誰かに見られる訳にはいかない』と主張するヴィンセントに、私は目を剥く。
別に役割分担に驚いている訳じゃない。
ただ、アイリスの行動を容認しているのが信じられないだけだ。
いつもなら、『勝手に話を進めないで』と制止しているだろうから。
アイリスの勘を信じているのかしら?それとも、単に見当がつかないから任せているだけ?
『場所の特定は難しそうだものね』と思案しつつ、私はヴィンセントの手を取る。
「ええ、そうしましょう」
────と、返事してから数十分。
私は周辺の警戒に当たり、こちらへ来そうな人を見つける度ヴィンセントへ報告していた。
さすがに女一人で、貧民街の住民へ接触するのは危ないため。
追い払う役はヴィンセントに一任している。
と言っても、手荒な真似は一切していないが。
ただ、軽く声を掛けて遠くへ行くよう誘導しているだけ。
『あっちで炊き出しやっているよ』とか、『この先で野犬が出たから、気をつけて』とか言って。
そろそろ、アイリス達は木の根元を掘り起こした頃かしら?
『素手とはいえ、もう大分作業が進んでいる筈』と思い、私は後ろを振り向いた。
と同時に、アイリスが顔を上げる。
「────あった!」
土埃に塗れた小さな箱を持ち上げ、アイリスは歓喜とも安堵とも取れる表情を浮かべた。
すると、横からルパート殿下が手を伸ばす。
「とりあえず、中身を確認しろ。まだこちらの探していたもの、と決まった訳じゃない」
『手紙を視認するまでは、気を抜くな』と言い、ルパート殿下は箱についた土や泥を手で払った。
早く蓋を開けるよう促す彼の前で、アイリスはスッと目を細める。
「はい、そうですね。でも────これはきっとお母様のものだと思います」
確信を持った様子でそう断言し、アイリスは箱の蓋に手を掛けた。
かと思えば、ゆっくりと持ち上げる。
「ほら、やっぱり」
露わになった箱の中身を見つめ、アイリスは僅かに頬を緩めた。
と同時に、こちらを向く。
「お姉様、ヴィンセント様、無事に手紙を発見しました。引き上げましょう」
────その言葉を合図に、私達は帰る支度を整えて貧民街を後にした。
無論、掘り起こした土は全て元に戻している。
痕跡を残したって、いいことはないから。
『おかげで、土だらけになっちゃったけど』と思いつつ、エーテル公爵家の屋敷へ帰還。
改めて、箱の中身を確認した。
「入っていたのは、一通の手紙だけか」
客室のテーブルに置いた継母の遺品を見やり、ヴィンセントは顎に手を当てる。
どうするか、迷うように。
多分、継母の遺書とも言える代物を第三者が勝手に改めていいのか分からないのだろう。
でも、だからと言って重要な情報が書き記されている可能性の高いソレを放置する訳にもいかない。
「アイリス嬢、良ければこの手紙を読み上げてくれるかい?」
『もし、辛いなら代わるけど』と述べるヴィンセントに、アイリスは小さく首を横に振る。
箱に入った手紙をじっと眺めながら。
「私が読んでいいのなら、是非」
神殿からの襲撃の重要資料という意味合いが強いからか、アイリスは控えめに応じた。
アメジストの瞳に悲嘆と歓喜を滲ませつつ、手紙を手に取る。
と同時に、封を切った。
「それでは、始めます」




